Law and Low

06.惜しみなく与えれば愛なのか ◇SIDE - JUSTIN FINCH-FLETCHLEY

 一度目の性交渉では、ジャスティンがスーザンの弱みに付け込んだわけだが、二度目はもしかしたらスーザンがジャスティンの弱みに付け込んだのかもしれない。と、そう彼は思っていた。
 あの晩からもう数日経つにも関わらず、ふと気を抜いた瞬間にスーザンのはしたない姿と、どうしてだか涙を浮かべていたあの表情を思い出す。

(彼女はいつも、嗚咽まじりに絶頂を迎えるのだ)

 前回のときも、そうだった。その時は、ハンナの結婚直後故、気持ちが昂っているのかと思っていた。彼が抱いていたような、仲間を取られたような感覚に陥って、それで泣いているのかと思ったのだ。
 なのに今回も。泣き落としのような形で情事に持ち込んだが、それが嫌だったのだろうか。ジャスティンは首を横に振る。だって、たしかにあのとき、スーザンだって抱かれたがっていたのだから。『あなたが欲しかった』だなんて、あんな場面であんな言い方をして。スーザンは男をしらない生娘ではない。反吐が出そうだが、彼女はジャスティン以外の男もしっているようだった。だから余計に、あの一言に含みを感じてしまう。――その前に、自分が放った言葉の威力は考えない。
 彼女との情事を反芻していると、待ち合わせの相手がやってきたようだった。ザカリアスの営むレストランの個室(通常は使われていない知る人ぞ知る席だ)の扉が開いたかと思うと、「わるい、待たせたな。ジャスティン」と黒髪の男が入ってきた。学生時代からベビーフェイスだとは思っていたが、そのやわらかな微笑みは年上受けしそうだし、実際彼の働いている本屋ではマダム・キラーの呼び声が高いコムギは故郷のジェスチャーだろう、両手を合わせて片目を瞑る。

「それほど待ってないから、構わないよ」

 そう言えば、「それならよかった」とけろりと笑って、ジャスティンの向かいの席へ座った。
 東洋人らしい、何を考えているかよくわからない表情は相変わらず。彼は既にテーブルに置かれていたボトルから、グラスに水を注いで一息で飲んだ。

「珍しいよな、お前の方からこうやって誘って来んの」
コムギはアーニーとセットって感じですし」
「そうか? アーニーはハンナとセットじゃね? ま、今はエイミーだけどな」
コムギには、ルーナがいるしね」
「そうそ」

 どろり、と胃の底に重たい何かが溜まっているような気持ちに教われる。(また、だ)いつものことだ。僕らの仲間が、僕ら以外といることを想像すると、こうなるのだ。ジャスティンはコムギに気が付かれないように、腹をに手を当ててその部分を温める。学生時代はそうでもなかったのに。これを忘れられるのは、スーザンと一緒にいる時だけ。ああ、なのに。情事の後、彼女に言われた言葉を脳内から追い出す。

「で、お前は最近どうなの? スーザンとなんかあるんだろ?」

 そんな時に、彼女の話題を振られたものだから、彼は動揺してしまった。そんな自分を悟られないようにゆっくりと、冷静に言葉を紡ぐ。ついでに笑顔も作った。

「……さすがコムギ。情報が早いな」
「ま、魔法省にもお得意サンがいるもんでね。アーニーだって気にしてたぞ。魔法省通ってんならあいつのとこにも顔出してやれよ」
「だって、ねえ……? なんで、わざわざ馬に蹴られて死ににいくようなことを」

 嫌な顔をして、コムギに言えば、「それもそうだな」とけろりと言われた。それで納得されたらまた胃の中に、あの重たいものが増える。

「まあ、本当はその所為じゃあないんだけどね」
「……?」
「スーザンをこちらに振り向かせるので、必死なんです」
「お前、もしかしてスーザンにマジなの?」
「いや、でも……たぶん、コムギにはわからない」

 ジャスティン達がまだラブグッドと彼女のことを呼んでいた時代。気の迷いだろうとそう思っていたのに、なのに彼はずっと一途に彼女のことを想い続けている。感情の変化はたしかにあるはずなのに、隣にいるということだけは変わらないその関係が、ジャスティンには羨ましくてたまらなかった。なのに、彼がスーザンに抱いているこの感情は、コムギがルーナに抱いているそれとは全く種類の別物なのだ。

「誰がスーザンと結婚してもいいって、ずっと思ってた。彼女の恩師をダシにして、少しでも人間関係にまた興味を持ってもらえたらいいと思ってた。だって、僕が彼女に求めるのは恋愛じゃなくて、仲間だから。なのに、僕は欲が隠せなくなったみたいです」

 コムギは黙ったまま、無表情でジャスティンを見つめていた。
 こういう時のコムギをたまらなく怖く思うこともあったが、今はそれがありがたかった。横槍を入れられたら、言葉が詰まってしまいそうだった。

「僕は彼女を、仲間を、もう、失いたくない」

 ジャスティンがその言葉を言い切ったあと、しばらく沈黙がその場を支配した。この個室には音を通さない呪文でも掛けてあるのか、ホールの雑音すら聞こえてこない。いたたまれなくなってグラスに手を取ると、氷がグラスにぶつかる音だけが響いた。破られた沈黙を合図に、コムギが表情を変えた。へにゃりと申し訳無さそうな笑みが浮かべられ、そっと口が開かれる。

