Little Jack and Horner

Little Jack Horner
Sat in the corner
Eating a Christmas pie
He put in his thumb
And pulled out a plum
And said, What a good boy am I

 ハイラルの女王となったゼルダとの打ち合わせ後、寝床に帰ろうとしたシークを引き止めたのは、緑の衣を纏った時の勇者であった。最後の戦い後、行方が知れなくなっていた彼は、どうしてかある日突然ハイラルに再び姿を現した。外見はあまり変わったようには見えない。だが、あの頃よりもずいぶんと経験を積んだであろう精神が滲み出た精悍な顔つきに、思わず見惚れてしまうものも多いだろう。シーク自身、再会した当初は目を見張った。達観した表情は、それほどまでに印象的だった。
 城の出入りが特別に許可されているその男は、シークの前に立つと、ニカッと惜しげも無く笑顔を振りまく。ゼルダにしか見せないような表情のおこぼれに預かっているのだと、シークは思うことにしている。他の人間には作った笑顔を見せる彼が、どうしてシークには本物の表情を見せるのか、分かりたくないということもある。
 本人はゼルダとの謁見が済んだのだろうか。自分の前から動かないリンクに、シークはそこでようやく自分に用事があるのかもしれないと思い当たる。

「何か用か?」
「まあね。シーク、明日は一応非番だろ? なら飲もうぜ。とある筋からちょろまかしてきたんだ、シャトーロマーニ」
「悪いけど、ボクは遠慮する」
「ええ! そう言わずにさあ。お前、良いミルクって飲んだこと無いだろ?」

 非番とは言っても、要請があればそれがいくら急なものであっても飛び出す気でいるシークなのだ。そのように断ろうとしたのは見透かされていたらしい、「ゼルダだって賛成してくれたぜ?」「……姫が?」声色を変えてしまったのは仕方が無いだろう。何もかもこの男の思惑通りに進んでいる気がして、シークはどうも気がそがれた。

「何か言いたいことでもあるのか」
「んー、まァね」
「素面で言えないようなことを、酔った場の勢いで吐くと、あとで絶対に後悔するぞ」
「そんなんじゃないよ。……一度お前とサシで語り合ってみたいって言うのも嘘じゃないんだ。一晩くらい付き合ってよ、シーク」

 どこか必死な声色だった。リンクのこういう面は、彼がハイラルに帰ってきて以来、見ることが無かったように思う。シークは自分の任務のことを考えると、拒否をするのが好ましいと思っていたにもかかわらず、気持ちが揺れ始めた。彼の思い通りになっているのかもしれないと自覚しつつ、ゼルダが賛成してくれたという言葉は揺れる感情を後押ししてくれる。

「何をそんな焦っているんだ、リンク」
「……お前とはさ、一度話したかったんだよ。……あの子のことで、ね」
「……」
「ちょっとだって悔いてるんだろ、知ってるよ。でも、悪いけど俺は後悔してないからね」
「……そうだな。一度話しをすべきか」
「ま、それだけじゃないんだけどな。夜は長いんだ。ゆっくり語り合おうぜー。妹さんを俺にください、ってこともな」

 しんみりした空気を振り払うべく、リンクがノー天気な言い方で冗談を放つ。シークはなんと返すべきか、すこし躊躇ったが何でも無いような口調を心がける。このことも、彼は知るべきだ。長い長い夜に、全て話してしまえば良い。ほんの少しのだいじなだいじなことだけ、自分の中に押し込めて。共有すれば、薄れてしまう。薄れさせたくない気持ちだけロケットの中に閉じ込めるように封印してしまえば良い。つらいこと、哀しいことはこの男に責任をとってもらうべく、押し付けてしまえ。

「彼女から何を聞いてるか知らないけど、正確には姫はボクの妹じゃないよ」
「えええ! なになに、それどういうこと?」

 驚いた勇者の声に、ハイラルの元・第一王女ーー現・女王付きの従者はアルカイックな笑みを浮かべた。





* * *





 勇者に付き合おうとしたのは、単純に彼の聞きたがっていることに答えるためだとか、自分の重荷を背負わせてしまおうと思ったことだけが全てじゃない。
 彼の機嫌を損ねたくない理由がシークにはあった。たとえ彼が機嫌を損ねるようなことをしたとして、最終的に勇者がゼルダの提案に否と言うはずは無いが、それでも予防線を張っておくのがシークという人間のやることだった。

