3. 泣くための練習
ダンブルドアがしんだ。
あの胡散臭い校長がまさか、本当に。最初は誰も信じなかったと思う。学校で葬式があげられ、沢山の人が参列し、そして彼の庇護が永遠になくなったことを知ったのだ。僕は父親に連れ帰られたために、それに参列する事は無かったけれど。
別に帰りたい訳ではなかった。いまや何処にいたって危険なのだし、僕の血筋を知れば闇の陣営が引き込もうとやってくるかもしれない。スミス家だって大した純血なのだから。
だけれど、家に帰る事を拒否しなかったのはあの娘が心配だったからだ。ずっと年下の、あの女の子。
絶対、ミシェルが泣いているに違いない。泣いてはいなくても、恐怖で一杯に違いないと、そう思って。
家に帰ると、いつもは楽天的な母親が僕らを見て、ホッとした表情を作ると、すぐに泣きそうな表情になって駆け寄ってきた。
「お母さん!」
「ああ、ベックよかった……!ザカリアスも、無事でよかった」
ベックが母さんに駆け寄って、それで崩れ落ちそうになっていた所を抱きとめた。思わず零れたという調子で、母親が僕らの無事に安堵すると、ベックは母さんの背中を撫でつつ僕と父さんを見る。
「ねえ、アルバート家は大丈夫なの? 連絡は取った?」
「いや。まだ連絡を取ってはいない。お前たちを迎えに行くのを優先した」
「なら早く! シェリーが泣いてるに決まってるわ。それに伯父さんも、」
ベックは冷静なようでいて、やはり取り乱しているようだった。それはそうだろう、仕方が無い。今、混乱していない人間なんていないのだ、僕を含めて。そう、きっと僕は正気を失っていたのだ、だからこんな事を口走ったに違いない。気が付いたら僕は、家族に向かってこう言っていた。
「僕が行くよ」
その言葉に、きょとんとしたのはベックだった。父さんも訝し気な調子で僕を見つめる。母さんに至っては、唖然としたまま固まってしまった。
「僕が行ってくる、アルバートの伯父さんのところに。ミシェルと伯父さん、うちに連れてくるよ。それでいいだろ?」
「何を馬鹿なことを言ってるの、ザック! あなたはベックと一緒にうちにいなさい! 兄さんのところになら私が行くから」
取り乱したまま、母親が大声を上げた。そんな調子なら、やっぱり僕が行った方が良いに決まってる。父親もそう思ったらしい、「ザカリアス、お前が行け」僕に向かってただそれだけを言うと、ベックが支えている母親を取り上げてリビングへと導く。僕もそれについて行った。どうせ、伯父さんの家に行くのなら姿くらましか、煙突飛行だろうから。
「本当は私が行くべきなのだろうが、今この状況で母さんとレベッカを置いて行けないのは分かるな、ザカリアス。アルバート氏のところへの連絡は、お前に頼む」
「頼まれなくたって、連れて来るだけなら僕にだってできるさ」
「シェリーを、あんたに任せて大丈夫なの、ザック」
父親の重々しい物言いを、フンッと鼻で笑い飛ばしながら僕はかわいげの無いこどものような返事をする。どっちにしたって、僕が行くつもりだったのだし、僕から言い出したのだ。今更翻すような真似はしない。それに、ミシェルは僕がーー心の中で、彼女を初めて見たときの事を思い起こす。僕の決意は変わらない。(気が向いたらね)気が向いたんだ、いま。だから僕は。そう思ったところで、ベックが声を低くして僕に言う。まるでミシェルの庇護者は自分だとでもいうみたいな言い方だ。売り言葉に買い言葉。僕はベックに向かって言い放つ。
「いい加減に騎士<ナイト>ぶるのやめたら、ベック」
「何が言いたいの、ザカリアス」
「君が守らなくっても、ミシェルは僕がーー」
言い切ろうと思って止めた。こんなところで簡単に使っていい誓いじゃない。本当にだいじなことは僕が、僕だけが知っていれば良い事なのだ。わざわざ外に流出させる必要なんて無い。
「なんでもない」
早口でそれだけを言って、僕はローブをキュッと整える振りをする。どうせ、移動すれば乱れてしまうのなんて分かりきってるけど、動作で冷静を欠いた自分を誤摩化したかったのだ。
それ以上、誰かに何かを言われないうちに、「行ってくる」それだけを言って僕は今年、覚えたばかりの姿くらましをした。
* * *
直接家の中に出るのは非常に常識知らずだということは、もちろん僕だって知っていた。だけど、この場合は不可抗力だ、そう思って僕は直接アルバート家の居間に出た。失念していたのだ、向こうだって、外を警戒しているということを。
