もう何をなくしたって生きていけますけど、

第三章:リンク

8.真実より大事なことはいくらでもあるさ


 勇者リンクがその部屋に見舞いに行こうと思ったのは単なる気まぐれだった。その女のことを少なからず知っていたし、何なら殺し合った仲でもある。今の彼と向かい合って生きていられるほど強い人間はこの世界にはリンクにとって貴重だったし、百年前もそうなのだろう。
 ほとんど覚えていない百年前のことを持ち出されると、前世の話をあたかも本当のように聞かされているようでむず痒い気持ちになる。百年前の『彼』は今のリンクよりも随分と聞き分けの良い王家の狗だったようで、感情をうまく消して姫君の護衛についていたというのだから驚いたものだ。
 今のリンクにとって、世界平和などどうでも良い事項だった。大事なのは自分の平穏と、ちょっとした人生のスパイス。塩と胡椒のない料理なんて単調だし、山椒があればもっと良い。
 そんな彼が世界を救ったのは少なからず、厄災ガノンを単独で押さえ続けている姫君に同情したからだ。思い出した記憶の欠片が自分の中に流れ込んでくるにつれ、運命に翻弄され、それでも前を向いて、結局一人で立ち向かった彼女への気持ちが新たに出来上がる。その感情をなんて呼んで良いのか分からなかったが、だから今でも彼女に従属して、王家が世界の平和的な統治を目指すのを手伝っている。
 
 ただの捕虜にしては広くてきれいな部屋に軟禁されている彼女は、天蓋付きのベッドの中、ぼんやりと宙を見つめていた。彼女の世話役を買って出ているシークから聞くところによると、一日のほとんどをそうやって過ごしているらしい。
 あの時リンクがいくら脅しても、体で感じる恐怖に屈しようとしなかった女の成れの果てがこれかと思うと、幾分かつまらない思いにもなる。ひとというのは、あっけなく壊れるものだ。それを守ろうと動く気持ちは分からないでもないが、いっそ一思いに殺してしまったほうが本人のためなのではないかと思うときもある。
「随分腑抜けた姿じゃあないか」
「勇者リンク……」
「俺、勇者と名乗った覚えはないけどね」
 百年前は知らないが、目が覚めてからのリンクは自ら勇者と名乗ったことはない。祭り上げられて、平和の象徴とばかりに利用されているだけだ。本当は姫ただひとりを守る騎士である。
「君はいつまでそうやっているつもりなんだ、ナエ
 然して興味のないことではあったが、ずっとぼんやりとしていられるのも不愉快だったので、発破をかけるつもりで挑発した。ナエは少し瞳に色を取り戻し、ベッドの中から、その脇に立っているリンクを睨む。
「あんたには関係ないでしょ」
「関係はあるさ。これでも王宮関係者だからね」
「うるさい」
 いつもの調子を取り戻してきたようで、多少声はかすれているが打てば弾けるように返ってくる返事に少し愉快になる。
「あんたは、シーク様はあたしをどうしたいか知ってる?」
「シークの考えてることを、俺が分かると思う?」
「思わない」
 彼女はそう言ったが、リンクにはシークの考えそうなことにあたりがあった。だけれど、この女に伝えてやる必要もないので「じゃあ何で聞いたんだよ」と素知らぬ顔で流す。
「シーク様の考えている通りにしたいから」
「それが奴隷に身を落とすことだったとしても? 殺されるんだとしても?」
「そのつもりなら、こんな豪勢な部屋を用意しないでしょ」
「そりゃそうだ」
 リンクは面白くなって笑う。生まれてこの方、閉鎖的な組織で生きていたこの女はきっと、思っているよりずっと自分の見た目が良いことを知らないし、ものの考え方が偏っていることも知らない。だけれど自分が望んで行っていたと思っている会話の中で、シークからより偏向的な考え方を植え付けられていることだけは、無自覚に知っているのだろう。
「……でも、そうかもしれない」
「何が」
「本当はコーガ兄を殺したあなたたちを、シーク様を許せないし、兄を殺したシーク様のうつくしい手であたしを殺してくれるならどんなに幸せなんだろうって考えるときがあるの」
 シーク様には言わないでね、と言った彼女だが、この部屋の扉の向こうに気配のない気配があって、彼女が一番本音を聞かせたくない相手がそこにいることに気付いていない。リンクにはもちろん教えてやるつもりもなく、扉の前で立ち竦んだ相手に少し同情したまま、女の言葉の続きを聞く。
「肉親を殺したシーク様に憎しみは絶えないのに、殺してもらえたコーガ兄が羨ましいの。このまま捨て置かれて朽ちていく身なら、そのほうが良かった」
「そう」
「……だって、こうなっても、あたしはシーク様のことが好きだから。嫌いになんてなれない」
 彼女は今や泣いていた。嗚咽交じりにそうやって吐露された感情を、彼はどんな気持ちで聞いていたのか。リンクにはあんまり興味を持てなかった。
 