 彼の名誉のために言おう。断じて、ミルクに釣られた訳じゃない。




 それはともかくとして、リンクが指定をしたのはハイリア湖畔。あちらから誘ったのに、勇者はまだ現れない。気を紛らわせるために、不気味なほど赤く輝く月を見ていたら、自分と彼女の瞳の色を思い出して、切ない気分になりそうだったから、彼は視線を湖に戻した。

「待たせたな、シーク」

 後ろから腕を回され、そっと耳元で囁かれる。ぞわり、と背筋を何かが這った。短剣を抜く暇もないくらいに、あっという間に近寄られ、気が付かないまま触れられている。そのことに対しての恐怖もあった。
 首を絞めるのも容易いはずだ。細身に見えて十二分に筋肉質なリンクの腕が首筋に触れている。彼にとっての七年前ーー自分達にとってはついこの間の出来事であるあの戦いの最中よりも、随分と引き締まった体つきは、この七年間の彼の苦労を知る手がかりとなる。
 しかし、当然その腕はシークの首を絞めるでも無く、もちろん彼を拘束するでも無く片手に持った二つの瓶が触れ合って、カチンと音を立てた。

「イイ感じの綺麗な月だなー。こういう時実感するよな、俺、普段の行いイインダナーって」
「あんな色、不気味なだけだろ」
「そう? 俺、もっと不気味な月見たことあるよ。こう、がおーってね。さ、飲もうか。お前、知らないだろ、このシャトーロマーニのとろけるようなオトナの味を」

 既に酔ってるんじゃないのかと、突っ込みたくなるような軽薄な態度でリンクは笑う。腕を回した時と同じように、未練も気配もなく離れたかと思うと、そこに座り込む。同じように、その場に腰を下ろすように促される。
 逆らう理由も無く、言われたように地面に座れば、すっと手渡されるミルク瓶。別に、こんな高級な嗜好品を飲まなくたって、普通の牛の、普通のミルクでも充分なのに。ロンロン牧場のミルクでさえ、それは一等品だ。

「おまえのためだってさ」
「なにが」
「おまえのために、そのミルク手に入れようと頑張ったんだぜ、俺。ゼルダに言われちゃったからね。三日間は、きっと調子が良くなるよ。なんたって、溢れんばかりの魔力《パワー》がみなぎるから」

 魔力構造の欠陥、完全には治ってないんだってな。
 リンクはシークの方を見ようともしない。妖しく輝く紅い月だけを眺めていた。なんとなく、表情に陰りがあるような気がしたけれど、きっと何も無いとシークは頭を振る。

「あーあ、妬いちゃうよな。結局お前を追いつめたのは、俺だけど。俺とゼルダだけど」
「姫はそんなことを思っているのか」
「言ってなかったけど、事実だろ」
「違う。これは、ボクと彼女が選んだ結果だ」

 でも、お前に選ぶ余地なんてなかったじゃないか。何故だかリンクの声が泣きそうで、思わずシークは隣に座る男を見つめた。穴が空いてしまいそうなほどの視線に絶え切れなくなって、リンクもようやく視線を通常の高さに戻す。

「リンク。彼女のことは不幸な事故だよ、強いて言うなら、ボクの所為だ」
「事故じゃないだろ。お前が追いつめられたのも、ゼルダを苦しめたのも、俺があんな目にあったのも全部身勝手な神々の所為だよ」
「なら尚更、きみの所為ではないだろう」
「はいはい。そういうことにしといてやるか。それよりさ、お前自分の影にあってみたくない?」
「は?」

 何のことか分からずに、リンクを見つめると、彼はシークを見てへらりと笑った。ミルクを呷って、それから指を向けるのはハイリア湖。数年前までゾーラの里が凍っていたせいで乾ききっていたそこは、すっかり昔の様相を取り戻している。溢れんばかりの水が風に揺られて水面を乱して、それが自分の心を表しているようで、とても不愉快になりそうだった。

「俺の影、たまにこの辺うろうろしてるの。城の方に苦情来ない? 黒い勇者が現れて怖いって」
「……そういえば」
「ほら、俺さ、世界を渡ったり、時間を越えたり……自分で言うのもナンだけど、結構アクティブに動いたじゃん。そのせいで、魂だかなんだかの一部が切り離されたみたいなの。で、ここに居着いちまったみたいなんだよなあ。俺の影。ナビィがダークリンクって名付けたそいつ」

