Law and Low

08.お互い様は重々承知 ◇SIDE - SUSAN BONES

 彼女の後ろの席にデスクのある、同期の先輩と言える彼女の方を見やれば、もう少しでどうやら仕事が一段落つきそうだった。スーザンは自分の仕事をキリの良いところで切り上げ、昼休憩へ向かう準備をする。午前中に部長に提出する必要のある書類をいくつかまとめながら、「ハーミー。ハーマイオニー」と彼女に声をかける。
 うしろでひとつに結い上げられた、癖の強い豊かな栗色の髪を揺らしながら、ハーマイオニーは大げさにスーザンの方を振り返る。「どうしたの、スーザン。何か分からないことでもあった?」心配してくれた面倒見の良い彼女に、少し申し訳なくなったがスーザンは「ありがとう、でもだいじょうぶよ」と返事をし、本来の用件を告げる。

「昼食、一緒にどうかと思って」
「あら、もうそんな時間なの。ありがとう、スージー。すぐに荷物をまとめるわ」
「焦らなくていいの。私も、部長に書類に提出しに行かなくちゃいけないし」
「なら、尚更急ぐわ! 私も出しに行かなきゃいけないのよ」

 宣言通りに、二分もしないうちに書類とデスクの上をまとめた彼女は「お待たせ、スーザン」と声を掛けながら立ち上がる。全然待ってないと笑いながら彼女も立ち上がる。
 魔法法執行部の部長は、司法の仕事にかり出されることが多い。明確に三権分立を掲げている国や地域から見たら驚くべきことだとスーザン自身も法律の勉強を始めてから、初めて知ったのだが、この英国の魔法省では立法と司法、そして彼女たちが主に扱っている行政の区分が曖昧だった。そして、法律関係ということで魔法法執行部の部長が裁判長やご意見番として司法の分野でも活躍することは、ままあることであった。
 この日も部長は、裁判の関係で呼び出され別室で仕事をしていたので、部下たちは部長に用事があれば、わざわざ出向かなければならなかった。

 部長に書類を届け終わり、煙突ネットワークを利用してダイアゴン横町まで出ようと決めた二人は、移動用暖炉へと足早に歩く。学生時代はいつも、おっとりとしたハンナに合わせていたから知らなかったが、ハーマイオニーのせかせかとしたせっかちな動き方も、スーザンには心地良いものだった。それを改めて感じながら歩いていると、ハーマイオニ―は窺うようにひっそりと声をかける。

「そういえば、スージー。あなた、ジャスティンと何かあったの?」
「えっ」
「やだ、まさか彼がここのところあなたに会いにきてたの、私が知らないとでも思ってた? それが最近無いものだから……まあ、今回は、エイミーに聞いたんだけど」
「エイミーに?」

 変に話が広がってるのかしら、とスーザンは案じて少し気分が落ち込んだ。しかし、それを表にはあらわさずに聞き返す。ハーマイオニーは彼女の様子に気付いているのかいないのか、頷いて話を続ける。

「エイミーはコムギからって。どうやら、ハッフルパフ男子組で飲み会をしたの、アーニーに自慢しにきたみたいよ。アーニーはだいぶ拗ねてたようだけど」
「アーニーは除け者にされたのね。それにしても、珍しい面子」
「最初はジャスティンとコムギだけだったみたい。でも、会場がザカリアス・スミスのお店だったから、あとで参加したみたい」
「ザカリアスの……」

 そういえば、自分が仲間を避け始めてからしばらく行っていないと気が付いて、急に懐かしさが込み上げてきた。最後にあの店へ行ったのは、ハンナの結婚式以来か。結婚式を終えたあと、仲間内で雪崩れ込むようにして彼の店へ押し掛けたのだ。そして、ジャスティンと――そこまで思い出しそうになって、スーザンは記憶を振り返る作業を慌てて止めた。

「それにしても、意外だわ。あのザカリアス・スミスがレストランをするだなんて」
「気になるなら、行く?」
「……もう良いの?」
「うん。……逃げるのは、もうやめることにする」

