Humpty Dumpty
Humpty Dumpty had a great fall.
All the King's horses, And all the King's men
Couldn't put Humpty together again!
「会うのはこれで最後よ、チーフ」凛とした低めの女性の声が強い雨音にも掻き消されることなく、墓地に響いた。長い金色の髪は束ねてキャスケットの中に隠されてはいたが、乱れて零れている。濡れた髪先から滴る水分は、しかし雨と混じってよく見えない。チーフと呼ばれた男は顔を強張らせる。
「おい、冗談だろう。俺はあなたを守るつもりでここにいるんだぜ」生まれつきの白い髪を短く刈り上げた三十代程の男。粗雑な言葉遣いながら、相手を敬っているのが滲み出ている声色。それを聞いても彼女は顔つきを変えることはなかった。男よりも八つ九つほど下だろうに、全く気後れしてはいない。
「迷惑です。あなたも承知のように、わたくしは国外へ嫁ぐのですから」嫁ぎ先へは、数人の侍女を引き連れるのみ。それが慣習である上に、彼女の弟でもあるハイラル王はそれ以上の人員を割くのを許さないだろう。それも、王女との関係をまことしやかに噂されているこの薬師なら尚更。
彼女の言葉の意味は、彼にだって痛いほど理解できるのだ。彼女のとの関係を、否定できないという後ろめたさもある。むしろ、だから彼女を守りたいと思っているのに。王家に従属を誓ったのは種族としての使命には依らない。ハイリア人には類を見ない丸い耳。それを掻きながら、男は困ったように笑う。
「そりゃあ、困ったな。あなたがいなくちゃあ、俺がここに仕える理由はなくなってしまうんだからな」「あら、ここではわたくしの役に立てないとでも言うのかしら。そんなにあなたは無能なの?」「ならば、あなたのいないここで、この無能がどのように役に立てるのかお聞かせ願えるかな。プリンセス」
「留守を任せるわ。そうね、近いうちにわたくしはここへ戻ってくる。断言してもいいわ。そう、チーフ。だから安心して」硬い顔つきだった表情が急に崩れ、花が咲いたように笑う。大雨の中であることを忘れそうだ。彼女の天真爛漫な笑みとは似つかわしくない、雷がそばに落ちた音がする。
鼓膜を刺激する激しい雷鳴。男は彼女の言葉を聞いても、安心できはしなかった。それよりも、嫌な予感がますます胃の中をせり上がってくる。王家が国外の有力者と結んだ婚姻。なのに、近いうちにハイラルに帰ってくるだって。信じられないが、王家の血を濃く受け継ぐ彼女が言うのだからそうなのだろう。
だが、その時のハイラルの状況が彼女にとって芳しいものだとはお世辞にも思えない。「ルディ」本当はゼルダの名を受け継ぐはずだった彼女の、自分達だけで通じる愛称が震える唇から零れる。彼女はなにもかも見透かしたように微笑む。伝説の女神ハイリアを思わせるような表情に、どきりと心臓が跳ねる。
「聡いあなたなら、言わなくてもわかるはずよ。どうしてわたくしがあなたを置いていくのか」「……」わかっても、言いたくはなかった。わかりたくなどなかった。「わたくしが帰るまでに王の信頼とまでは言わない、城での立場を勝ち得なさい」微笑んだまま、無情にも宣告する。これではまるでーー
「近く、わたくしは子を孕むわ。あなたのではない子をね。どうかお願い、チーフ。その子たちを慈しんで」この王女はどれ程先の未来を、どれ程に鮮明に見たのだろうか。力があるばかりに国外へ追いやられるこの姫を、出来ることなら自分が幸せにしてやりたかった。なのに、唇を噛んで頷くしかできない。
「子の名前を決めてはいるのか」「そうね。男の子にはシークと。わたくしの元へ来なければ、シーカー族長になるはずだったあなたのように立派になるように。女の子にはーー」雷鳴が轟く。彼女の口から零れた名前には、魂が宿った。産声をあげているようである。煌めく雷光に二人は目を瞑る。
「ずるい女でしょう? ほんとうは、あなたを解放してあげるべきだと分かってて縛り付けるの」「そうしてくれないと俺が困る。あなたはもはや、ただの女ではないのだから」「これでもあなたの奥方に悪いと思っているのよ」「あれは、きっと分かってくれるはずだ」男の言葉に彼女は目を細めた
頭では分かっていても、割り切れないことだってあるのに。例えば自分のこの身、この運命だってそうだ。どうにもできない、歯軋りをして、耐えるだけ。そこはやはり男なのだろう。わかっても、教えてあげない。それが彼女の意地でもある。「あなたは、最後まで私のために全てを消費するのね」
「不服か?」「いいえ」変に語尾を上げた調子。その含みの意味するところを悟って、彼は嘆息。自分だけの女王様は、いつだって彼を試している。「命に替えたって、俺はあなたの腹の子を守るぜ」「あなたの命なんていらないわ」「物の例えだって」「冗談でもそんな腑抜けた言葉はお断りです」
女王となるに相応しい貫禄のある笑み。それを絶やさずに、まるで命じるように、厳かに。「あなたは命を犠牲をせずに、この子達を守りなさいな。出来るでしょう?あなたの命は、あなた自身の子のために使うべきよ」命を安易に投げ出すなと、それをせずに守り抜けというのだから、逆に横暴だ。
だとしても、その無茶な命令が、彼には嬉しかった。至高のものに思えた。「十五年」「……」「成人となる十五までは、あなたが生きて、守護するのよ」「それまでに命を落としたら」「あら、それが許されると思って?」拒否権は無いように思えた。言い淀んでいると、彼女はまた彼を見て笑う。
「あなたがそう約束してくれるから、わたくしは安心していけるのよ」笑顔の割に、暗い声色。何かを間違えたのかと思えた。もしかして、自分が彼女を生き急がせているのかと錯覚させる。「あなたも子を可愛がる余裕はあるのでしょうね?」急いで確認するも、彼女は笑んだまま。何も言わない。
「それじゃあ、留守は任せたわ。くれぐれも、間違いないよう。あなたと私は、今日から他人よ」「ルディ!」「留守は頼んだわ……さようなら、チーフ」遮るため声を上げて愛称を叫んでも、彼女は止まらない。言いたいことだけを言うと、最期に優しげにゆっくりと、彼の名を口に乗せた。
目の前から去っていく彼女は振り返らない。未練のカケラも、見せることなく、視界から消えていった。崩れ落ちそうになりながらも、彼は気力で態勢を保ち、息を沈め、何事もなかったかのように、彼の持ち場へと戻るため、歩みを進めた。
(昔の話)