Law and Low

07.がらんどうを抱えて眠る ◇SIDE - JUSTIN FINCH-FLETCHLEY

 定時に仕事を終え、そのまま実家に帰る。少し頭を冷やしたいと思って、姿あらわしをするでもなく、公共機関を使っての帰宅となった。
 最寄りのバス停から家まで少しある。傘を使うまでもない、弱い霧雨がしとしととまとわりついて、それが今の自分の気持ちを表しているようだった。あの後、閉店まで居座ったジャスティンとコムギは、仕事を終えたザカリアスを巻き込み、一晩飲み明かした。迷惑だという表情を崩さなかったザカリアスも、学生時代のようなハメの外し方にまんざらでもなかったのだろう。いつものように皮肉気な言葉遣いだけど気の緩んだ態度だったのが、簡単に見て取れた。
 けれど、もう良い歳だ。そんな無茶な飲み方をしたせいか、今日は不調気味。堅苦しいマグルのスーツを着たまま、その場で伸びをしつつ歩いていると、後ろから軽い足音が聞こえた。軽い駆け足気味のそれは、極近付いて来ると、ジャスティンの背中を叩いた。

「あ、やっぱりそうだ! おひさしぶり、ジャスティ!」
「えっ……もしかして、ジーナ?」
「えへへ。覚えててくれたんだ。そうだよ。会いたかったんだ! こないだ家の近くで見かけたから、帰ってきてるんだって思って!」

 ジーナはそう言って、ちろりと舌を出して笑った。茶目っ気たっぷりなのは、変わっていないらしい。暗い夜の道、月明かりと電灯の明かりのおかげで見えている彼女の深い緑色のアイシャドウと、自前のブラウンの髪色が、妙に秋らしさを醸し出している。上半身を覆う赤いダッフルコートも、それを冗長させていた。「そうなんですか」ジャスティンがそうやって相槌を打っても、彼女は表情を変えない。明るい雰囲気が、久々だというのに気まずさを取っ払ってしまっている。

「嘘だよ。ほんとは、ママに聞いて知ってたの」

 ペースを持っていかれるのは昔から変わらないらしい。幼馴染みであるジーナは、うふ、と笑いを零して、ブランクなんて無かったように隣に並んで歩いた。さすがに幼い頃と違って、手は取らないんだなあと思っていたら「おてても繋ぐ?」なんてまた、うふ、と笑う。慌てて首を振る。そうしたら、何かを心得たかのように頷いた。

「そうだよね。彼女さんも困るよね」
「彼女なんていないさ。君こそパートナーがいるんじゃないです?」
「いないよ、今は」

 からり、と笑った表情が、先ほどまでのそれとは違って影のあるような気がした。だけれど、それを追求出来るほど距離が近くなかった。(今は、ってことは最近までいたのだろうか)彼の知らない交友関係を築いていることは、当然だ。ジャスティンの友人たちも、ジーナの知らない人ばかり。だけれど、幼い頃あんなに親しかった彼女がジャスティンの知らないところで楽しんだり、傷ついたりしていることに、胸の奥がざわざわした。踏み込めないこの距離感が、少し寂しい。ジャスティンが気まずい思いをしているのを、彼女は悟ったのかもしれない。さっ、と表情を変えて、彼女は窺うようにジャスティンを見た。

「そーいえば、ジャスティって、あなた結局ケンフォード行かなかったんだよね」
「そもそもイートン校に行かなかったから」
「そうだったよねえ」

 もったいないなあ、なんて言う彼女に少しの違和感を覚える。それは些細なことだったけど、『ケンフォード』だなんて。

「ああ、お兄さんがケンブリッジだったっけ」
「まァね。ああ、そっか、昔はわたし、オックスブリッジって言ってた?」
「そうだよ。僕に、オックスフォードに入ってもらいたがってたじゃないですか」
「そうそう。おにいちゃんは昔からケンブリッジ派だったんだけどね。わたしは、なんでだか、オックスフォードの方が好きでさあ」

