まったく、
あなたってばダーリン失格ね

初めまして、こんにちは! まずは私の自己紹介から始めるね。
私、七篠由芽子は花も散りゆく二十代後半! 就職以来一人暮らしで自活しつつ、悠々自適、好き勝手に生きてきたんだけど、二十五歳を過ぎた頃から第二次結婚ブーム(ちなみに第一次は二十二歳くらい。ほら、高卒組の生活が落ち着いた頃ね)が押し寄せてきて、こりゃあ大変。ご祝儀貧乏になるだけなら、ま、ひとりで生きていけるくらいの稼ぎはあるから別によかったんだけど、やっぱり生活環境が変わると、周囲の話題についていけなくって、それがもう大変! それに独身者に構ってくれる人がどんどん減っていってまあ、ぶっちゃけ言ってとにかくさみしいの。
その上、前々からの親からの圧力というやつが歳を取るにつれて、どんどん強くなってきてこれもまた鬱陶(うっとう)しい。うちの家の人たちは、代々我が家に伝わる自分たちの個性をそれはもう誇りに思っているみたいで、それを少しでも多く、永く血を分けて次代に繋げていくのを自分たちの使命に思ってるってわけ。血族を大事にするこの結束力はすごいな、と今となっては思うけど、個性に関してはこの超常社会、個性保持者が溢れ返っている、というか無個性の方が珍しいこのご時世、取り立てていうほど、めちゃくちゃすごくなんて無いと思うんだけれどなあ。なんて私の考えも、実家に寄り付かないようにするっていう小娘(わたし)の些細な抵抗も、然(さ)して意味はなく――っと、「由芽子さーん、ちょっとこっち来ていただけますかー?」ごめん、向こうから呼ばれてるみたい。ちょっと待っててね、話はまたあとで!



現実逃避はそこそこにして、少し離れている場所からそれなりの音量で呼ばれていることに気が付いた私は自分のグラスの手持ちを持ったまま、結婚式の披露宴会場ほどもある広間を横切った。不躾な呼びつけ方をするなあ、と思ったけれどそれは声に出さずになるべく清楚に見えるように歩く。
なんたって今は婚活パーティの真っ只中。今回のパーティの構成としては前半部でそれぞれ持ち時間五分、一対一の自己紹介を行なったあと、この後半部――大広間での自由時間の中で、前半部で話し足りなかったり、ちょっと気になったりした人たちと親交を深める形式だ。淡く黄色い清楚な花柄刺繍の入ったシルクのふわふわドレスをよごさないように、と思うと楚々(そそ)とした動きしか取れなくて、それはとても歯がゆいことだった。社内では廊下で走っているか、物を取り落としていれば七篠だと言われるほどそそっかしいんだから。
今のこんな姿、本当の自分じゃないみたい。しかも腹部から腰部のあたりをしっかりと締め付けてメリハリを出すコルセットや、パニエ――っていうのかな? 私はあんまりそういうの詳しくないんだけど――針金でスカートを大きく広げるアレを着用した今の時代じゃあ、結婚式くらいか、それともタイムスリップしてヴェルサイユ宮殿やバッキンガム宮殿等の社交界でしか着るイメージのないこんなドレス。自慢の幼馴染であるヤオちゃんが着せてくれなきゃ、こんなの一生着るつもりなかった!
