Law and Low

01.そしてまた繰り返す ◇SIDE - SUSAN BONES

 書き損じた羊皮紙をクシャリと丸めてゴミ箱へ放り投げた。同じ部署の上司も同僚も帰ってしまった勤務時間外に何をやっているのだと自嘲する。上手くいかないことだらけだ。学生気分が抜けきらなかった研究所時代。魔法法の改正に尽力しようと、確かにそう思っていたはずなのに、目の前のことをこなすのでさえ精一杯。これじゃあ、叔母の意志を引き継ぐどころではないと、スーザン・ボーンズはため息すら殺した。
 一区切りついたところだし、そろそろ帰ろうかと鞄に手を掛けたその時『ボーンズ氏に面会です』と書かれた紙飛行機が飛んできた。『どうぞ、取り次いで』と書いてそのまま送り返す。出鼻をくじかれた気分で、部署内にある給湯所へ行き珈琲を入れる。最近は、カフェインの中毒性にやられてしまい、どうにも珈琲が手放せない。
 どうせ、来客は彼だろう。勝手に予想を立てて、珈琲を二人分。学生時代の友ジャスティン・フィンチ-フレッチリーは、珈琲が嫌いではなかったはず。
 ノックの音に、「どうぞ」と短く答えると、キィイと耳障りな音を立てて扉は開いた。その隙間から見えるのはやはり予想通りの友人である。ジャスティンは「あ、もしかして珈琲入れてくれてるんですか」と挨拶よりも先に少し声を弾ませて言った。

「やっぱり、あなただと思ったわ。ジャスティン」
「スーザンって、相変わらず明晰ですよね」

 何の含みも無さそうに感想を述べたジャスティンを面会用の小スペースへ案内した。少し古いが座り心地の悪くない二人掛けのソファがふたつ。片方に彼を座ってもらい、小さいテーブルを挟んで向かい側にスーザンも座る。

(あの夜以来、彼が積極的に関わるようになったのだ)

 就職せずに研究所へ進学したスーザンは、少しずつ在学中の友人達との距離を置くようになった。理由をつけて集まりへの参加を減らしたり、連絡の間隔が開いたり。気にかける素振りはあっても、あの人の良いハッフルパフ寮の友人達だ。無理矢理に距離を詰めたりだとか、そんなデリカシーのないことは出来ない。なのに、じわりじわりと開いていった隙間に付け込むように、ジャスティンはスーザンに関わり始めた。あの夜以来。

 心の中でこそ思っていても、その話題には触れないように、無意識に気をつけながらスーザンは珈琲を口に運んだ。ミルクのマイルドさが珈琲の苦みを打ち消している。苦みは苦手ではなかった、だけれど時間をおいた時の酸味はどうしてもミルク無しでは飲めない。
 対するジャスティンは少しの砂糖は入れているものの、ミルクは入れない。黒々とした液体を口へ運んでから、スーザンを見る。

「何で僕が来たか分かりますか、スーザン」
「さあ……彼らの誰かに頼まれて、私の様子を見にきたのではないの?」
「当たらずとも遠からずですね」

 僕も心配していたんですよ、だなんて白々しい言葉を言うのかと思った。スーザンにとって、ジャスティンは冷静沈着で相性の良い友人であったが時々含みのある発言をして、彼女を困らせる。
 だが彼は、スーザンの思っていた言葉を言うことなく、予想の斜め上の内容を投下する。

「ウリエル氏も心配していましたよ」

 無意味に喉が震えてしまったに違いない。ジャスティンは彼女から目を離さなかった。気付かれた。言葉にできない恐怖が胃の辺りをのたうち回る。もう、人間と関わりたくなんてないのに。そう言っているのに。それだけが本心じゃないのを、きっとジャスティンは気が付いている。
 スーザンは落ち着きを取り戻すべく一度、長めに瞬きをした。開いた時には、揺れない瞳。きちんと作ることが出来ているだろうかと、不安になりながらも向かいのジャスティンを見据える。

「どうして、あなたがウリエル先生のことを?」
「僕は仕事柄、研究施設の方と良く知り合いになるんです」

 ジャスティンは英国政府に魔法使いだということを隠して就職している。履歴の改竄は多少しつつも、彼は試験自体には何の魔法をせずにマグルとして挑んだはず。マグルの政府に潜り込んだ彼が、どうして魔法界の研究所に――たしかに、スーザンが師事していたウリエルという男は、マグルと魔法使いの関わり方だとか、今までの提携についてだとかそういったことを研究している方ではあったけれど――彼女の困惑を理解したように、ジャスティンは曖昧に笑った。