 かつての相棒のことを話す時、懐かしそうに少し眼を細めていた。そういえば、この勇者の傍にはあの妖精が一緒にいるのがあたりまえだったけれど、この時代に帰ってきたのはリンク一人だったとシークは今更訝しく思った。もともとコキリ族ではないリンクだから仕方が無いのかもしれない。ーーナビィとは、それでも本物の相棒同士のようだった。
 要らぬ世話を焼かれたくないだろう。彼はそう思考を切り替えて、ダークリンクとやらに想いを馳せる。勇者の影。ある意味で、シークととても似ているのかもしれない。表舞台に立てなくてーーそいつは満足しているのか。シークはもう、割り切っている。今まで二十年弱、培われてきたいろんなことで、自分がこの位置にいることにそれなりに満足してさえいるのだーー犠牲になったあの娘だってそうだったろう。

「俺が言いたいのはね、シーク。聖地まで行ったお前の影だって、いたっておかしくないんだぜ。俺、昔はお前が影だと思ってたけど……なんていうか、ダークゼルダみたいなもんかって」
「僕がゼルダの影なのはあながち間違ってはーー」
「そうやって誤摩化してるけど、俺の言いたいこと、本当はわかってんだろ」

 言葉をぶっきらぼうに遮られ、真剣な表情をしているリンクに思わず黙る。たしかに分かっているんだ。シークは言葉を選ぼうと視線を宙にさまよわせている間、リンクは何も言わなかった。シークにしてみたらいつものように畳み掛けてくれた方がありがたかったのに。それをわかっていて、リンクは相手の言葉を待っていた。

「僕の影はいないよ」
「……」
「リンク。君こそわかっていたんだろう? 僕の影はしんだ。そうやって、僕にその一部を返してくれたんだよ」

 それが真実であるかどうかなんて関係ないーーシークはあの時から、ずっとそう思っていた。自分の一部を持っていたあの少女は、命を費やして、自分の欠片を返してくれたのだと。
 双子という生まれは、自分の芯よりももっと深い所で共鳴していたのだろう。だから彼女の血液に溶け込んだ魔力を取り込むことも出来た。彼女が自分を犠牲にしてまで救ってくれたおかげで、シークはここに在れるのだと、彼はそう思っていた。それが真実がどうかなんて関係がない。

「それにね、ゼルダが言ってたよ。彼女は『還った』って。もうこの国には囚われていない」
「それは、どういう……」
「僕にもよくわからない。ただ、」
「言葉の通りだ。あのハイラルの落胤はこの国から消されたぜ、女王によってな」

 急に差し込まれた言葉。リンクの声と良く似ているが、微妙にアクセントが違う。シークが驚いて息を呑んだ反面、勇者は「それ」の登場を予想していたかのように落ち着き払っている。どこから聞こえてきた声なのか。極近く思っていたはずなのに、姿は見えない。きょろきょろと周囲を伺っているうちに、また聞こえる。

「俺を呼び出すためにわざわざこんなところにやってきたんだろ、勇者さんよ」

 呆れたような、それでいて挑発しているような声色は、やはりすぐ近く。それもリンクのすぐ後ろから聞こえて来るようだった。湖の水の波打つ音、それからグエーの鳴き声くらいしか聞こえないここでは、やけに響いている。

「ずっといたんだろ? 気付いてたよ。無くなったはずの影がそこにあるからね」

 リンクが彼の質問に答えずに言って、ようやくシークは違和感に気が付いた。不自然な程に影が出来ない体質のリンクにあるまじき、影がきちんと出来上がっていた。紅い月が照らし出すその光がリンクに寄って遮られて出来た影。自分のように、闇ばかりに身を置いているから影を見ることが少ない訳ではなく、物理的に何故か影の無いリンクの、その影が確かにそこにあった。
 ぬっ、と影は立体になる。実体がないはずのそれは、最初は薄い灰色だったが時間を掛けて色が濃くなっているようだ。瞳だけが紅い月と同じ呪われた色で、シークやあの娘がそうだったよりももっと原色に近い色。魔物の持ち得る色に、ぞくりとなる。今はもう、青色に変わったはずの自分の虹彩が、再び紅く染まったように錯覚する。

