ライ麦畑で恋をした

そのさん

 アーニーの様子が気にかかり過ぎて、わたしは食事を味わうどころではなかった。
 ここにいてもいいのだろうか。少なくとも、わたしはとてもアウェイな気分である。仕方がない、身内が招待されていると聞かされた時から、わたしはそれを想定はしていたのだから。
 会話の主題は、ネビルとアボットさんの結婚の件だった。ネビルとは、ホグワーツ在学時代に良く話した者だけれど、まさか彼女と結婚するほどのお付き合いまでいっているとは思っていなかった。
 漏れ鍋で会うときはだいたい、アボットさんと話し込んでいたし、挨拶はしても、会話という会話はずっとしていなかったのだから。

「ごめん、ちょっと酔ったかも」

 わたしがそういうと、アーニーは心得たようにバルコニーへ案内する。バルコニーというよりもテラス席だろうか。ベンチがそこには置いてあって、わたし達は腰掛ける。

「せっかくのドレスがよごれるといけないから」

 さらりとわたしが座るところにハンカチを敷いてくれてなんだこのイケメン、報われろとか理不尽なことを思ってしまう始末である。あの喧噪から彼を引き離すためにテラスへやってきたけれど、もしかしたら本当に酔っていたのかもしれない。もしくは、彼は望んでいなかったのかも。もしかしたら間違えたのかもしれない。

「僕のためだろう? 気を使わせて申し訳なく思っているよ」
「いえ、わたし、本当に酔ってたみたいで」

 アーニーはわたしの「酔った」というのを口実だと認識しているようで、わたしの言い訳にはまるで耳を貸さない。彼はどれだけわたしを気遣いの人だと思っているんだろうか。実際今回はその意図があったけれど、だれにでもいつでもする訳じゃないのに。なんだか居心地がすこしだけ悪くなる。

「いつも見られてたんだな」
「え?」
「漏れ鍋。君はよくあそこに座っていたんだろう? 僕とハンナが会話している所が丸見えだった訳だ。もしかしたら、僕が行かなくなってから代わりにネビルがきていたかな」
「ええ、と。うん、ネビルが来ていた。ハンナさんと仲良さそうに。アーニーを見なくなったのはなんでか疑問だったけど」
「僕が勧めたんだ。アー、つまり、僕は知ってたんだ。あの二人が付き合ってること」

 わたしは何も言えなかった。
 黙ったままでいると、アーニーはことばを続ける。
 たぶん、わたしに理解されなくても良いのだろう。わたしがのことばなんて求めていないのだろう。
 ただ、誰かに聞いて欲しかっただけだ。隣にわたしがいる。ただそれだけ。対して親しくもなく、知らない仲でもない。けれども、部署移動したら、すぐに他人になりそうな女がいて、都合が良かっただけなのだと思う。
 それでもよかった。私は甘酸っぱい恋心を懐かしくなる気持ちはあっても、今、彼とどうにかなりたい訳じゃないのだから。すこし親しくなれれば良い、そうしたら職場の先輩達にも心配をかけなくていいし、何よりすこしだけ仕事がしやすくなる。

「聖マンゴで出逢ったんだって。ほら、知ってるかは知らないけど、ハンナ、お母様を亡くしただろう? それですこし精神が不安定になって、学校を辞めて入院してたんだ。6年生のとき。ネビルは、僕が話していいことじゃないから詳しくはいわないけれど、身内の方が、ね」
「……」
「なんども、諦めようと思ったんだよ。でも、」

 嗚咽を堪えるようで、泣いているのかと思った。けれど、まだ泣いてはいなかった。零れそうな涙を必死で瞼に堪えている。「たかだか失恋でこんなことになるって、みっともないだろう。男のくせにね」わたしはそうは思わなかったけど、彼は自分で自分を追いつめているようで心配になった。そっと、ハンカチを取り出すと、いらない、と手で突き返されてしまった。
 けれど、ここで泣いておかないと。おせっかいだけれど、引きずれは引きずるほど、つらい想いをすることになるのはわかっている。
 わたしは彼の顔に強引にハンカチを押し付けた。

「泣けば良いの、私だって泣いたんだから! 私はあなたに泣かされて、それであなたは泣かないって言うのは我慢ならないし。存分に泣きなよ。わたしが許してあげるから」
「……ははっ。君は本当に愉快だ。……こうやって、助けてもらえる気がしてたから、仲良くなりたくなかったんだ」

 震える声に私はどうして良いのか分からなくて、纏っていたストールをぎゅっと握りしめた。
 何かを言おうと口を開く。けれど、何を言おうか迷っている間に後ろから声がかかった。いつからいたのだろう。