 神妙に尋ねたハーマイオニーに、スーザンがそうやって返事をしたら、ハーマイオニーは安心したように笑った。「それなら、連れてってもらおうかしら」彼女の言葉に、スーザンは頷く。こうやって、何の含みも持たずに彼の店へ向かうことの出来る自分の心境が、意外でならなかった。(仲間だから、かしら)ジャスティンがゆっくりと、丁寧に、時間をかけて彼女のわだかまりを解してくれたに違いない。あるいは、彼が自分と同種の悩みを抱えていることに気付いたから――
 まもなく、煙突ネットワークの利用出来る暖炉へと辿り着いた。暖炉へ飛び込もうとしたあたりで、ばったりと見知った顔を遭遇する。「あら、マルフォイじゃない」スーザンが言葉を発するよりも、同級生の先輩である彼女が慣れたように声を掛けた。

「この間はありがとう、助かったわ」
「何のことだい」
「書庫のこと、それからウリエル氏に連絡を取ってくれたこと」
「ああ、そのこと……」

 別に対したことじゃない、とか言いながらも薄らと頬を紅潮させているのが見て取れる。ハーマイオニーにお礼を言われたからなのか――いや、単純に彼が感謝を受け取ることに慣れていないだけだろう。こういうとき、こういったとても色白の肌だと格好つかないな、と少しだけ同情。スーザンは、あまり感情を他人に曝け出すことは好まなかったから。

「そうだわ。これから、私達、ダイアゴン横町でお昼をとるのよ。あなたも良ければどう?」
「……そうだな。せっかくだし、一緒させてもらうか」

 少し悩んだ挙げ句、ドラコ・マルフォイが頷く。スーザンは思わず驚いたが、誘ったはずのハーマイオニーはもっと驚いて仰け反っていた。

「驚いた! 前も思ったけれど、あなた本当に丸くなったわね」
「毒気を抜かれたとも言えるわ」

 失礼な誘い主からの言葉と、それに便乗したスーザンの横槍に、マルフォイは肩をすくめる。

「別に嫌なら誘わなければ良かっただろう。僕が希望したわけじゃない」
「ごめんなさい、マルフォイ。本当に驚いただけなのよ。行きましょう、ザカリアス・スミスのお店へ行こうって話してたの」
「ザカリアス・スミス? 僕らと同期の?」
「そうよ。私と同じ、ハッフルパフ出身のザカリアスのお店。上流向けじゃないから、あなたの口に合うか分からないけどね」
「構わない」

 マルフォイもそう頷いたので、スーザンたちは予定通りダイアゴン横町にある彼の店へ向かうことにした。入ろうと思っていた暖炉にそのまま飛び込んで、そしてダイアゴン横町へ暖炉の炎に身を預けた。






 * * *








 珍しい組み合わせの客を三人、出迎えたザカリアスの驚きようは、先ほどのハーマイオニーと比べても遜色が無い程だった。まず最初にスーザンが扉を開けた時、「スーザン!」既に十分驚いていたのにその後にハーマイオニー、続けてマルフォイが入ってきた時には「ま、マルフォイ!!?」思わず業務を忘れて叫んでしまう程だった。
 間もなくお昼時でにぎわい始めている店内。店主の叫びに寄ってざわめきが一瞬で消え去り、シンとした空気が店中を支配した。「失礼しました」というザカリアスの声で、再びざわざわとし始めた頃、「久しぶりね、ザカリアス」とスーザンが申し訳なさ半分、開き直り半分で挨拶をする。

「久しぶりどころじゃないよ。唐突に現れてどうしたんだ。僕達のこと、避けてたろ」
「逃げるのはやめたの。残念ながら、ジャスティンがそれを許してくれないようだし」
「へえ。まあ、そうだろうけど。で、ところで、そいつらは? というか、今日は客で来たの? 業務?」
「ランチよ、ランチ。ハーマイオニーは同僚だし、ほら、マルフォイはバッタリ会って」
「へえ……」

 全然納得していません、といった風情ではあったが、忙しい時間帯である。話している暇なんてありませんとばかりに、投げやりに奥の席を案内して、メニューを放った。

「ランチはそこに書いてあるだけだよ。決まったら呼んで」

 捨て台詞のようにそう言うと、彼はそのまま厨房へ戻っていった。メニューと睨めっこしながら、「思ったよりちゃんと、シェフしてるのね」「そりゃ、働くだろう。自分の店なら尚更な」「そういうあなたは働いていないじゃないの」「働かないのがジェントルマンのステータスだからな」「さいてい」マルフォイとハーマイオニーの軽口を聞き流し、注文する物を決定する。