「つまり、ジャスティン。お前は、仲間を、俺たちを失ったとか、考えてるわけ?」

 直接こんなことを言われたのは初めてだった。コムギは相手の気持ちを汲み取るのが得意だし、今までにも似たようなことがある度に、うまくこちらの気持ちを傷つけないように嗜められた。だから、今回もきっと――ここまで考えて気が付く。自分は、コムギに甘えてるだけだと。同じタイミングで「てゆーか、お前はスーザンに甘えてんだ?」と言われてカッとなった。顔に熱がこもる。わかってた。そんなことはわかってる。情けないし、どうしようもない。胸の内に暴れ回る負の熱に気が付いたかのように、「ちげーって、別に責めてるわけじゃねぇよ」と両手を前に出してコムギは言う。

「むしろ俺は安心してるよ。お前とスーザンってさ、学生中もさ、俺らに弱みを見せなかったじゃん」
「そんなことは……」
「あるね。お前が唯一弱いのはスーザンだって思っててさ。それこそ、俺とアーニー以上にお互いがお互いの為にあるって感じだった。だからさ、スーザンが離れたときちょっと心配してたんだけど、なんだ安心した」

 安心してもらえるような、そんな事態じゃないのに。なのに、そう言われてどうしようもなく嬉しかったのは何でなんだろう。コムギが思ったよりも、彼を、彼とスーザンの関係を的確に見ていたからか。それとも、単純に『お互いがお互いの為に』という言葉に嬉しさを覚えただけか。背中を押してもらえているような気がしたのか。泣きたくないのに、泣きたいような気持ちが込み上げてきて「僕、スーザンを抱いたんです」言うつもりもなかったことまで口にしていた。

「そうか」

 と、それだけを言ったコムギは、ジャスティンの言葉の続きを待っているようだった。熱い物が胸にせり上がってきて、そしてもうすぐ喉まで到達する。血の味が喉の奥の方でしたように錯覚しながらも、ジャスティンはそれを堪えて言った。

「彼女、いっつも泣くんだ。それに、もう会いたくないって言われてしまって――」
「は? それ、どういうこと?」
「別に無理矢理だったわけじゃ――でも、うん、泣くんだ」
「いや、そっちじゃなくて」

 見当違いの言い訳を始めたコムギを遮ったコムギは神妙そうにジャスティンを見て、そうして眉を寄せる。「会いたくないって言われたのか?」スーザンが会いたくないと言ったら会わないことを、誰にも言わずに距離を置いたあの期間に分かっているのか、深刻そうな表情だった。ジャスティンは事実は事実だと頷いて、言葉を付け足す。

「僕に彼女が出来るまでは会いたくないって、そう言われたんだ」
「は?」
「寂しさのためにセックスする関係は健全じゃないって。だから、それが許されない状態になるまで会いたくないって。僕はそれでも良いって言ったんだけど」
「そしたら?」
「そうしたら、子どもが出来たら責任取れるのかって。即答出来なかったから、僕の負け」

 ジャスティンは肩をすくめて、水を飲んだ。それでしか紛らわせない様子だった。「子ども、ねえ……僕とスーザンの間じゃあ、想像出来ないなあ」まぎれもない本音を零して、そしてコムギの方へ目を向けた。

コムギはさ、ルーナに子ども生んでもらいたい?」
「そりゃあ、いつかはね。でもまだ、今はルーナだけを愛したいかなあ」
「……ルーナは幸せ者だね」
「だろ?」
「あーあ。それに比べてスーザンってば、かわいそうだなあ! こんな面倒なのに面倒な絡まれ方されて!」
「面倒さ加減は俺ら同じレベルじゃね? スーザンだって、同じような弱り方してんだろ、どうせ。ハーマイオニーも心配してたしな」

 そのコムギの言い方で、ジャスティンはまた食い付いた。「だから! 僕は彼女が新しい仲間を作るのも嫌なんだ!」と叫んで、それでさすがに我に返った彼は慌てて「すまない、コムギ」と謝った。コムギは目を丸くした後に、声を上げて笑い出す。「なんだ、お前もそんなこどもっぽいとこ見せれるんだ」「うるさいぞ、コムギ」「良いから飲もうぜ。飲んで発散するのが一番だよ」いつかのスーザンの台詞じゃないけれど、丸め込まれたような気分になってむしゃくしゃした気持ちのまま、個室の扉を開ける。

「ザカリアス、こっちにビール! ビールとワイン! 両方とも瓶で持ってきてください! 今日こそコムギを潰してやる」
「はいはい、ちょっとおとなしく待ってて。すぐ持ってくから」

 大きな声を上げたジャスティンに一瞬驚いて、そのあとレストランの空気が壊れるとでも言いたげに嫌そうな顔を作ったザカリアスだったけれど、その表情の裏にある今までの心配と、気持ちを持ち直したことへの安堵を読み取ってこそばゆい気持ちになった。

「ザカリアスにまで、ばれてたのか」
「ばーか。心配かけてんのはスーザンだけじゃないってことだよ」

 そうだね、ごめん。と素直な気持ちで言えば、「いいってことよ」と妙に男前な返事が返ってきて笑えた。「ただし、潰れんのは俺じゃなくってお前な」という言葉にカチンときて、「望むところだよ」と売り言葉に買い言葉。ああ、もしかすると、学生時代よりも心地よいかもしれない。ずっとおなじではいられないのだ。そう思った時に思い浮かんだのは、やっぱり彼女のことだった。