気が付いたら僕は杖を吹き飛ばされ、すぐさま足縛りの術でも掛けられたのか床に転がされる。そのまま伯父さんは僕の上に馬乗りになって拘束した。首元に突きつけられる杖。思わず、ひゅっと息を呑んだ。
「お前は誰だ」
こんなに冷たい伯父さんの声を聞いたことが無い。こんなに冷たい伯父さんの瞳を見たことが無い。僕はパニックを起こして喉の機能を失ってしまった。すると、僕に突きつけた杖に少し力を込めて、伯父さんは低い声でもう一度聞いた。
「お前は誰だ。本物なら、私達しか知らないことを言うんだ、ザック」
「僕は、ザカリアス・スミスだ……『気が向いた』から、ミシェルを、シェリーを守りにきた」
「そう、か……」
伯父さんはゆるゆると力を抜いて、僕の上から退いた。掛けられた術も解かれ、ぴしっとくっついていた足は自由を取り戻す。「シェリー、ザックの杖を取ってくれ」いつものやさしい、だが何処か疲れた様子で立ち上がる。そっと僕に手を差し出した。僕は、けれど、掴むのを躊躇って目の前の伯父を見つめる。
「伯父さんこそ、本当だって証拠は?」
「君に示せる証拠は無いな……ただ、君に娘を守って欲しいしがない父親だよ」
「……一年前、夏休みに僕に頼んだことは?」
「『ミシェルを連れて空を飛んでやってくれ』だったかな」
それを聞いて、深いため息ひとつ。ほっと一安心して、手を掴んだ。伯父さんは、よっ、とかけ声を出しながら僕の手を引っ張り上げる。ヨロヨロしながらも立ち上がってローブを整えていると、「はい」と弱々し気な女の子の声が聞こえた。「ザックくん……」遠慮しがちなその声は、あの子のものだ。
「ミシェル」
「ザックくんの杖、拾ってきたの」
一年で、ミシェルは驚くほど成長した。今までもそうだったけれど、この年代のこどもは、こちらが戸惑ってしまうくらい、成長の速度が早い。それこそ尋常じゃない。僕はそれを表に出さないよう、ポーカーフェイスに努めながら杖を受け取った。
「伯父さん達、うちにおいでよ」
「そう言われるんじゃないか、と思ってたよ」
「母さんと父さんと、ベックが待ってる。早く行こう」
「しかし、世話になる訳には……」
何をそんなに遠慮しているのか、伯父さんは渋い顔で僕らを見た。躊躇うだろうな、とは内心思っていた。この人は、気まずさ故かスミス家に頼ろうとはしない。闇の陣営に組しているとは思わない。この人の連れ合いは、死喰い人に殺されたのだから。だが、死んだ奥さんに囚われているのではないかと、ぞくりと背筋を悪寒が走り抜けることさえある。死んだ奥さんに生き写しの娘と二人暮らしで。彼女は、ホグワーツに行くことを楽しみにしていたが、はたして、こんな状況でアルバート氏は許すのだろうか。こんな状況じゃなくても、怪しいというのに。
「夏が過ぎたら、ミシェルだって入学だ。こんなところでしもべ妖精と二人なんて、それこそ気が狂う」
「ミシェルは、ホグワーツにはやらんよ」
疲れの色を乗せたまま、伯父さんはゆっくりと冷静にそう言った。ずっと考えてきたことなのだろう、僕は想像していたことだ、と驚きもせずに受け止める。だけど、それに反応したのは僕じゃなくってミシェルだった。
「おとうさん……それ、どういうこと?」
「言葉のままだよ、シェリー。こんな状況だ、お前を手元から離す訳無いだろう?」
「いっつも! おとうさんって、いっつもそう! わたしがいやだって言ったときも、ザックくんばっかり庇ったり、あれしなさいこれしなさいってわたしに命令してばっかり。こんどは、こんどはホグワーツに行っちゃだめだの? ずっと、ずっとたのしみにしてたのに……」
ミシェルは瞼の淵に溢れんばかりの水を溜めて、キッと自分の父親を見つめている。否、むしろ睨んでいると言っても過言ではない。ずっとオドオドとおとなしかったミシェルが、今まで押さえ込んでいた感情を爆発させるかのように叫んだ。リビングにあった日用品や小物、食器の類いが彼女の魔力に反応してふわふわと浮く。それが、怪しく傾いたかと思って僕は身構えたが、予想に反してそのまま落ちることは無かった。
「でも、シェリー。ホグワーツでは、誰もお前を守ってはくれないよ? お前の好きなベックだって今年で卒業だ……卒業式は、執り行われなかったみたいだが」
「ざ、ザックくんがいるもん!!」
彼女がそう叫んだ瞬間に、ガッシャン、と今まで浮いていた物が全て落ちた。食器が割れる音が響くが、それどころじゃない。そんなものに構ってはいられない。彼女は今、なんて言った?