でもこれって今回のケースだと、私だけ特別気合入れすぎってわけじゃなくて、むしろヤオちゃんのコーディネートが無けりゃ、反対の意味で浮いていたのは間違いない。というのも、今日の婚活パーティのコンセプトは『仮面舞踏会』だったらしくて(街コンなり婚活パーティなりの恋活イベントが増えるにつれ、各社頑張っているそうな。ちなみに『コスプレパーティ』よりも断然『仮面舞踏会』の方が参加者からウケが良いと社員さんが口を滑らせていた)、だから私以外の参加者たちも皆、私と同じくらいというか当然私以上にそれぞれが拵(こしら)えた自慢のドレスに身を包んでいた。ゴシックっぽいものもあり、明らかにロココ風を取り入れたものもあり、あーなるほど、ルネサンスね。といったものまで様々だ。大体は自分たちの『可愛い』を寄せ集めた時代考証も何もあった物じゃないけれど、みんな満足そうだから良しとする。たまに、ドレスから小物まで良くここまでこだわり抜いたなって人もいるんだけれど、婚活においては無用の努力だと思う。私? 私はね、ヤオちゃんの独断と偏見で、前はすとん、とシンプルに落ち着く代わりに、後ろに盛り上がりのあるバッスルスタイルというらしい形のドレスを着せてもらった。
もう少し詳しく教えてあげたいところなんだけど、さっきも言ったように私はファッションに明るくないのよね。詳しくはヤオちゃんに聞いて欲しい。私と違って元々頭の良かったヤオちゃんは個性の特性上、雄英高校ヒーロー科出身としては珍しく、時間制労働(アルバイト)として大手事務所からお仕事をもらいながら(雄英のヒーロー科出身だからこそできることね)細々とヒーロー活動をしつつ、大学院まで行った彼女が正規雇用の相棒(サイドキック)としてヒーロー活動一本で働き始めてから、結構ファッション系のテレビCM出てるし。それまでは学生という身もあって、あまりメディア露出をしていなかったのだ。
周囲を観察しつつこのドレスを用意して勇気づけてくれた大好きな幼馴染を思い浮かべて、呼ばれた方へゆっくりと歩みを進める。一通りの男性とは前半部で自己紹介をしたのだが、アピール時間も短かったし誰が誰か一致するに至るのは数少ない。それでも、何となく良いなあと思った人たちがいる場所をそれとなく把握しておいた。とはいえ、見分けがつくのは仮面と衣装だから、間違いじゃなかったらいいんだけど。交換されてたら分からないが、流石にそんな無駄なことはしないだろう。
ちなみに今回のパーティ、仮面に関しては全員強制だが、男女で趣向が違う。女性はせっかくの化粧を無駄にしないようになのか、それとも男性側が女性よりも異性の見た目を気にするからなのか、私が今着用している物のように目元だけ隠すタイプの仮面か、半面って言えばわかってもらえるのかな――左右片方のどちらかだけ隠すタイプの仮面かを選ぶことが出来た。会場を見ていると、半々ってところか。そして男性は、全員そろって同じような全面を覆うタイプ。文様や色合いは多少違うけれど形はほぼ同じものなので、顔立ちから相手の身元を推測するのは不可能ってわけ。今回の趣旨(コンセプト)上、男性ほどじゃないせよ女性も含めて多かれ少なかれ顔を覆っているので、立食形式にすると不都合が多いのは皆さんにもお分かりいただけるだろう。
だから当然のように男女別の控え室が用意されていて、そこでは仮面を外しても良いことになっている。少し仮面に蒸れを感じて気分が悪くなったり、喉が渇いたり小腹がすいたりすれば、そこで飲食を済ませられるように準備されている。なんか結婚式でもそういうのあるよね。お色直しの途中にいろいろ食べられるようになってたりとかさ。と、思うと改めて金掛けてんな、このパーティ。(これ、みんなそれぞれ何円(いくら)くらい払ってここに参加してるんだろう)私自身が申し込みをしたわけじゃないので、下世話な話が気になってしまう。特に男性。女性側の比じゃないほど参加料が高いはずだ。飲食もここにそろっているし、化粧室もここにあるので、みんな最低限のものしか会場へ持ち込まない。何か持っていると気になるお相手へボディタッチするにも邪魔になるし、何なら慣れないドレスの裾のお世話だけで手いっぱいだろう。だから今、私が持っているみたいにグラスを手にしていない女の子もちらほらいる。ちなみに、ここでは電子機器類も持ち込み禁止。個人情報保護の観点からだそうだ。不必要な荷物は着替えの際に全て主催会社預かりになっている。マッチングした相手に関しては普通の『交際』として――というか主催会社の管轄から外れるのだろう――そこまで厳しくないと、最初に説明を受けたのだけれど、それ以外はここで知りえた内容は口外禁止となっている。何、誰かやんごとなき人物でも参加しているのかしら?
