03.これはあなたのつけた傷 ◇SIDE - SUSAN BONES
ウリエルのところへ行こうとスーザンが思ったのは、何もなにもジャスティンに焚き付けられたからでない。それがなくとも、自分は研究所へ訪れただろうとスーザンは誰にでもなく言い訳をした。
ただ、研究所へ赴くのではなく彼自身にアポイントメントを取り付けて呼び出したのは、ジャスティンの影響はあるだろうということは認めなければならない。彼の言葉がなくては、果たしてウリエルという男とプライベートな場所で会おうとしただろうか。
だがしかし、人目のつくところで彼と会うことに正解だったと、スーザンは思い直す。なにせ、彼女とウリエルが最後に別れたときのこと、それはあまり良い思い出にはならないだろうから。
スーザンが約束の喫茶店へ到着すると、黒髪の長身の男は既に到着していた。窓際の日当りの良いカウンター席に座って、ぐるぐるとマグカップをかき混ぜている。いくら前にいたのか知らないが、冷めておいしくなくなっているだろうと思って、スーザンは少し申し訳ない気分になった。と、同時に彼は珈琲を飲むのかと思って少しの驚き。そうしたスーザンの気配を感じたのか、彼は顔を上げて、詰まらなさそうな表情でひらひらと彼女に手を振った。思わずびくり、と身体が強張ってしまう。ウリエルという男は、なまじ顔が整っているだけあって、それが様になるから癪に障る。どこかスリザリン寮的な誇り高い美形は、くしゃりと笑えば少しは柔らかみを感じるものを。
挨拶を交わして、隣へ腰掛けると彼はスッと今までかき混ぜていた珈琲をスーザンの方へと追いやった。注文してやったよ、だなんて押し付けがましく言って、注文を伺うカウンター越しの店主にアッサムのミルクティを注文する。釈然としないものを感じながらも、いつものことだと受け流して、用件を告げようとするが、それよりも早くウリエルが口を開く。主導権を握られたスーザンは黙ったまま、冷めたミルク入りの珈琲を口へ含んだ。
「まさか、お前から連絡があるなんてなあ」
「どういう意味でしょうか、ウリエル先生」
どういう意味も何も、自分は彼にされたことを忘れていないのに。何もかもを失った自分が、彼に溺れてしまいそうになっただけなのに、その責任を転嫁するように嫌味を返す自分に吐き気をしながらも、不味い液体を飲み込んでしまう。
「俺とジャスティン、どっちが良かった?」
「ほんっと、性格がよろしくないですよね。あなたは」
呆れたように言い放ったスーザンに、ウリエルは笑う。からかっているようなその笑い方は何とも不愉快な物だったけれど、これ以上なにかを言えば、確実に負けるのはスーザンだった。その未来が見えて、何も言えずに彼女は黙り込む。頼んだ訳でもない珈琲を機械的に口へ運んでいるうちに、彼が新たに注文したミルクティが届く。あたたかで、おいしそうなそれ。わざわざ自慢するようにゆっくりと飲む姿。やっぱり、この人、性格よくない。スーザンはもう一度心の中で呟いた。
「今日、時間を頂いたのは他でもない、立法について、あなたにご意見を頂ければ思ったからです。私が所属している魔法法執行部では、行政を担うことは出来ても、法を作る権限はないのです。司法については、法廷が開かれる際には我が部のメンバーが優先的に選出されはしますが……」
「フム。似たようなことを、先日違う人間からも尋ねられたよ、ボーンズ君」
「まさか、ジャスティン?」
「それこそ、まさかだ」
肩をすくめたウリエルはその態度で彼女の推測を否定するが、すぐには答えを言わない。暖かなミルクティを一口。そうして、窓の向こう、どこか遠い日常を見つめながら呟く。
「マルフォイ家のご子息さ。ああ、もうご子息と呼ぶのは不適当か。どうやら愛人に頼まれたらしい――グレンジャーと言ったかな」
俺はマルフォイ家の奥方と近い血縁にあるからな、なんて聞いてもいない個人情報を曝け出しているウリエルの言葉なんで聞きもせずに、スーザンはぴしゃりと言った。「ハーマイオニー・グレンジャーは、ミスター・マルフォイの愛人ではありませんよ」彼女の冷たい声色はさしてウリエルに衝撃を与えることはなかっただろうが、彼は目をぱちくりとさせる。
「グレンジャー君と知り合いだったか?」
「同僚です」
「魔法法執行部の?」
「ええ」
スーザンの肯定に、ウリエルは少し考え込んで短い溜息を漏らす。
「魔法省もボンクラばかりじゃなかったか」なんて聞き捨てならない言葉。だけれど、彼女がそれを拾うよりも早く、ウリエルはニヤリと笑った。背筋がゾッとするような、ねっとりとした嫌な笑みだった。地獄から悪魔が這い出てきたとしても、こうは笑わないだろう。彼は隣に座っているスーザンの肩にそっと手を置く。決して力を入れていないのに、逃げられない。スーザンは一瞬でそれを理解して、身体を震わせた。触れているところから彼女の身体の強張りを理解しているだろうに、表情はひとつも変えない。良くない笑みのまま、ゆっくりと口を動かす。
