閉め切った扉の向こう

5. 涙の数だけすきになる

 ポッターが現れたことで、状況が一変した。守りに、ひたすら耐え抜くことに徹していたDAが、彼のサポートに方向を変えた。モチベーションが上がり沸き立つ周囲の中で、僕はげんなりしていた。 彼に対する疑問は飛ぶけれども、最終的にはいつもこうなのだ。あいつは、その傲慢さを振りかざして、それを当たり前に甘受する。あいつがいない間のDAのことなんて全く省みない。僕は、だからあいつが嫌いなのだ。ああ、はきそうだ。



「ザックくん?」



 心配そうに僕を覗きこんだミシェルに、八つ当たりをしてしまいそうになって、思わず手を口に当てた。ああ、これじゃあ、本当に吐きそうじゃないか。心配かけたい訳じゃない、というのは言い訳になるのだろうか。彼女のことを想うなら、少しでも気丈に振る舞って、不安を取り除いてやるべきだろう。余計なことにばっかり働く口は、こういうときは上手く動かない。



「気にするな」

「でも」

「気にするなって言ってるだろ」



 いつものように思わず強く言ってしまって、それからようやく反省するのだ。本当ばかなのは、僕だ。「気にするようなことじゃない」重ねて言うと、ミシェルは少し寂しそうにほほえんで、それから「ザックくんがそう言うのなら」ともう尋ねることはしなかった。 ぐちゃりと胃の底で何かが潰れる音。黒いものがじわじわと僕を浸食する。ああ、なんだーー




 ミシェルは、以前よりもーーDAに参加するよりもという意味だがーー物わかりがよくなった。前までのおどおどとした遠慮具合とは違う。成長したのだと、本人は言い張っていたが、はたしてそれはよいことなのか。



(まただ)



 また、僕は彼女のあり方を決めつけている。自分にとって都合のよい型に押し込めていったい何がしたいのだというのだ。本当はわかっている。自分以外が彼女を守るのがいやなんだ。彼女がほんの赤子だった頃のあの誓いは、僕を作り上げた土壌にしっかりと根付いている。その上、赤子には抱きようのない、どうしようもない気持ちがそれをゆがめているってことくらい、見て見ぬ振りをしているだけで本当は気づいているんだ。
 僕は、娘離れが出来てないアルバート氏とは違う。



「ザックくん、無理だけはしないでね。このところ、本当に心配なの」



 そうやって眉を下げて僕を見るな。警戒のない距離が、どれだけ僕を追いつめるのか、気が付いていないのだから質が悪い。こどもなのだろう、でも、きっと僕が思っている以上に彼女は成長している。親元から離れて、ぐっと女の子に近付いた。これからどんどん成長するのだろう。閉じ込めてしまいたい。ずっと、ずっとこどもであればいいのに。

 だって。
 そういう感情では見たくないのに、それを覆すように鼓動が速まる。変な跳ね方、自分はなんか変な病気なんじゃないかと疑うほどだ。病の方がまだマシだ、妹のような存在に恋だ愛だを持ち込むよりはよっぽど。

 自分の感情なんて全部押し殺して彼女を、ミシェルをみた。まだ心配そうな表情をしている。心配なんてさせたくないけど、彼女がいる限り、この心身の異常は続くのだろう。それこそ一生だ。だけどーー





「きみには関係ないことだから」





 ーーだけど、こういって、僕は彼女の突き放すのだ。いつもいつも。






















 開戦の合図があったのはいつだったのか、あまり覚えていない。あのポッターがここにきたから、例のあの人もここにやってきて。ホグワーツが最終決戦の舞台になって、下級生から順に避難命令が出されていたのは覚えている。成人した生徒はホグワーツに残って闇の陣営と戦う《名誉》が許された。DAのメンバー達はこぞって戦いに向かったみたいだけれど、そんなばかなことするもんか。僕は自分の命が惜しい。おとなしく並んでおけば、きっと安全。戦いなんて、向いている人間がやればいい。僕みたいに臆病で、自分勝手で、独りよがりなものは守られて大切にされているべきなんだ。
 けれど、それよりも。いやな予感が僕を襲った。下級生が先に逃げている。誰か教職員が誘導しているのだろう。だが、どうだ。偏見とはいえ戦えそうなマクゴナガルを始めとした主戦力は、ここに残ってるじゃないか。



(ミシェルは、ミシェルは無事か)



 彼女が危ない。一度その発想に襲われると、いやな予感が拭えない。気が付いたら僕は年下の後輩達を押し退けて、一年生のいる避難列の一番前まで駆けていた。途中、罵声を浴びたし、文句だって言われた。当たり前だ、僕はそれを甘んじて受け入れよう。彼女が無事ならばそれでいい。命に代えても、とは言えない。僕はやっぱり自分の身がかわいいから。だけど、あの子が苦しんでる姿を見るのは嫌だ。『関係ない』なんて言ってごめん。本当はきみにしか関係ないんだ、僕の根っこに息づいているのは、ミシェル、きみだけなんだよ。責任とってもらわなきゃ、僕が困る。