ハイスペ婚活とはいえ、いつもはここまで厳しくないのにどうして今回だけこんなに規制が厳しいのか、ざわざわと胸の内を燻(くすぶ)るような疑問は最初から抱いていたのだけれど、漸(ようや)く目的のところ――私を大声で呼び寄せた今回のパーティの主催側の男性社員さんが「わざわざ来てもらってすみません」と謝罪しているのを聞きながら、隣に立っている身長百八十センチメートルを越そうかという程の長身男性を見て納得した。(あー、なるほど、彼みたいなのがいるからか)なんというか、彼は見るからにイケメンオーラを放っていた。勿論、例にもれず仮面を被っているので、実際の顔立ちは分からないから想像の余地を残している。これもまた良い。それに、オーラというものがですね、ございまして……。え、実際、なんか彼の周りパチパチというか、キラキラというか、光ってない? とうとう幻覚か何か見るようになったかな、私と、思わず遠い目になる。もしかしてオーラ視の個性がここに来て発現! 二十代も終わりに近づいたこの歳で個性の複数持ちだなんて研究所が私を欲しがっちゃうぞ、なんちゃって。いやしかし、この後半になってから彼みたいな逸材が急に現れた理由は分からないけれど、こんな上玉、会場にいきなり投入すれば混乱は必至だろう。パーティ慣れをしている私を呼んだのは、きっと正しい判断だ。褒めてつかわそう。
彼は王子様としか言いようのない青を基調とした衣装を身に纏い(男性の衣装については女性向けのドレス以上に語彙力を持ち合わせていないので、各自想像で頼む)、自身の身長の半分程もある細身の模造剣を片手に持つ姿が驚くほど様になっていた。それなりに身長があるせいか彼は一見、細く見えるが、私の職業柄お会いすることもある人達――営業先で出会ったことのあるヒーロー達とも劣らない体つきは服の上からでも分かってしまう。
(相当、鍛えてんな)
もしかしたら、彼自身もヒーロー活動をしてるのかもしれないと私はひそかに想像した。帰ったらヤオちゃんに聞いてみよう。ヤオちゃんの知ってる人かもしれない。ちなみに世の中の皆さんの憧れの的であるヒーローだけれど私に言わせてみれば、プロヒーローっていうのは婚活的には一点減点(マイナス)。まあ、これ人によるしやっぱりヒーロー好きの女性って多いから(もう半ばアイドルみたいなものよね。家族にも危険を伴うからか、結婚してるプロヒーローって相対的に見てなんとなく少ないし)、社員さんはある種オススメのために私を呼んでくれたのかもしれない。それか彼を自然に溶け込ませようって魂胆の可能性も。私がキャアキャアと見境なく発情期の猿みたいにサカる人間ではないことは、ここの社員さんたちの間では周知の事実だし、私が参加してるのは私の意志よりも両親の意向が強いことを理解してくれてる。なんたって、ここ、親の会社の傘下だからね。後者のほうが強いな。と思ったところで、社員さんは私にへこへこと頭を下げて礼を言う。
「本当に今回、由芽子さんが参加してくれていて助かりました。うちとしてもウケの良い『ハイスペ男性×良個性女性』の企画なんですけど……言いにくいんですがちょっとガツガツと肉食の扱いにくい方が多くて、こう、条件が良くこういう場にまだあまり慣れていない男性を任せられる方が――って愚痴をこぼしてる場合じゃなくてですね。彼、仕事の都合で遅れてしまって、今から参加なんです。とりあえず、由芽子さんからご交流いかがです? 轟さん、こちら七篠さんです」
(いいように私を使いやがって。ハイスペ男目当ての女なんてクズばっかに決まってるじゃんか)
