6. 近づいた扉のそばで
忘れがたいホグワーツでのあの出来事からもうすぐ一年が経とうとしている。私はといえば、当たり前かもしれないけれど、そのままホグワーツで2年生として過ごすことになった。 ザックくんが身近にいないホグワーツ生活というのはなんだか不思議な感じがした。去年より前、ホグワーツに入学する以前は、一年に一度会うか会わないか程度だったというのに、なんかとても不思議。 あんなにいやだと思っていた、あんなに会いたくないと思っていたザックくんがいないというだけで、ホグワーツの雰囲気はがらりと変わる。 (さみしいなんて、みとめたくないなあ) なんて私はワガママなんだろう。守って欲しいだなんて思ってなかったのに。早く一人前になって、もう「守る」だなんて言わせたくなかったのに。誰にも。なのに、私は私の知らない所でたくさんたくさん守られていたんだとようやく、身を以て思い知った。 はじめはお父さんに、ベッキーに、それからザックくん。ホグワーツに入学してからはジャスティンとか、スーザンも。だいじにだいじにしてくれていたんだ。先生達は守ってくれる。でも、とくべつに私を慈しんでくれる存在が、みんな私の手の届かない所に居るんだと思うと、ね。なんていうか、本当に私はあまちゃんだったんだなあって。それを嫌だと思ってない辺り、やっぱり甘い。 でも、まあ、当然そんなことずっとずっと言ってはいられなくて、同寮の、同じ年のおともだちと(こんな私でも友達ができたんだよ!)必死になって課題をこなしているうちに、あっという間に一年は過ぎ去った。特に、1年生の時の遅れを取り戻そうと、先生方はみんな必死だったんだよ。こっちも頑張らないとあっという間に置いて行かれちゃう。補修はね、やだし。 卒業してから、ザックくんは先にお料理について学んでいたベッキーと一緒に、ダイアゴン横町の一角でレストランみたいな、バーみたいなお食事屋さんを始めた。パブ、と呼ぶにはちょっと小洒落た感じで、そういうとベッキーは目を吊り上げる。彼女の趣味は旅行だから、たぶん他所の国でいい雰囲気のお店を見かけたんだろうなあ。 一年目の今年はベッキーが主体で経営してたみたい。一年先に卒業した彼女は、お店を作るためにいろいろと動いていたみたいだからね。ザックくんは叔母さまとベッキーに、料理の腕を叩き込まれたらしい。らしい、というか、ザックくんのつくる料理は、本当においしいんだよ。みんな、信じてくれないけど。 ザックくんが料理店経営することに、びっくりする人も多いみたい。でも、私はあんまり意外なことだなって思わなかった。だって、ベッキーとザックくんのお家、スミス家には、昔から代々伝わるお料理のレシピがあるんだもん。ベッキーは叔母さまにいっつも習ってた。叔母さまは、スミス家に嫁入りするときに、ザックくんのおばあさまに叩き込まれたんだって。 叔母さまとかベッキーがつくるお料理はとってもおいしくて、ザックくんのも、最近それとおんなじくらいおいしくなってきてる。元々の、彼の癖も私は好きだったんだけどね。ちょっとだけ固めにしたりとか、焼き過ぎちゃったりとか。私が甘いもの好きだと思っているのか、私にだけお菓子を作ってくれるときは、ちょっとだけいつもより甘めなんだよ。 いいなあ、って叔母さまにお願いしても、だめだよって。これはスミス家の人間だけのモンガイフシュツのレシピだからって、教えてくれなかった。 「いいなあ、ベッキーいいなあ」 本当は出入りするのはよろしくないだろう厨房。鮮やかな手つきで、軽やかに盛りつけられていくお皿を眺めながら私は思わず呟いた。ベッキーはなにか意味ありげに微笑んだあと、私に視線を合わせるように腰を曲げた。 「ここの料理は全部、口伝えでスミス家に伝わるレシピっていうのは知ってると思うけどね、これ、考案者はヘルガ・ハッフルパフって話もあるんだよ」 「えっ?」 ここだけの話、と言うように口元に人差し指を当てて、だから簡単には教えられないの」と、ウィンクしたベッキーはなんだかお茶目に見えた。だから、それが嘘か本当なのかわからなくて、私は首を傾げる。 ベッキーは、そんな私を面白そうに見やって「ザックがハッフルパフ所属なの、私ホントはずっと首かしげてたんだけど、なかなかどうして。あの子、才能あるよ。たぶん、私より上手くなる」少し遠くで鍋の中のスープをかき混ぜ、更に装っているザックくんをチラリ。一瞬だけ、何とも言いがたい表情をしたベッキーは、すぐにニコリと笑った。 「私、今日はこれで上がることになってるから、シェリーも準備しておいで。明日のお買い物に行こうか」 私は思わず首を傾げる。なんのお買い物なのか、よくわからなかったからだ。教えてよ、と言うように視線を飛ばすけれど、ベッキーはそれを受け流すだけ。私は気になりつつも、言われ通りに荷物を取りに行くのであった。 だって、ベッキーとお買い物。それだけで嬉しいもん。 *** 馴染みの無い高級ブティックに連れてこられて、ベッキーはいつもこんなところでお買い物してるのか、と店内をぐるり。眺めていたら、ベッキーは素知らぬ顔して、馴染みの店員さんを捕まえる。「お久しぶり」なんて言いながら笑ってるあたり、もしかしたら友人か何かなのかもしれない。 ベッキーと同い年くらいだろうか、優し気な顔立ちの男性は私を見て「これが?」と彼女に尋ねる。そうよ、なんて笑うけれど、ベッキー、これってなに? 私のこと、なんか言ったの? そんな疑問はさらりと消される。 「明日、うちの店で簡単なパーティがあるの。弟の身内だけの、本当に簡単なものなんだけれど。この子に似合うドレス、見繕ってくれない?」 仰せのままに、なんて真面目な表情で言ってお辞儀。わたしがドギマギしてえっ、えっ、って言葉を探してるうちに、二人は顔をあわせて噴き出した。 もう! いくら私が慣れてないからってからかわないでよ……! じっと店員さんに見つめられたかと思えば、あっというまに二、三着引っ張ってくる。そして、どっちがいい? 私の前には色の傾倒の違うドレス。どうしようか、と悩んでたら、白を基調に、緑とか黄色とかを基調にしたどことなくナチュラルなドレスを私の前にかざした。「ん、似合うね」さらりと言われたから、照れるタイミングも失ってしまったし、何よりそのドレスがいいなって思ったタイミングだったから、心を見透かされたのかと思って、どきりとした。 「なんでわかったの?」 「ふふ、ドレスが君を選んだんだ。さ、サイズは合うかな。着てみようね」 にこりとわらって、試着室へ導いてくれるその手はなんだか優しくて、ほっとした。試着室のカーテンを閉める、その直前に降り向いたら、いつの間にか彼の隣にきていたベッキーと何か喋っていた。私の視線に気付いたのか、ひらひらっと手を振ってくれた。 着替えて出たら、ベッキーは勢い良く私をぎゅっと握りしめる。「さすが私のシェリー。かわいいわ。君もそう思うでしょう? ねぇ、マルクス」「そうだね、でもレベッカ。君は離れるべきだ、せっかくのドレスが皺になってしまうからね」二人の会話には、やっぱり店員さんとお客さんっていうような遠慮が見当たらなかった。それどころか、友人とか、そんなのよりももっともっと近しいように思った。 (もしかして) 思ったことに私が尋ねることは無い。ベッキーはきっと、しかるべきときに話してくれると思ったから。そんなことよりも、ベッキーから、明日のパーティとやらの詳細を聞いて、「えええ!」ってなってしまったのもあるんだけどね。まさか私がベッキーの代わりに、だなんて。よくザックくんは許したなあ。って。 *** ベッキーは心配しなくてもいいと言ったけれど、私は不安でたまらなかった。だって、ザックくんのお友達が集まるのでしょう。そりゃあ、ジャスティンとかスーザンに会えるのは嬉しい。でも、ザックくんは私が彼の友人達と話すのをあまり快く思ってなかったから。 けれど、実際、行ってみたら対したことは無かった。「手を出すなよ」なんて冗談めかして私を紹介してくれたし、そもそもみんな年上ばっかりで、私なんかに手を出す訳ないじゃない。一応カップル単位でのご招待だったんだし……。メインのお客様であった、ハンナさん(私と入れ違いにホグワーツを去っていたけれど、元々ザックくんたちの学年の監督生だったらしい)と今ホグワーツで講師をしてる、ロングボトム先生。にこにこと談笑しながら、コムギくんとなにやら話してる。コムギくんの連れのルーナさんは、ロングボトム先生とDAで親しくしていたようだし、なんかあの組み合わせは違和感無い。 にしても、ロングボトム先生って言い方は未だ慣れないな。薬学担当はメインでスプラウト先生が担当してるんだけど、一部だけ講師というか、補佐というか、そんな感じでロングボトム先生が担当してる。スプラウト先生、高齢だから。きっとそろそろ代替わりの準備だろう。でも、ロングボトム先生って、こないだまで生徒だった訳で、だから生徒から名前で呼ばれたりとかしてる。とくに、DAの子とか。講師っていうよりも、おにいさん先生みたいで親しみやすい。まあ、私達は寮監のスプラウト先生に教えてもらってるから、あんまり関わりはないんだけどね。 「シェリー、元気にしてた?」 ぼんやりと会場を見ていた私を見かねて、近付いてきてくれたのは、ジャスティンとスーザン。スーザンは卒業する前には掛けてなかった、太い淵の黒眼鏡を掛けててなんか雰囲気変わった、と思った。三つ編みで括ってた髪の毛は、後ろで一つにまとめられている。ジャスティンは、あんまり変わらないかなあ。相変わらず、おにいちゃんって感じで。元気にしてたよ、というつもりで頷くと、ジャスティンは私の頭をくしゅくしゅってやった。すると、せっかくの髪の毛が崩れちゃうでしょう、ってスーザンが眉を吊り上げる。やっぱりおにいちゃんとおねえちゃんみたいで、やっぱりすきだな、って思って目の前にいたジャスティンにぎゅって抱きついた。元気だったよ、の気持ちを込めて。 