 最後に交わした気まずい会話を思い出して、嫌な気持ちになる。あれが最期になるなんて考えたくない。





 お願いだから、僕にきみを守らせて。











「ミシェル!」



 襲撃を受けて、引率の教師陣、外から来た反闇の勢力、噂の「不死鳥の騎士団」とやらの人間達が戦っている。それを見て、少なからずほっとした。僕が思っているよりも、貧弱な守りではなかった。思わず名前を呼べば、彼女を驚いたように目を見開いて僕を見た。少し気を緩めたような、そんなかわいらしいまぬけな表情でザックくん、だなんて呼ぶのを口の形で判別できる。しかしその瞬間、死喰い人がこちらに向かってくるのに気が付いた。守りの手は追いつかない、僕はとっさに杖を抜いた。「エクスペリアームス!」何も考えずに叫んでいた呪文は、口を酸っぱくしてあのポッターが教えていた、最初の呪文だった。油断した相手の手から杖がぶっ飛んでいく。ここまでうまく武装解除できたのは初めてで、僕はほっとしてしまう。本当は気をしっかり引き締めていなきゃいけないとわかってはいつつも、人を掻き分け彼女の元にたどり着いたかと思えば、衝動で抱き締めていた。



「ザックくん、ごめんね。ありがとう」



 胸に押し付けているせいでくぐもっている。それ以上に泣きそうな声、きみは何も悪くない、そう言いたかったのに言えなかった。声を出せば、嗚咽がこぼれてしまうと思った。無事でよかった、本当に無事でよかった。ここから逃げ出せたら、きちんと謝るから、今までの分も全部。だから、無事でいて。



「上級生が何故ここにいる! ……いや、今こんなことを言い争っていても仕方がないな、手を貸せ」

「……はい」



 おそらく闇払いだろう、見知らぬその人はあっという間にここを襲撃してきた数名の死喰い人を薙ぎ払うと、一年生を誘導した。僕はその補助に回った。不安そうな顔をしているミシェルに、安心させるように、ふっとほほえんでやると、また驚いたように目を見開く。誘導の担当の人たちが作ったポートキーが発動する直前、ミシェルは彼女らしからぬ大きな声で叫んだ。 「ザックくん!」思わず僕は直立したまま彼女を見る。笑顔だった。不安も、悔しさも、怖さもあるだろうに、くしゃくしゃになった顔を無理矢理、ニカッとわらいに変えて大きく口を開く。



「守ってくれて、本当にありがとう!」





 ああ、僕はそれだけでもう少し、頑張れるよ。ミシェル。こちらこそ、守らせてくれてありがとう。それは言わない。心の中に、ぐっと込み上げてくるものを押し込める。数秒間、黙ったまま気持ちを整えると、僕はポツリと呟いた。「気持ちの問題だ。放っておくと、どうしたって気になって、気持ちが乱れるんだから」自分のために彼女を守ってるのだ。だから彼女が気を病むことは無いんだ。守ってあげないとか守ってあげるとか口に出すから混乱させる。やはり、こういうことは軽々しく口にすべきじゃない。

(それに)

 認めなければいけないだろう、もう僕にとってあんな誓いは関係ないのだと。使命感から彼女を守りたい訳じゃないのだ。そんなのよわい僕の、ただの言い訳に過ぎない。
 僕は娘離れ出来ていないだけの、アルバート氏と違うんだ。(ーーああ、僕は)

「僕は、ミシェルが好きなんだ」

 思わず零れた言葉、自分の前にいる闇払いがこちらを振り向く。訝しそうな顔で「なんだ」と言ってるけれど、答える余裕はない。認めたくない。認めたくないが、認めてしまえばそれは否定出来ない。僕以外に守られて欲しくないのだって、ただの独占欲。





 そうだ。僕は男として、女の子であるあの子に恋している。








 気付きたくなくて、ずっと誤摩化していたことをようやく受け止めたら、なんだか少し気が楽になった気もする。だけれど、それ以上に、あの子が無事で良かったという気持ちが込み上げてくる。吐き気を伴う安堵。座り込みたいけれど、そんなことしている余裕は、当然無い。ぐっと堪えていると逆流は治まるが、胃の中のものを戻す代わりに目からぼろぼろと水分が零れ出た。生理的なものだと言い訳をして、乱暴に拭う。前にひとも気付いているだろうに、知らない振りをしてくれているのが、この場でのただ一つの救いでもあった。