 過去を思い出すように目を細めて遠くを見て、それから、ジーナは彼の手を取った。昔みたいに無邪気に手を取って、ぎゅっと握った。その手のひらは女性らしく柔らかくて、でも昔と握り方は昔のままだ。

(こうしていれば、昔に戻ったみたいなのに)

 また過去に縋る自分の悪癖が出ているのに気付いて、心の中でため息をつく。子どもとはいえ、男女で手をつなぐなんて紳士として有り得ない。有り得ないと、今なら思えるのにこうしてつないだ手から、気持ちが伝わるのが、どうしようもなく――そんな自分の感傷が伝わってしまったのか、ジーナはうふ、とまた笑う。

「わたし、昔言ったよね。ジャスティがオックスフォードへ行ったら、結婚してあげるって」
「そんなこと言ったっけ」
「言ったよ。馬鹿だったよね、わたし。オックスフォードになんて行かなくたって、ジャスティはジャスティなのに」
「変わらないですね、あなたは」
「変わったよ。変わったと思うよ。でも、わたしはわたしだもの。根本は変わらないよね」
「どっちですか」

 思わず噴き出すと、ジーナは嬉しそうだった。
 ジーナは繋いでいた手を離すと、駆け足でジャスティンの前に飛び出すと、こちらを振り向いてふわりと笑った。今までのどんな笑顔とも違う、女性らしい控えめな笑みだった。振り向いた、その動作のせいで赤いコートの下から見えている、黒のスカートが揺れる。整えられた長い髪と、切りそろえられた前髪もさらりと揺れた。(上品だな)と素直に思った。あの頃と違うんだと。彼女の言うところの、『変わった』というところを見せつけられているようだった。

「不思議だなあ。わたし、ジャスティと結婚するとばかり思ってたのに」
「では、結婚します?」
「え」

 何を言ってるんだと言うような目で、ジーナはジャスティンを見た。ジャスティンの方にしても何も考えていないようで、「さすがに無理か」なんて言っていて、それが更に彼女を唖然とさせてしまった。そういえば昔から冗談が下手だった、なんて彼女の方こそへたくそな笑顔を作っているそばから、「冗談じゃないんですけどね」なんてジャスティンは言う。真顔だった。ジーナはたじろぐ。足を止め、その場に縫い付けられたかのように立ち止まった。ジャスティンはそんな彼女に一歩だけ近付き、彼もそのまま動かない。

「僕、今すごく結婚したい気分なんですよね」
「気分って……。ジャスィ。だって、あなたガールフレンドがいるのでしょう?」
「いやだな。いないから、困ってるんじゃないか」

 そう、いないから困っているのだ。そして、結婚して困らせてやりたいのだ。一番最後になりたくない。取り残されたくないだなんてちっぽけな見栄が彼を衝動的にさせていた。そうでなければ、あんなに親しかったとはいえ、どうして何年も会っていなかった幼馴染みに唐突にプロポーズをするだろうか。

(僕が結婚したら、彼女も困るでしょう?)

 絶頂を向かえる時には必ず涙を見せる彼女が、そうでないときに涙を見せてくれるのだろうか。それとも、笑顔で祝福してくれるのだろうか。後者だと嫌だな。寂しいな。そう思っていたら、穏やかでかわいらしい顔立ちのジーナが、またジャスティンの知らない笑い方をする。妖艶な女の顔つきのまま、彼の思いもよらないことを言う。

「あなたのママ、嬉しそうに言ってたわ。ジャスティに彼女が出来たみたいで帰りが遅いって」

 それでちょっとね、焦ってたの。だなんて、大人っぽい顔つきのまま微笑まれて、思考が停止する。淡いきもちを思い出す。この子の隣で一生を過ごすのだと思っていた時代があったのだ。確かに、この子を守っていこうと思ってたのを、どうして忘れていたのだろう。ジャスティンは記憶を反芻する。疎遠になって、封じ込めていたそれが突如として息を吹き返す。

「知ってた? わたしの初恋ってジャスティなのよ」
「きっと、僕の初恋もあなたです」
「あなたが今時電気も引かれていないような、修道院みたいな辺鄙な学校に行かずにいれば、きっとわたしたち今頃一緒だったのにね」