 
 

9.たくさんの嘘のなかになにかがあって

 


「盗み聞きするつもりはなかったんだ」
「そりゃあ、そうだろうよ」
 シークの働きに対して、褒美として与えられた女の本音を思わぬ形で聞くことになったシークを連れて中庭へ歩いた。その道中、彼はいつもの無表情は崩さずに淡々と言い訳をするが、そんなことなどリンクには百も承知だった。
 リンクにしてみれば、あの女とシークがどうなろうが関係ないし、知ったことではないが、状態が膠着していることだけがもどかしい。殺すなら殺してあげるのが慈悲だと思っているし、活かすならそれ相応の立場というものを早く与えてあげるべきなんじゃないか。そう告げた言葉は風にさらわれたけれど、シークには届いただろう。
 辿り着いた中庭の木々に目を向け、石で出来たオブジェに腰掛ける。リンクもシークに倣って少し離れたオブジェに座ると顔だけでシークを見る。[N1]
「大体お前が彼女に何も言わないのが悪いんじゃないか」
「分かってる」
「だったら、」
「だけど、僕が彼女たちにとって裏切り者で在り続けた事実は変わりない」
 それが何だっていうんだとリンクは思ったが、シークにとってそれが重要なことなのだと知っているから黙ったまま、シークを見る。災厄が去った後、何処からともなく現れてゼルダ姫の前にひれ伏したこの男を信用していないし、かの姫君にとって重要な『兄』だというのも胡散臭い。
 そんな男が、自らが組織を殲滅した後、伸ばしっぱなしにしていた髪を短く切った。それにはさすがのリンクも、彼のある種の覚悟を感じた。
「欲しかったから、貰い受けたんだろう」
「僕の身の全ては、姫様に捧げたものだ」
「だから何だって言うんだ」
「……だから、欲しがることすら、姫様への冒涜だと思うんだ」
 王家が迫害したのが発端だとは言え、イーガ団はあまりにも王家に刃を向け過ぎた。ナエはその総長という立場だから。とあくまで自分の意志ですらない言葉はリンクを苛立たせる。
「お前が如何したいかだろ。あの娘の考えはあの通りだ」
「そうだな……」
「女は強いよ。それに、コーガとかいう奴の言った通りだ、あの女は良い女だ」
 今は弱っているけれど、揺るがない女は嫌いじゃないね。リンクが言うと、今まで俯き加減にぼそぼそと言葉を発していたシークは弾けるように顔を上げた。咎めるような色を乗せた赤い瞳がきらりと光る。
「ほら、お前。どうしたいかなんて、とっくに決まってんじゃん」
「僕なんかが、望んでも良いのだろうか」
「良いから、ゼルダは許可を出したんだろ?」
 リンクの言葉に、腹をくくったようなまじめな顔で頷いた。「そうだ」シークの呟きはリンクに向けたものではなかった。木々の揺れる音に紛れて消えていく。シークから迷いの消えた気配を察したリンクはその場で立ち上がる。おもむろに愛用の剣を鞘から抜き、シュッと何振りか、空間を切り裂いては、仕舞う。
「そうだ。僕は、あの子が欲しい。ずっと前からそう思っていた」
 望んでよいと思わなかったけれど、僕は既に解き放たれたのだから――怪我のまだ治らない左手の甲。コーガにやられた斬撃の痕だろうそれをなぞりながら、シークはうっそりとわらう。
 
 
 

10.罪にも罰にも慣れたふたりには

 