「で、例の件なら断ったはずだが」
「そうは言わずに、前向きに考えて欲しいなあ」
「……何のことだ、リンク」

 王家の知らない所で、勇者が魔物と手を組んでいたとしたらーーゼルダはそれでも構わないと言うのだろうし、リンクがゼルダの不利益になることをやるとは思わない。彼の願いは、ゼルダの隣に在ること。ただし、そのためには、彼がどんな手段をとってもおかしくない。
 現段階でリンクの立場はとても複雑だ。勇者、ならびにこのハイラルの救世主であることは重々承知している。だが、女神の判断に逆らいこの国に独断で戻ってきてしまった。それに、ハイラル王に使えていたとある騎士の子どもであるという噂はあるけれど、それも確かではない。ゼルダの隣に立てる身分でないことは、彼自身がわかりきっているはずだ。

「やだなあ。そんな心配そうな声出さないでよ、シーク。別に強行手段は取らないって」

 へらりと笑ったリンクはいつも通りだった。それがとても怖いのだと、言うことは無いだろう。無表情を装ったまま、シークの心の中ではいろいろな計算が渦巻いていた。この獣を、王家が飼いならせることはできないと分かってはいても、それでもゼルダの安全のために。
 何事からもこの男はゼルダを守るに違いない。だが、この男の牙からは、どうやって守れば良い? 傷に晒されたことのほとんどない、彼女の柔くて白い首筋は、きっと簡単に破られてしまえる。

「あのな、シーク。騎士団長には俺じゃなくってコイツを推薦するよ」

 さらりと言われたことは、王家でずっと打診されていたこと。シークが彼の機嫌を損ねたくなかった理由。ハイラルという王国を再編するにあたって、騎士団を作ろうと。その団長には、あの勇者が適任ではないかという当たり前の案が上がって、ほとんど決まりつつある。それをまだ本人には言っていなかったはずだ。それをどうしてーー

「ダークならどこにだって潜り込めるってこと。だけど、俺は騎士団長になんてなるつもりはないんだ」

 ごめんね、シーク。
 付け足された言葉にはいろんな意味が込められているんだろう。それは、彼女の隣に正式に立つためには、身分が必要だということも、そのために用意したポジションだということも彼は知っていて断っている。

「俺はハイラルを守るつもりはないよ。ゼルダにも悪いとは思ってるけどね。俺は、彼女が俺の隣にいたらそれでいい」
「ーーそれは、姫様をこの国から連れ出すということか」
「今はそのつもりは無いよ。彼女が悲しむだろ。だけど、そうせざるを得ないなら、俺は躊躇わないね」

 不自然な沈黙が場を支配した。
 シークは何も言わない。頭の中ではいろんなことが駆け巡っていたけれども、彼にはそれを言葉にするスキルが欠落していた。
 リンクはそれをわかっていて畳み掛けたのだ。思いもよらないことを、奇襲のように被せれば、シークが何も言えないことを分かっていた。それでもゼルダが彼を騎士団長に推薦するつもりなら、リンクは受けるだろう。けれど、きっとシークはそうしない。彼だって同じだからだ、国よりもゼルダを守りたいという気持ちは、もしかしたらリンクよりもーー
 その沈黙の均衡を壊したのは、勇者でも従者でもなかった。

「あのなあ、俺だってハイラルを守るつもりは無いが」

 勇者の影は、すでにそこに実体が在るように思えた。リンクをそのまま映し出したかのような黒色。瞳は笑いも泣きもしないが、声色には呆れを滲ませている。それはそうだ、どうしてこの勇者は自身の影が騎士団長の座に納まると思ったのか。
 シークも訝し気に隣に座る勇者を見る。彼は紅い月を眺め、ぽろりと零す。

「俺を救うと思って、騎士団長になりなよ。ダークリンク」
「なんでお前を救わなければならない?」
「俺の機嫌を損ねない方がいいよ。お前をずっとそのままにだってしていられるんだから」
「……どういうことだ」