 ジャスティンが思わず彼女に向かって手を伸ばした、その刹那、彼女も彼に背を向ける。彼の手は彼女に届かない。「もしもの話をしたってしょうがないのにね」彼女が先を歩いてジャスティンがそれを追う。その最中、何も言えなかった。ようやく、彼らの家のある筋へ入って「付き合ってくれって言えば、今でもまだその気になってくれるのか」と呟いた。彼女に対する恋心なんてもうない。あるわけがない。だけれど、彼女となら、きっとやっていけるだろうとジャスティンは思ったのだ。スーザンともう一度会う為の、単なる都合だけではなく、過去を取り戻せるのではと。

(いいや、ジャスティン・フィンチ-フレッチリー。思い違いをするな)

 何度失敗を重ねれば気が済むのだ。自分を叱咤し、ジャスティンは弱々しくジーナを見た。

「ごめん、嘘。キミを巻き込むわけにはいかないよ。恋人が欲しいのは、僕の都合故だもの」
「パートナーが必要なの?」
「まあ、そうですね」
「おしごと?」
「いいや、そうじゃないけど」

 ジーナは何かを考えているようだった。真っ直ぐな目でジャスティンを見て、その後、自宅のある方、そしてジャスティンの家のある方を見る。切りそろえられた濃いブラウンの髪をほっそりとした指先でくるくると弄んで、それからぱちんと手を叩いた。

「ジャスティン。ジャスティン・フィンチ-フレッチリー。あなたが望むなら、わたし、あなたのお手伝いしてあげてもいいわよ。幼馴染みのよしみですもの」

 ジーナがそう言った瞬間、ジャスティンは彼女の奥に人影を見た。背格好は二人ともそんなに変わらないのだと、ここで気が付いた。久しぶりであるジーナといつのまにか距離も忘れて話せていたのはそのせいかと納得しそうになる。

「ジャスティン」

 どうして、君がここにいるのだという疑問をぶつける前に、スーザンは彼の名前を呼んだ。「ごめん、ジャスティン」それは何に対して謝っているのか、問いかけたかった。だけれど、またしてもジャスティンが発言する前に、スーザンはちらりとジーナの方を見る。「ごめんなさいね、お邪魔しちゃったみたい」「や、そんな!」やはりジャスティンの弁解は許されない。今度はジーナの方が髪の毛を弄りながらジャスティンと、突然自分たちの前に現れたスーザンを見比べる。

「ジャスティの知り合い?」
「あ、ああ。まあ、同級生ですよ」
「電気の通じてない辺鄙な学校の?」
「……うん。そうだよ」

 ジャスティンはジーナの問いに頷く。彼女は「ふぅん」とどうにも納得していなさそうな相槌を打って、それから試すようにスーザンを見て「恋人役はこの人にも頼んだの?」だなんて、今一番ばらされたくないことを。スーザンは首を傾げ、そして何かに思い立ったかのように顔色を変える。暗い夜道で良く気付けたなと、冷静な自分がそんなことを思った。

「ジャスティン! あなたまさか!」
「……恋人のいない僕に、よく会う気になりましたね。スーザン」
「だからそれを!」

 謝りにきたのよ、と消え入るような声で呟いたスーザンは、そのまま視線を落として、足下を見つめる。へんてこりんな、時代遅れのブーツを履いているなあと、場違いだけれどジャスティンは思った。そういえば、服装だって魔女の服じゃない。変な原色の赤色のブラウスに、どこでこんなのを見付けたんだって言いたくなるようなつるっつるの生地の、真っ青なスカート。大きな向日葵がどん、と描かれているストールを首に引っ掛けたスーザンは所在無さげに立ちすくんでいた。マグルにしてもおかしな格好ではあるけれど、彼女なりに気を使ってここまで来たのかもしれないとも思った。
 スーザンの名前を呼ぼうとして、呼び終わる前に「なんだ」とジーナが言う。心無しか、低い声だった。ジャスティンは肩を震わせて、ジーナの方を見た。