「あっれ、まじで二人付き合ってんの。もしかして、俺お邪魔だった?」
サクライくん……」
「あ、コムギでいいって。同じ学年だったエイミーだろ。驚くなよ、さすがに覚えてるって」

 私らがごくごく近いところで身体をよせ合ってベンチに座っていたのを見て、サクライくんもといコムギくんはゲッと声を上げた。また誰かに怒られるーとか言ってるけど、本気で怒るひとはだれもいないのだろう。もちろん、アーニーだって。

「ありがとう、礼を言うよ。心配してきてくれたんだろう?」
「あーやだやだ、そういうの。俺、お前が失恋したの大笑いしてやろうと思ってきたんだもん」
「とか言って、さっきだって心配そうなまなざしを送ってきてくれたじゃないか。しっかり受け取ったよ。僕は愛されてるねぇ」
「うわ、きっしょ。俺が愛してんのはルーナだけだよ、ばーか」

 ポンポンと飛び交うテンポの良い会話。私だったらこうはいかなかった。付き合いの長さやそれに伴う様々なエピソードが、彼らの間の絆を強固にしているんだろう。
 どうなることかと思ったけど、彼が来てくれて良かった。アーニーは元気を取り戻してきている、完全復活とは言わないまでも。
 息を吐いていると、急にコムギくんが私の方を見たからびくっとして、姿勢を正してしまう。アーニーはそんな私の様子を見て、何かを思い出したように口元を笑みの形に歪めた。

「ていうか、アーニー。おまえばかだから利用するだけしてんのかもだけど、この子、めちゃくちゃ良い子じゃん。ちゃんと見てやんなよ」
「何を言ってるんだい?」
「魔法省外の人間にまで聞き伝わってるよ、戦後処理部の同期は仲が悪いって。どうせ、お前が頑になってたんだろ、ハンナとネビルが付き合ってるってきいてから」
「な、何を言ってるんだ!」

 慌てたようなアーニーが面白い。
 私じゃ引き出せない彼を、こんな間近で見たことなくて、それだけで新鮮だ。

「熱烈な告白受けてたじゃん、おまえってほんとガリ勉ばかだな。過去形だったけど。ま、仲良くしろよ。それだけだ。ルーナも待ってるし、俺は行くよ。あ、ザキからの伝言。別に抜け出したきゃ抜け出していいからな、だってさ」

 じゃあね、とまるで嵐のように言いたいことを言ってその場から立ち去った彼に、私達はふたりして唖然とする。というか、熱烈な告白! やっぱりさっきの聞いてたんだ!
 恥ずかしくなって思わず頬が赤らんだのを感じる。あーもー、コムギくんのばか!

「あ、熱くない。お酒回り過ぎちゃったのかな」
「あ、ああ……そうだね。抜けても良いって言ってたし、帰ろうか。僕らは、彼らと違って、明日も仕事がある」
「優秀な同期が手伝ってくれるのを期待してまーす」
「案外調子がいいんだな、エイミーって」

 そうだよ。知らなかったでしょ?
 以前の彼なら、知ろうともしなかったこと。
 知る必要はないって言ったらそれまでだけど、知ったら知ったで世界が広がるの。距離が縮まるの。


 ホストのスミスくんに挨拶だけして、スミスくんの横で楽しそうに笑いながら彼に張り付いている従妹さんに手を振って、それから店を出た。
 暗い夜道。いくら大戦争が終わったとはいえ、私達の部署があるように、戦後処理までは終わってはいない。
 当然、治安も安定していなくて、いつもならすこし不安を抱えての帰宅になるのだけれど、今日はあの戦争で活躍さえした優秀な同期が隣にいるから心配はいらない。
 この間までなら、ひと一人分は空けていただろうスペースを、一歩だけ近寄ってみる。それに気が付いたのか無意識なのか、アーニーもそっと一歩分だけ私のほうに身体をよせた。

「……そういえば。僕のこと優秀優秀っていうけど、得意な分野が違うだけだよ。君の力を借りたい所、ほんとはあるんだよね」

 こちらを見ずにアーニーは早口で言った。
 えっ、そこでこの褒め言葉いらない。照れるじゃん。私もふいっと顔を背けた。



 このあいだより、私と彼を隔てている壁は小さくなって、その間にある空間も狭くなった。なのに、ひとりとひとりがふたりになると世界が広がるって、なんて不思議なんだろうと思った。
 明日からの職場の色は、世界の見え方は昨日までとはほんの少し違うのだろう。そう思うとなんだかわくわくしてきた。

 甘酸っぱいあの頃の気持ちは、なかったものにはならない。だけどそれにこだわるのではなく、私と彼は新しい関係を築いていくのだと、そんな予感がひしひしとしていた。


 三日月が、細く、私達を照らす。