 低く、脅すようなダークリンクの声に、当然怯えもしない。
 ただ彼は事実を告げるように、淡々と続けるだけ。

「本当は早く消えたいんだろ、ダーク。俺なら、お前を介錯してあげられるよ。魔王がいなくなって、存在意義の無くなった、お前をきちんと消してあげられる」
「リンク、」

 思わず名を呼んだが、シークに言いたいことは無かった。それ以上言わせたくなかった、聞いていたくなかった。自分がひとでありながら、影であろうとしたせいで、妙に彼らのやりとりが何処とは言えないところに刺さる。抜けない毒針が心の奥深くに埋め込まれて、じわじわと浸透する。思い出してはいけないのに、彼女と生きかったことまで思い出してしまう。彼女がいないのならば、自分だって消えてしまいたい。それを許さないのは『シークは生きて』彼女の呪いの言葉と、自分の誓いーーゼルダを守るという、その誓いだ。自分を消すのはゼルダでなければならない。ああ、やはり自分はゼルダの影でありたい。

「お前が俺に望むのは、ハイラルの守りの底上げか?」
「まあね」
「寄せ集めの騎士団とやらが、それなりに使えるようになったら、俺を解放してくれるのか」
「責任持って解き放ってやるって。お前の『ご主人サマ』のトドメを刺した、この聖剣でね」

 嘘にも聞こえるのは、いつもと変わらず飄々とした調子だからだ。リンクは口元を笑わせて、なのに目はひとつも笑っていない。真っ直ぐで凍ったその瞳は一瞬ごろりと濁らせ、そしていつも通りの輝きを取り戻す。

「なら、お前の思惑に付き合ってやることもやぶさかではないがね、リンク。俺には誤摩化しは通用しないんだと、ちゃんと心得ておけ」
「はいはい。そーいうことで、シーク。ゼルダにそうやって報告よろしくね。あと反対意見黙らせるように根回しも頼んだ」
「……ああ、わかったよ。やっておこう」

 自分も酔いが回っているのかもしれない。本当は、確実性を取るのなら反対すべきなのだ。反対意見だって、簡単に抑えられる物でもないだろう。影は影だ。魔物と変わりない。なのに、今の自分は、すごく凪いでいて、魔力も安定していて、何でも出来るような気持ちになるのだから。それにーー

(勇者の影とあの娘が被ったのだ)

 解放されることを望んでいた勇者の影。あの娘だって、それを望んでいて、それが達成されたというのなら、それ以上のことは無い。
 僕は、まだ、女神にもこの国にも囚われたままだから。

 もしも、女神が解放してくれたとして、僕はゼルダからはきっと離れられない。
 おそらく、リンクだって同じなのだろう。この国にいる限り建国の三女神からは逃れられないし、女神ハイリアの魂を受け継ぐ少女からだって逃がしてはもらえない。それならば、自分の一部とも言える相手こそ、解放してあげたいーーただでは動いてあげないのも、リンクらしいが。

 ふっ、と微笑んだリンクの横顔を見なければよかった。
 いつもの何か裏の在りそうな爽やかなニコニコ顔ではない。憂いを閉じ込めた、それでいて安堵した心からの笑みを覗いてしまったようだった。
 彼の生き様に同情はしない。利用するだけだ。彼だってそうだろう、シークのことを利用しているだけ。シークだけではなく、あの娘のことも、自分の影のことも。ゼルダ以外の全ての物を利用して、彼女に尽くす。彼女にすべてを費やしている。

(それだけの価値を見いだせる、そしてそんな犠牲を受け止めてしまえるのがあの姫様なのだ)

 普通なら折れてしまいそうな重責を抱えている少女を、支える振りをして自分もまた同じだけ負担をかける。それに後悔はしない。自分で決めたことだ。この、影にも悪いとは露とも思わない。


 いつの間にか彼の影は何処かに消えていた。溶けるように消えるのは、やはり魔のものに近いからだろう。知ったとして、もう疑えない。彼は自分の墓場を作るために、きっと身を粉にして尽くすだろう。その合間に、あの光り輝く姫様に取り込まれないか、それだけが不安では在るけれど。


 差し出せるものを全て差し出して、そうして解放された暁には、ラナ。君とまた、どこかで運命が交差することを祈るよ。


 柄には無いことを想って、酔っているからだと言い訳をする。
 そっと、リンクの肩を叩く。「どうした、シーク」問いかけられたのに返事をせず、「ゼルダをよろしく頼んだ」似たようなことを前にも言ったな、そう思いつつそれだけを言って、大きく伸びをした。
 夜は未だ明けない。この男に話すべきことは、まだまだ山のようにある。どちらかが潰れてしまうまで、続けても罰は当たらないだろう。




   (Fin.)