「さァて。ボーンズ君や。無料なのはここまでだよ。君は俺の助けが欲しい。じゃあ、何を売る? 何を担保に持ってきた?」
「……相変わらず、悪趣味」
マグル出身のジャスティンが、彼のことを『悪魔』と称するわけだ。ジャスティンは彼の何処を見て、私を心配していると言ったのだろう。スーザンは心の中で呟いた。自分だけの世界に引きこもっているのを無理矢理にでも引っ張り出すために、彼を引き合い出したのだろうか。ああ、ジャスティンの言葉なんて真に受けるんじゃなかった。そこまで考えて、スーザンはどこか無意識の深いところで彼からの心配を期待していた自分を知る。
「私は、あなたからの心配を、担保に持ってきたつもり、だったんですけどね」
言葉を一言一言区切って、特に『つもり』を強調して言えば、ニヤニヤとスーザンに笑いかけていたウリエルは、無防備な子どものようにきょとんとした顔を作る。それに不意を突かれたのはスーザンだ。「心配? 俺が?」初めて聞く言葉であるかのように繰り返す。そんなウリエルに、本当に見当違いのことを言われたのだとスーザンは逆に納得してしまった。
「ジャスティンに騙されました」
「おい、なんだジャスティンはそんなこと言って、お前をここに寄越したのか」
あいつも食えないよなあ、言った表情がいつものように自信に満ちあふれたものでも、プライドに塗れて高慢そうでも、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべているわけでもなく、ただ何とも言えずに表情を作り損ねているといった風だったのでスーザンは次に発する言葉を捕らえ損ねてしまった。
「……お前、研究所にいる時より、良い顔してるよ」
「どういう意味でしょうか」
「そのままの意味だよ。世の中に絶望してる自分に浸ってる奴がどうして、法に携われるのかって思っていたから言わなかったけど、お前、向いてるよ」
「えっ」
「元、魔法省魔法法執行部に所属していたあの人。俺の元同僚でもあるアメリア・ボーンズと同じだ。お前は天才ではないけど、天賦の才がないからこそ、たぶん細部にまで目を光らせることが出来る」
真面目な表情で、真面目なことを言っているウリエルに、何も言うことが出来ない。目の前の人間で遊ぶか、たぶらかすかしかしていなかったこの男の実力を、スーザンは知らない訳ではない。先生としては、彼女はきちんとウリエルを信用していたのだ。
そんな彼が試す訳でもなく淡々とスーザンを評価している事実に、目眩がしそうだった。
「良い仲間に恵まれたんじゃないか。グレンジャー君とボーンズ君。お互い努力の人間だ。方向は違うけどね。聞けばグレンジャー君は、既に魔法生物の地位向上で結果を残してるらしいじゃないか。ボーンズ君、君も負けずに頑張りたまえ」
「あの、ウリエル先生、私の相談については」
まとめの方向に入ってきたと思ったスーザンは、慌てて話を戻した。だけれど、ウリエルはその高慢に整った顔立ちを少し歪め、眉頭を少しだけ寄せるように皺を作ると、大きくため息をついた。
「無しだ。こういう事態への対処や意見は既にお前に残したはずだ。簡単に人に聞くんじゃなくて、失敗しても良いからひとつずつ自分の選択で前へ進め」
ノートにでも聞くんだな、という言い方をしてはいるものの、言っている内容はどこか『先生』のようで、スーザンは瞠目した。今日は、この人の意外な面ばかりを見ている気がする。知識や意見を残してくれはしたものの、先生らしさなど今まで一度も垣間見せなかったウリエルは、どうして気持ちを変えたのだろう――スーザンの戸惑いを知ってか知らずか、ウリエルはニヤリと笑みを作る。彼女の嫌いな、嫌な笑みだ。
「ま、お前はすでに何度も失敗してるしな。もうそろそろ、失敗を恐れるな」
明らかに、それはウリエルとのあのことを指していて。スーザンが非難の声をあげようとすると、ウリエルはお勘定のコインを机において立ち上がった。
「恨み言は聞かねーよ。甘言に乗せられる方が悪い。じゃあな、もう連絡してくるなよ」
「言われなくても、二度とあなたになんて!」
店を出て行くウリエルに、スーザンが立ち上がって叫ぶ。解き放たれた金色の髪をきりきりと振りまいたその姿に、喫茶店の中で優雅にお茶をしていた客達が何事かと注目する。それに恥ずかしそうに「すみません」と呟いて、彼女は椅子に座り直した。
(ウリエル先生のことばは、どう解釈したら良いのだろう)
もう一人前だと認めてもらえたのか、力を貸すまでもない事案だと思われたのか、力を貸す程ではない弟子だと言うのか。どうして今日ばかり、真面目な顔を見せるの。翻弄されてる自分を認識。(恨むわよ、ジャスティン……)八つ当たり気味に、学生時代の友人に対して腹を立てながら、アッサムのミルクティを追加注文した。暖かい紅茶で、少しばかり落ち着きたかった。