「なんだ、それで。わたしにあんなことを言ったのは、彼女への当てつけ? それともヤケになってたの?」
「違う」
「ジャスィ、あなたったら、なんてプレイボーイになったの」
「違うったら、ジーナ!」
「いいのよ。お先にそちらのレディとお話しなさいな」
「ジーナ!!」

 余裕を装いながらも逃げるように家へ帰ろうとするジーナ。思わず怒鳴りつけるように彼女の名前を呼ぶ。驚いた顔をしたのは、二人だった。「ジャスティンが」「珍しい」なんて、初めて顔を合わせた二人なのに息が合い過ぎていておもしろい。

「ごめんね、ジャスティ。わたしが冷静じゃなかったのは認めるわ。私の知らないあなたが見えて、ちょっと妬いちゃった。でもね、やっぱりそちらの彼女とお話ししたほうが良いと思うわ」

 私なら逃げないから。と微笑む彼女に、バツの悪い思いをしたのはジャスティンか、それともスーザンか。今度こそ、止める暇もなくジーナは家へ向かっていき、そして玄関の向こうに消えてしまった。
 残されたジャスティンはスーザンの方へと向き直る。改めて見ても、やはりへんてこな服装だったがかろうじてマグルの物とも言えなくはない。「……もしかしてその格好、僕に会うために?」おそるおそる口にした質問に、スーザンは恥ずかしそうに頷く。「変?」「変だよ」「嘘」「嘘は言わないさ」彼女は自分の身なりをもう一度見直して、やっぱりおかしいと思ったのよね、と鞄の中から黒いローブを取り出した。今着ている服の上から羽織って、ストールだけ外す。広げて、向日葵の絵をまじまじと見つめながら「やっぱり、あの人の言うことは信用するものじゃない」と顔をしかめた。
 どろり、と胃の底に重い物が溜まる。けれど、それは今までよりは収まっていた。コムギと話したせいもあるかもしれない。あるいは、ジーナの「妬いちゃった」ということばの影響かもしれない。誰にだって、自分の知らないところで何かをやっているし、誰かと話しているのだから。仲間だからといって、縛り付けるのは違う。ただ、理性でそう分かっていても、甘えは簡単には取り除けない。
 スーザンは何かを言おうとして、結局やめたらしく、視線を変な方向へぐるりと彷徨わせた後、もう一度口を開いた。

「私より何より先ほどの女性よ、ジャスティン。あの方にちゃんと弁解しなきゃ。私なんて、後で良いから」
「逃げるでしょう、スーザンは」
「言ったじゃない。もう逃げないって。会わないとも、もう言わない」
「どうだか……まあ、ジーナの嫌味はあなたじゃなくて僕に対するものですけどね」

 言っている意味がわからないと言わんばかりに、スーザンはジャスティンを見る。彼は肩をすくめた。「ホグワーツに行ったこと。たぶんジーナは、僕がオックスブリッジから逃げたと思ってるんだ」スーザンは何も言わない。ジャスティンも言葉を求めてなんていなかった。沈黙が場を支配する前に、スーザンはパチンと手を叩く。「とにかく!」話題を戻そうとする意図は明らかだったが、彼は咎めなかった。「あの方を追いなさい。私のせいで、迷惑を被るひとが出るのは嫌なのよ」「僕はいいんです?」「あなたは仲間でしょう?」なんて傲慢なことばだろう。だけれど、これで気分が上昇してしまえるんだからジャスティンは安いものだ。その隙を逃さずにスーザンは「じゃあ、また今度。次は、きちんと」と言って姿くらましをしてしまった。

(とはいっても、この時間に訪ねていくわけにもいかないか)

 せめて、携帯電話の番号だけでも知っていれば。とは思ったけれど、ジーナみたいな一般人はまだ、携帯電話なんて持っていないかもしれない。どちらにせよ、こんな夜分に実家暮らしのジーナに連絡を取る手段なんて持ち合わせていないわけで、ジャスティンはすごすごと自分の家へと撤退した。身支度もそこそこにベッドに潜る。冷たい布団に、なんだか泣きそうになった。