ライ麦畑で恋をした

そのいち

 わたしが所属する特別戦後処理対策本部という臨時部署の日常はそう暇なもんじゃない。その上、勤務時間中いくらでもやることがあるし、ひとつのことが終わっても次から次へと仕事が舞い込んでくるため、同僚と交流を深める時間もない。
 そもそも、同期のほとんどがポッターの傘下(というと言い方が悪いが、在学時代に同じ防衛サークルに入っていたらしい)で、数少ない無所属組のわたしは少し浮いていた。
 しかも、唯一の同じ部署の同期アーニー・マクミランに在学時代、特別な感情を抱いていたことがあるのは否定しない。彼はそれを知らないだろう。けれど、そのせいで勝手な気まずさを覚えているのも確かで、自分から交流を深める気持ちにもなれない。

 だが、それ故に知ることもあるのだ。わたしが諦めた直接の原因でもあるそのことを。
 アーニーには、想ってる人がいる。そして、彼が三日と開けずに向かっていたその場所をわたしは知っている。
 彼女の勤め先を知ったのは偶然だったが、必然でもあった。だってそこは魔法界一有名なパブ、漏れ鍋だったからだ。

 以来、わたしは漏れ鍋に行っても、アーニーとは顔を合わさないで済むように気をつけていた。本当はそこに顔を出さない方が賢明なのだろうけれど、老舗は伊達じゃない。ここ以上に居心地の良い店なんてそうは無いし(むしろ、ポンポンあってたまるか、って思う)、友人と会うにも一人で来るにも便利だ。なにせ、職場から通いやすい。
 値段も高くはないから、新人の懐にもやさしい。
 彼はお目当ての彼女と話が出来るカウンター席の一角、すみっこに座るのを好んでいた。わたしはそれが目に入る、もうちょっと奥まった二人席に良く座っている。観葉植物や、通路のおかげで向こうからはこちらが見えにくいけれど、そのおかげでなにも思われず、二人を観察することが出来るので、わたしにとっては割と好都合だった。


 そういえばこの店で、良くも悪くもわたしが気にかけているその当人を見なくなってから、どの位経つのだろう。初め数日は、忙しいのかなとか勝手に想像していたのだけれど、結局彼は間を空けて再びやってくるということは無かった。
 来なくなったアーニーの代わりに、ホグワーツの教師がくるようになったのは最近か。彼の特等席だったそこに腰掛けて、ゆるりと笑いながら看板娘と語らう教師。二人の雰囲気はやけに合っていて、アーニーの存在が無ければこの二人は恋人同士か、またはその手前なのだろうかと考える所だ。

(もしかして、アーニーが来なくなったのは、彼が原因なのだろうか)

 気になるならば、毎日顔を突き合わせるオフィスで尋ねたらいいのに、こちらからは決して話しかけようとしないわたしはなんておかしなことをしているのだろう。そこまで深く関わり合いになるような関係でもない、それは確かだ。わたしが彼と関係を深めようとしなかったから。でも、彼からもわたしに対してなんのアプローチもなかったことを、わたしは自覚せざるを得ない。この臨時部署が解散したら、きっと何事も無かったかのように他人になって、そして彼の記憶の中から消えていくのだろう。
 それでもいい。けれど――


 あの席に彼の姿が映ることのない日々は、なんて退屈なんだろうか。
 代わりに、ただ彼のデスクの書類があのとき以上のスピードで減っているということを、わたしは出社の度に思い知らされるのだった。











 * * *










 正直言って、同期だからってアーニーと比べるのはやめてほしい、とわたしは思う。
 同情の視線を向けてくれるのは、ひとつ年上の先輩だけで、他の上司達はみんなわたしを出来損ない扱いをする。いや、たしかに出来損ないではあるけれど、その出来損ないと出来る新人を比べてどうするの。
 アーニーは、あのポッター軍団(正式にはダンブルドア軍団だったっけ)の砦ともいえるような人間だったし、なにより監督生だ。勉強熱心で、あのハーマイオニー・グレンジャーには負けるけれども、次席の座をマルフォイと争う程度の学力を持つ。
 対する私は、ちょこっと優秀だっただけで、目立った実戦経験も無く、ぬくぬくと城の中で暮らしてきた人間。そりゃたしかに、最終決戦では前線に赴く先生達の代わりに避難誘導やら下級生のケアとか、そういう裏方的な仕事をがんばっちゃったりして? それが認められて魔法省へ入社できたってだけの話なのに。あーあ、ほんと世知辛い。

 上司に呼び出されて怒られて、それで凹みながらわたしは休憩所へ向かった。煙草が吸いたい気分だったけど、怒られて煙草吸ってじゃ本当使えない部下そのものだと思って我慢した。なにもわたしはヘビースモーカーという訳でもないし。吸わなきゃ耐えらんないほどじゃない。
 珈琲の中にミルクを突っ込んで、ぐるぐると回す。すこしだけ泡立って、それもくるくるくるくる回るものだから、混ざりきったその薄茶色を見つめていたらちょっと酔いそうになる。
 一口だけごっくんして、「はあ」大きくため息をついた。

「エイミー?」
「っ! アーニー!」

 完全に油断しきっていた。
 気が抜けきっていて、だらしなくため息をついた拍子にデキる同期アーニーに声をかけられたもんだからわたしはどきっとして、思わず床に垂直に立ってしまう。ぴしっと。手は横。拳の形に握る。足は肩幅に、かかとをつけて……って、これは気をつけの姿勢じゃない。

「ぷっ、ははっ……」

 アーニーはそんなわたしの様子を見て目を丸くしたかと思うと、急に吹き出した。なにそれひどい、とばかりに「アーニー!」わたしがもう一度、声を上げて名前を呼ぶと、「ごめ……っ、おもしろくってね、エイミー……その姿勢、ははっ」謝ってない、謝りきれていないぞ、アーニー・マクミランや。

 しかし、どうして急に声を掛けてきたのか。
 疑問を持って、それを尋ねたいけれど、この状況じゃあ、うん。無理だろうなあ。
 なんて、自己完結して、ミルクだけがたっぷり入った珈琲を、ゆったり飲んでいると笑いが収まったらしいアーニーが「ごめんごめん」って今度は声を震わせずに詫びを入れてきた。けど、わたしの顔を見た瞬間表情が歪んでるんですけど。こいつ、絶対笑うの我慢してる。

「で、どうしたの? もしかして、先輩が呼び戻してこいって?」
「いいや、まだ休憩してて大丈夫だ。けれど、個人的に僕が君に用事があったんだよ」

 もったいぶった喋り方はいつも通りで、なんか安心した。
 漏れ鍋に来なくなってから、すこし元気が無かったみたいだから心配していたのだ。

「ここに、ご招待券が二枚ある。エイミー、君は新規開店、話題のレストランに興味は無いかな? 無論、お金についてきみが心配することは何もないんだけれど」

 わたしを誘ってきた意図は何だろうかと思った。でも、アーニーと距離を縮めるきっかけになるかと思うと、無下に断ることも出来ないように思えた。
 別に彼と仲良くなりたい訳じゃない、ましてやあの時のような出過ぎた恋心を抱えている訳でもない。ただ、仕事仲間と妙にぎくしゃくしたままでいるというのは、やりにくいのだ。仲良くなりたくないわけでもない。嫌う理由もない。
 わたしはスケジュールを確認して、すこし考えてから肯定の返事を告げた。
 世間はもう、夏休みである。温度調節が利いているおかげで汗はほとんどかいていないはずなのに、緊張のためか妙に身体が気持ち悪かった。