 仮設の執務室は広く、また業務を取り仕切るのに問題のないほど大きな机を急ぎ用意させたが、この国の頂に存在するべき人物が使用するにはいささか簡素な部屋であった。壁は最低限きれいに白く染めさせていたし、外から狙い打たれないよう窓から業務用の机は死角になるように配置させていたので、それで十分だというのが本人の弁である。飾りの絵画や生け花は、今はいらないのだと。
 護衛も扉の外と窓の外にはそれぞれ二人ずつ配置をしているが、室内には一人だけ。いつもの薄く青い衣装は脱ぎ、王国騎士団の格好をしているが、彼の本質は変わらない。
「ゼルダはあの二人、本当にどうなっても良いと思っているの?」
「ええ。シークがいなければ、わたくしはもっと早く限界を迎えていたでしょう」
 執務中の彼女にリンクが問いかけると、何らかの資料に目を通していたゼルダは顔を上げて、彼女の右横に立つ護衛に向かって頷いた。リンクはもう何もかも分かったような顔で、まるで答え合わせをするように言葉を重ねていく。
「それは、彼の怪我の治りが遅いのと関係している?」
「おそらくは。彼はわたくしと精神の深いところで繋がっていたがばかりに、この百年間、わたくしの養分となり続けてくれていたのでしょう」
「そして、それは彼も承知の上だった」
 ええ、とゼルダはまたしても頷いた。だからイーガ団の団長が代々運んでいく食事にはきちんと手を付けていたし、研究にも余念なく、一心不乱に百年間続けていた。シークは正確にはシーカー族ではないが、プルアなどと同じ系譜なのかもしれない。シーカー族の中には研究に命を捧げるものが一定数存在し、その高い技術力は過去、王家からの疑念を招いたものだ。彼もその中にいたのなら、影響を受けていたのかもしれない。
「とはいっても、ここ数年、彼の精神力の源は変わったようでしたが」
ナエのことだね」
「そう。彼女を愛おしく思い始めたのではないでしょうか。最初はわたくしと重ねていたようですが、その思いというのは、わたくしへの無条件で盲目なそれとは違います」
「誰かを愛する気持ちや守りたいという気持ちというのが、ガノンを抑える繭をつくる――」
「わたくしも、そうでしたから」
 ゼルダは目を伏せた。リンクと違い、百年前の記憶が鮮明にあるゼルダは、リンクに対して負い目があるのか時々、切なそうに俯くことがある。他の英傑たちの死を背負い、リンクの重荷になったことを恥じ、役立たずの巫女だったことを思うときの表情だ。
 リンクは彼だけが許された特権で、彼女に触れる。肩にそっと手を置くと、はっとしたようにリンクを見た。彼は自分の行為が咎められないのを目視で確認すると、片膝を床について執務をするための筆を持っていた右手を取り、瞼を閉じて軽くキスをする。
「慰めてくれているのね」
「俺がしたいからしているだけ。あなたが好きだった百年前の勇者はもう死んだけれど、記憶の断片が残る今の俺が忠誠と心を捧げるのは、あなただけだから」
 リンクがそう言うと、ゼルダは頬を赤く染めて頷いた。
「今のあなたにそう言ってもらえるのが、何よりもうれしいのだと、あなたは分かるのかしら」
「さあ」
 肩を竦めてすっとぼけたリンクにゼルダはくすくすと笑いを溢す。リンクは彼女の愁いを帯びた表情がなくなったことに安堵したようで、気付かれないように息をついた。そして、先ほどまで話していた二人のことを再度思い出す。
「シークとナエのことだけど、」
「どちらにしても、わたくしの『お兄様』だった頃よりも随分と人間らしくなったシークには、彼女が必要でしょう。もうわたくしの養分になる必要は無いと、命を投げ出されても困ります」
「慈悲深いお姫様だ」
「兄想いの妹だと言ってほしいですわ」
「そういうのは、もう聞き飽きた」
 先日のイーガ団のアジトでの戦いでのことを思い出して、リンクは気分が悪くなる。そんな一言一句報告したわけではないので、ナエの唯一の肉親である兄を殺したことなんて知る由もないきれいな姫君はリンクの様子に気付かずに続ける。
「だけど、ナエをシークの相手に迎えるのなら、相応の対処が必要だよ」
「わかっています……でも、出来るのでしょう?」
「そりゃあ、あなたから命じられれば」
 考えられる最悪の事態へ辿る未来を何本か頭の中で思い描き、それを阻止するにはどうすればよいのか考える。ほとんど記憶のない中から、世界を救ったリンクの実力ではその程度のことなんて容易なことだった。
「では、命じます。それをシーク自身にやらせなさい。あなたは失敗を阻止して」
「そっちの方が難しいんだけど」
「わたくしが命じるのよ」
「……承知いたしました。このリンク、遂行して見せましょう」
 頭を垂れて、わざとらしくそう言うとこの国の姫はまた、くすくすと笑った。
 
 
 

11.天秤はいつだって正義に傾く

 


 月の出ていない夜だった。雲一つないお陰で夜空には星のきらめきが無数に存在しているが、それに見惚れる二人ではなかった。隠密に適した服装に身を包んだ二人は低く小さな声で、言葉を交わし合う。
「分かっているよな。今日は偵察だけだ」
「ああ、姫様からもそう聞いている」
「あの娘を守りたいなら、お前がすべきことだ。立場なら彼女が与えればよい。お前があの娘に報いたいのなら、あの娘を害する全てを把握することだ」
「言われなくとも」
「そう来なくっちゃ」
 顔を上げると、星の一つが流れ落ちていった。それがどんなに貴重なものだとしても、気を取られている場合ではない。失敗は許されないと、誓ってしまったのだから。
「行こう、シーク」
「ああ」
「お前の正義のためだ」
 それきり会話を止めて予定通りの道を進んだため、彼が何を思ってここへ来たのか、リンクには分からない。