「ザックくんが、守りにきたって、さっき言ってたもん……守ってくれるもん」
ミシェルはもう一度、そう言った。
僕は、驚いて彼女をぽかんと見つめ続けることしか出来なかった。こんな状況でこんなこと考えている場合ではないのだが、夢ではないかと、そればっかりが頭の中をぐるぐる回る。
夢ではなかったら、なんだというのだ。僕をずっとずっと怖がってばかりいた、あのミシェル・アルバートが、僕がずっとずっとだいじにだいじに思っていたあのかわいいかわいい赤子だった女の子が、僕に守られてくれるだなんて。それを信じてくれているだなんて。それこそ、夢だとしか思えない。
「……シェリー。つらい思いも、痛い思いもするかもしれないよ」
「でも、私、ホグワーツに行きたいよ、おとうさん……。ザックくんが通ってて、ベッキーが見てきたところを、私だって見たいの」
いつの間に、この子はこんなに大きくなったのだろうか。思わず、ハッとしてしまうような台詞だった。甘えしか無かった女の子は自分の足で立っていて、そしてこちらが思わず息をのんでしまいそうなほど、儚気で、なのに落ち着いた表情で父親を見つめていた。
伯父さんは、ふと僕の方に向き直った。頭のてっぺんから足の先まで余す所無く見つめ直したかと思うと、僕の瞳を射抜くように固定する。そして、存外やさしい声色で、真剣に尋ねる。
「娘を、ミシェルを頼まれてくれるかい?」
「みんなして失礼だな、そうやって僕を疑ってばっかりで」
「ザカリアス」
「僕が守らなくて誰が守るんだよ。あの日から、ひとときだって、僕はミシェルを守ること、忘れたこと無いよ」
(そして、こういう状況で僕を全く疑わずに信用してくれたのは、ミシェルだけなのだ)
僕の言葉に安堵している伯父さんを尻目に、僕はそんなことをぼんやりと考えていた。ミシェルを見る。
彼女は座り込んで、今までどうやっていたのか水面張力でギリギリ保たせていた涙の堰を崩壊させて、ぽろぽろと涙を零している。静かに、ただの一言も言わずに。時折、ひっくという嗚咽が耐えきれずに漏れるけれど、その儚気な姿に胸がとくん、変に跳ねた。
今まで抱いていた守りたいという使命の他に、何かが芽生えた気がする。(気のせいだ)心の中で自分に強く言い聞かせて、ミシェルと目線を合わせようと膝を折った。
「ほら、泣くなよ」
「ご、ごめんね……っ。ま、守ってくれるなんて、かっ、勝手なこと、いっ、言って……」
言葉を詰まらせながら僕に謝る。だから、謝らなくて良い所で謝るのは、きみの悪い癖なんだってば。
言いたいけれど僕の方も、言葉が上手く出てこないようだった。元々、口はうまくない。まとまらない文章、何も言えずに、口で伝えるのを放棄して、僕は衝動的に彼女を腕の中に抱いた。
「余計なこと言わないで、守られてたらいいの」
僕がそう言うと、彼女も何も言わずに僕の腕の中でこくり、と頷いた。(抵抗はしないのだな)彼女は、いつのまにか、僕への恐怖心や拒絶反応を捨て去ったらしい。僕は、それが嬉しくて、誇らしくてたまらない。抱きしめているあたたかさに、ぐっとこみ上げて来るものがあって、僕は言おうとしていた言葉を放棄した。
「ミシェル」
「な、にかな……? ザックくん?」
「泣いても良い?」
「え、ええっ……い、いいよ?」
「泣くかよ、ばーか」
よくわからないことを衝動的に口走ってしまったことへの羞恥から、僕は思わず暴言を吐く。しまった、と思ったけれどもう遅い。どうしようか、訂正を入れるべきか、悩んでいる間に、ミシェルはくすくすと笑い始めた。
「……照れ隠し、なんだよね」
ああ、もう、この子はこどもじゃないのだ。こどもだけど、それ以上に『女子』という生き物なのだど、ようやく気が付いた。僕は無意識にそのことをずっと感じ取っていて、僕の中で育っていっていた、名前の無い感情はそれを養分にしていたに違いない。
「そろそろ、スミス家にお邪魔しても良いかい?」
「あっ、うん。早く行こう。姿あらわしでいいと思う」
面白そうに目を細めて僕らを見ていたアルバート氏が、遠慮しがちにそう声を掛けてきたおかげで、僕はこの場にいたもう一人の存在を思い出した。ばっ、と彼女を手放す。僕と彼女の間を割って入った空気はこの季節のわりにおそろしく冷たかったけど、それを悟られたくはない。
お得意のしかめ面を作って、僕は彼らから顔を背けた。