「元気そうで安心した。ねぇ、ザカリアスとは仲良くやってるの?」 「うん。ザックくん、前みたいに色々言わないで、私が頑張ると応援してくれるんだよ」 「そりゃあ、あいつも、自覚したみたいですしね」 心配してたのよ、と言いた気なスーザンには私の言葉ににっこりと笑ってくれる。だけど、ジャスティンの丁寧だけど、意味ありげな言葉にまた表情を硬くした。この二人、相性がいいのかわるいのか。でも、私知ってるんだ。ジャスティンはスーザン相手じゃないとこうやってふざけて言い過ぎたりしないし、スーザンもジャスティン相手にはより厳しくなることくらい。ふだんは本当に優しくてふわふわしたお姉さんなのにな。 「それより、シェリー。そろそろ離れないと、こわーい保護者クンがやってくるよ」 「僕はこのままで良いんだけどね」 「スーザン、その助言はちょっと遅かったようだ。調子に乗るなよ、ジャスティン。ミシェルもそんな風に抱きついて、はしたない」 いきなりやってきて、私とジャスティンの間を引き裂くように離したザックくん。でも、言ってることがわからなくて、思わず「はしたないって?」聞き返してしまったら、呆れたようにため息。また物わかりが悪いって思われてるのかな。でも、これが怖いって思わなくなったのはいつからだろう。 「シェリー、ザカリアスはね、僕に嫉妬してるんですって」 「ええっ?」 「ザカリアスも、君に抱きついて欲しいってこと」 「余計なことを言うんじゃないの、ジャスティン」 怒ったスーザンに「こわいなあ、スーザンってば」って笑いながら言ってるジャスティンは全然堪えていない。そぅっとザックくんを見たら「何だよ」って口を尖らせて、とげとげしく私を見た。ザックくんに、ぎゅって、されたら……うれしいけど、でも、ちょっとはずかしいな。ザックくんって、クィディッチの選手やってただけあって、見た目よりもっとしっかりした体つきで、あれ、なんでそんなこと私知ってるんだろう、と思ってカァって顔が発熱した。(だめ、これ以上考えたら)あの感触を思い出してしまうのが、こわくって、慌てて口を開いた。 「そんなことザックくん、きっと思ってないよ。それにね、」 「ん?」 「それに、私、ザックくんにはそんな風に簡単にぎゅってできないもん」 あんまりに早口だったせいか、内容に気を悪くしたのか、ザックくんのはむっとした顔つきに。そろ、っと窺うように私は顔を上げた、まっすぐ突き刺すように彼は私を見ていた。全てを見透かすようで、あのとき、私が何を思ったかも全部全部見透かされてしまいそうで、私はますます頬が火照っていくのを感じる。 (もうだめかもしれない) あの時、お父さんとの約束を違わずに、ううん、きっとそんなものなくたって、守ってくれた。ぎゅっと抱きしめられた腕から、引き寄せられた胸元から、伝わってきたように思った熱い何か。魔力だったのか、気迫だったのか、なんなのかわからない。だけど、あのね、すごく、どきどきしたんだよ。ザックくんの本気が伝染したのかもしれない。あの状況ですごく怖かったからかもしれない。 だからか、あの時から、ザックくんのまっすぐな目に見つめられるのは苦手だったのに。 視線が絡む。 私は、どうして良いか分からなくって、顔が赤いまま逃げ出そうとした。でも、それは失敗に終わる。ザックくんの、料理を始めたせいで傷だらけなその手が、私の鍛えてなくてやわやわな腕を掴む。ごつごつしているのはクィディッチの時の箒豆か、それともフライパンとかの豆か、油が飛んだ火傷か。手から熱が伝わる。ザックくんが掴んでるとこだけ、燃えて灰になってしまいそうだ。 「逃げないで」 「だって、」 「だって、何?」 怯えたような私に、冷たい言葉を落とす彼は、昔に戻ったみたいだった。けれど、着実に、彼は私の心に近付いてくる。前みたいに、言ったまま勝手に自己完結して私を突き放すってことは無い。こうやって、恥ずかしくて恥ずかしくて言いたくないことも、全部曝け出すまで許してくれない。 良いことなのか、悪いことなのかわからない。でもね、前、怖かったときより、ずっといい、と思うの。 観念した私は、 「だって、ザックくん。ザックくんといると、なんか、なんかどきどきして、恥ずかしいんだもん」 震える声だった。たぶん、声だけじゃなくって、瞼まで震えてると思う。恥ずかしくて涙が溢れてきそうだった。ぐっと、熱いものが食道やら気管やらに迫り上げてきて、どうしていいかわからなかった。泣きたくない。でも、泣きそうで。ザックくんはどうやら固まっちゃってるみたいだし、どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。半ば混乱してるところに、くしゃりと頭に触れる男性の手。 「良く頑張ったね、シェリー」 そのジャスティンの声で、ようやく私は二人の存在を思い出して、叫びそうになった。いつの間にか緩んでいたザックくんの手。振りほどいて、私は今度こそ、その場から逃げ出した。