「そういえば、あなた、パーキンソンと別れたのよね」

 食事が出て来るまでの間、グラスの中にある氷をカラン、と音立てながらお冷やを飲む。そうした沈黙の狭間にハーマイオニーが口火を切った。マルフォイは首肯して、それから「前も言った通りだ。心配しなくても、アステリアとは上手くやっているさ」と何の感情も表に出さない様子だった。

「パーキンソンは今は何をやってるの」
「フランスへ渡ったよ。働くなんて――勧めなかったんだけれど、どうしてもって言うからね。未修学のご息女がいる家庭を紹介した」
「家庭教師! まあ、あの人の家柄だと妥当なところか。に、しても、フランスねぇ」
「きっと、しばらくしたら帰ってくるさ。あれの昔馴染みが放っておくとは思えないしね」

 ドラコ・マルフォイがパンジー・パーキンソンと親しい関係だったのは、ホグワーツでも有名なことだった。実際にどういう関係だったのか、ハッフルパフのあなぐらまで聞こえることは無かったが、それで充分である。

「そう。パーキンソンの話はいいのよ。スージー、私はあなたの話がしたかったの」

 完全に蚊帳の外を決め込んでいたスーザンに、ハーマイオニーが唐突に振り返るものだから、彼女は驚いて咽せてしまった。まったく、と言いながらも面倒見の良いハーマイオニーは、背中をさすってくれた。ようやく平素の状態を取り戻したスーザンは、「何のこと?」と聞き返した。ハーマイオニーはちらりとマルフォイの方を見る。

「ここで、ジャスティンの話を振るのは酷よね……せっかくこの人もいることだし、ウリエル氏の話をしましょうか」

 その言葉に顔をしかめたのは、スーザンだけじゃなかった。マルフォイも酷い顔をしてハーマイオニーを見ている。正しい反応だろう、とスーザンは思う。

「きみの頼まれ事を引き受けたせいで、ウリエル氏の中ではきみが僕の愛人って言うことになってるんだけど」
「私も聞いたわよ、マルフォイにはグレンジャーという愛人がいるって」
「……そんなでたらめ回ってるの」
「ウリエル先生ってそういう方だから。ところで、私は彼から何にも情報を引き出せなかったんだけれど、マルフォイ、あなたは何か聞けたの?」
「僕もはぐらかされたさ。彼を満足させるものを提供出来なくてね」
「彼は何を求めてるのかしら」

 肩をすくめるマルフォイ。先ほどもこの動作を見たけれど、癖になっているのかしら。彼の私生活を少し心配しながら、スーザンは呟く。「人間である限り、彼の望みを理解するのはきっと無理よ」彼女の言葉に、マルフォイとハーマイオニーは「そんな冗談」と言ったように笑うが、スーザンとしては本気で思っていたことだった。時々、彼は人間ではないようなそんな表情をする。感情の抜け落ちたようないやな笑い方する男を、スーザンは彼以外に見たことが無かった。ジャスティンだったら、こういうことを理解してくれるのだろうか。そう思って、急にジャスティンの存在が貴重な物だと思えた。人には説明しがたい微妙な感覚を、彼は拾って共有してくれる。それなのに、そんなスーザンの内心なんて読み取ってはくれない仲間は、食事を運んできたついでにこんなことを言うのだ。

「そんなに仲が良かったら、そりゃあ、ジャスティンも妬くわけだよ」

 きょとんとしているのは、席に着いた三人全員だった。ザカリアスはため息をつきながら食事を各自の前に置きつつ、話を続ける。

「この間一晩中聞かされたんだよ。ジャスティンは、そこにいるきみの同僚に嫉妬してたんだって。あと、きみの先生ね。先生の方には既に会いにいったみたいだけど――よくわからないものだよな」
「ちょっと待って。私に嫉妬していたの?」
「だからそう言っているだろ。スーザンとジャスティンの関係は、僕達にはちょっと理解しがたいからね」

 それだけ言って、職務に戻るザカリアスが恨めしかった。爆弾だけ投下して、何をしてくれるんだと。けれど、ザカリアスは在学時代からこういう人間だったし、すこし嫌味っぽい口の聞き方も変わっていない。これを受容していた過去の自分と、少し苛立ったのは自分に自覚があるということを見つめ直して、スーザンは気持ちを落ち着けた。