「まさか僕が、本当にマグルとして英国政府の役人をやっていると思ってはいませんでしたよね」
「それは……」

 確かにそうだ。そもそもイートン校を蹴ってまで、魔法界を選んだ人間だ。ジャスティンが、今更魔法を捨てるとは思えない。
 昔であればそう思い至れたはずなのに、全く彼の事情を考えていなかったことが露呈してしまったと、スーザンは思う。それでいいのに。関わりたくないのに。何故悔しく思ってしまうのだろう。

「スーザンは、少し変わりましたよね」
「あなたも、変わった」

 もう、子どものままでいられないのだ。スーザンはあの夜のことを思い出してぽろりと口を滑らせていた。「あなたも、私も、あの頃のままではいられなかったもの」ジャスティンはその隙を見逃さなかった。

「そうですよ。ハンナはネビルと結婚した。僕達だって、男女の関係になれる」

 ジャスティンのこの言葉で、彼女は自分の失言を知った。取り繕うための言葉すら出てこない。

「いい加減にしてください、スーザン。本当は関係を切ることなんて望んでないくせに」
「……ジャスティンこそ、勘違いしてるんじゃない」
「君と寝たことで、ですか? 別に僕はたった一晩のことで恋人気取ってるつもりなんてない。僕が言ってるのは、友人としての言葉ですよ。それくらいスーザン・ボーンズ、あなたならわかってるでしょうに」

 恋人でもないのに、何の気持ちもないのに、ただの友人を抱けるのか。スーザンはその問いを口の中で噛み潰した。だったら、スーザン自身はどうなのだという話になるからだ。ハンナとネビルの結婚のあと、ヤケになってジャスティンと関係を持ってしまったとき――私ははたして、ジャスティンに何かしらの気持ちを抱いていたのだろうか。彼女は自問するが、答えは出ない。
 ハンナに、何の相談もしてもらえなかった。学校を辞めるだなんて聞いてない。ハンナはてっきりアーニーと付き合うのかと思ってたのにネビルとは何処で親しくなったの。ハンナの幸せは嬉しいこと。本当に嬉しい。だけど、学生時代のように彼女と何のわだかまりを持たずにはいられない。そんな間にスーザンは家族も、叔母も、死喰い人に殺されて、人間関係を構築するのに恐怖を覚えるようになっていたのだ。
 あたたかな空間にいればいる程、自分の身の丈に会っていないように思ってしまう。失うことを恐れてしまう。臆病になった自分に、踏み込んでこない彼らが心の何処かで憎かった。なのに今更――そう思うのに、どうして彼を突き放せないのだろう。自分の弱さに吐き気がして、スーザンは「今更そんなこと言わないで欲しいわ」強がりをそのまま口にする。

「『今更』って言葉を使うくらいに長い程、自力で立ち直れなかったのは誰ですか。再度、友人として言います。スーザン、そろそろ甘えるのはやめにしませんか」
「……友人だって言うなら、どうしてあのとき私を抱いたの」
「抱きたかったから抱いて、何が悪いんですか」

 逃げ道を許さない、きつい言葉。どうにか逃げ出したくて、責めるように言ったのにも関わらず、彼は大して堪えてはいなさそうであった。むしろ、けろりと言い放った彼の言葉に一瞬唖然とする。だが、冷静に考えたらこんな会話、変じゃないの。刺さっていたはずの鋭い言葉もさておいて、スーザン自身、気が付いたら笑っていた。だって、やっぱりなんだかおかしかった。悪びれる様子もなく、弱っていたところに付け込んでいたという意識も無さそうで。
 思い悩んでいたことが、ばかみたいだった。あの夜のことを、もう気にしないことにしようと決めた。

「オーケイ、わかった。なんか、結局丸め込まれたみたいな気分だけど」
「楽な方に流れたら良いんだ、スーザン」

 嗜めるように言った、そのジャスティンの言い方にどきりとして彼の顔を見ると、熱の篭った視線で真っ直ぐと自分を射抜いていたのに気が付いてしまう。「ジャスティンって、欲求不満なの」「いいや、君が良い女なだけじゃないか」スーザンにその気がないのが知れると、すぐに熱の色を決して、彼はお茶目に微笑んだ。強要するつもりがない、このまま友人関係を続けられるのだと安心する。

「スーザン」

 なのに、真剣な声色で名前を呼ばれて、背筋がピンッと張るような緊張が走る。無意識に逃げ道を探すように、ドアへ目を走らせた。そんな彼女の内心の同様に気が付いているのかいないのか、ジャスティンは声のトーンを変えず、淡々と呟く。

「ウリエル氏、きっと連絡待ってますよ」

 彼のその言葉に、彼女は何も答えられなかった。なんて答えたのかも意識にない。確かなのは、曖昧に返事をして、そうしてジャスティンを追い返したことだけだ。