「ちょっとスーザン、どういうことなの。あなたたちの関係って……」
「別に、私達、恋人同士ってわけじゃあないのよ。どちらかと言えば――そう、あなたたちの関係に少し似ているかもしれない」

 ハーマイオニーとマルフォイを見やれば、二人は困惑したような表情でスーザンを見ていた。スーザンは説明がしがたいと思いながらも言葉をひとつひとつ選んでいく。

「私達は、恋愛にもなれない男女の仲なのよ。そりゃあ、あなたたちはお互い結婚しているし、深くはなれないけれど、私達は独身だし――学生時代の仲間っていうのもあって、自分と相手の区別がつかないような依存関係だったの」
「そうなの……」
「ハーミー、あなたが心配していた件もね、そういうことなの。私が勝手にジャスティンを突き放して、身勝手に元に戻りたくて――そして、彼が昔の知り合いといるところに遭遇しちゃっただけなのよ。私が勝手に動揺しているの」

 スーザンの言葉に、なんと言って返したら良いか分からないらしい。困惑したままの表情で、ハーマイオニーは相槌を打った。こんな話はするべきではなかったかなと少し反省したのはスーザンだったが、しかし話題を軌道修正する前に、マルフォイがスーザンに「なんとなく、分からないでもない」と共感を示した。

「きみたちは――特に、サクライという存在が身近だしね。あのマクミランもエイミーと近付いて……残されていくもの同士、不健全に共鳴してしまうことは、ないことはないさ」

 僕も学生時代、一番つらい時がそうだった。悲痛な表情でぽつりとそう零した彼に噛み付くようにハーマイオニーが「パーキンソンとのこと?」と聞き返したが、彼は首を振った。「生きてはいない者さ。僕はきっとあのとき、亡いも同然だったんだよ」と神妙に呟いたのには、さすがに二人とも何も言えなかった。マルフォイについて何も言えないスーザンは、自分の方へと話を戻す。

「まあ、そういうこと。執着してるのはジャスティンの方だって、ザカリアスは思ってそうだけど、私達は結局、お互いがお互いに依存してるのよ。不健全って分かりつつも、抜け出せないの」

 距離を置くにも、距離を詰めるのにも失敗して、この先どうしたらいいのかしら。なんて囁くように零したスーザンに、ハーマイオニーは「それでも、一歩ずつ進んでるんじゃないの」と励ました。弱々しく笑って、「だといいけど――」と言いかけたスーザンは途中で言葉を途切れさせる。鈴の音をならして店へ入ってきたその人が、「スーザン」と大して大きくない声で読んだのを、彼女の耳は明確に拾い上げた。「どうして」先ほどまで水で潤っていたはずの喉が、声が、何故か掠れる。

「どうしてここにいるの、ジャスティン」
「ザカリアスに連絡を貰って。……もう、逃げないって言ったのは、本当だったみたいですね」
「そうよ。嘘なんかつかない。けれど、どうして」
「約束がしたくて。今夜、仕事が終わったら、もう一度だけあなたの屋敷へ行っても良いですか」

 軽く言っているようだけれど、ジャスティンは真剣な表情を崩さなかった。仕事を途中で抜けてきたのだろうか、どこか慌ただし気な様子を、マグルのスーツが崩れているところから感じ取ったが、スーザンは指摘しない。場を支配しているのは突然に現れたジャスティンで、同席していたハーマイオニーもマルフォイも無言のまま事態を見守っている。彼の本気に耐え切れなくなって、スーザンは首の根元へ視線をずらす。歪んだネクタイを見つめたまま少し思考して、「……ええ」スーザンはとうとう首肯した。

「ええ。わかった、待ってる」

 スーザンが言い直せば、安堵した様子を隠さずにジャスティンは微笑んだ。彼女が思った通り、彼は仕事を抜けてきたらしい。すぐに戻らないと。と言って、水一杯飲まずに店から姿を消してしまった。「私達も、そろそろ戻らなくちゃ」優雅に追加の紅茶を頼んだマルフォイを尻目に、ハーマイオニーがそう言うのでスーザンも頷く。昼の休憩も、もうすぐ終わりそうだった。

(ジャスティンは、どういう結論を出したのだろう。私はどういう結論を出すのだろう)

 ただ、午後は仕事にならなさそうだと、ぼんやりと思った。