やっぱり後者だった模様。私を利用する気満々の社員への呆れやら、ハイスペ婚活にばっかり応募しやがる両親への憤りやら、参加しておきながらどことなく冷めた雰囲気の目の前の男性への困惑やら、そういうのをすべて巨大な猫を何匹も使って覆い隠し、にこっと微笑んだ。自分で言うのもなんだけれど、この微笑みは便利で男心に、ぐっとくるそうだ。迷っているお客様(クライアント)との対話で契約を後押しするときの必殺技と言っても過言ではない。なのに目の前の男は、表情は見えないからともかくとしても、動揺一つなさそうにこちらへ仮面を向け、軽く一礼。光の加減か何なのか右と左の虹彩の色が違うような気がしたが仮面の奥のことなので自信がない。もしかしたら気のせいなのかもしれないな。先ほど、礼をしたときに揺れたヘーゼル色の髪の毛は、会場の光の加減で輝いているけれど、何やらそれが少し妙で、ああ、ウィッグつけてんだな。と判断する。そういう趣旨のパーティとはいえ、信用できない男だな。マイナス一点。
「どうも。轟です」
七篠由芽子と言います。本日は最初から参加できず、残念でしたね」
「仕事が少し不規則で……」
「ここにいるスペック重視の皆様は普通より気にされないでしょうけど、仕事が不規則なのは少々不利ですわよ」
私は元々あんたに興味ないけどな。という心の内は決して悟られないように、ヤオちゃんの言葉遣いを借りてお嬢様っぽさを演出する。少しやり過ぎだったかな。何となく疑われているのか、不審に思われているのか、そういう雰囲気を察知して「私は、あんまり気にしませんけど。私も不規則なので」「へぇ」うふふ、と笑いながら言い訳するも、興味がなさそうに返事をされた。このような場に慣れていないとは先刻聞いていたが、それにしても目の前の人間に対して関心無さすぎじゃない? そう思ったのは間違いじゃなかったようで、この後の問答も似たようなものだった。私、YesNoクエスチョンと、聞かれた内容に答えるだけしか能のない人間のコミュニケーション能力は認めていないから。
「お仕事は何をされてるのですか? 差支えがなければ、お伺いしたいわ」
「守秘義務があるので詳しくは言えないが、慈善活動のようなものを」
「(やっぱりヒーローか?)まあ、素敵ですのね。NPOのような?」
「そんなところだ」
「……休日は何を?」
「母の見舞いだ」
「休みごとに行かれているのですか?」
「そうだ」
「お母さま、長くご入院されてるので?」
「……あなたには関係ないだろ、」
ところで、さらに付け加えて皆様にお伝えしておくと、私は元々そんなに怒りの沸点は高くない。このヒーロー社会で三大派閥ともいわれるほど人気絶頂中の三人の内のひとり、あの名前を言ってはいけない手のひら爆発させる例のヒーロー様ほどじゃあ、流石に無いけれども。蔑ろにされれば、それなり以上に怒る。しかし私の沸点の問題を置いといたとしても、この態度、無くない? ハイスペ男は地雷ばっかりだって今までの経験からそれはわかっていたけれど(とんでもなく潔癖症だったり、家庭環境に問題があったり、上から目線野郎だったり、個性婚めちゃ推奨かつ女を女と思ってなかったり、コミュニケーション能力に重大な欠陥があったり、マザコンだったり)、この男も大概酷い。婚活でいう地雷の内の一体いくつ当てはまってることやら。地雷は見えないから地雷というんです! 
私、思うんです。どんなに金を持ってたって、将来性があったって、高学歴だって、ストレスのない生活が出来ないことには幸せなんて手に入らないって。いやいやいやいや、ね、こんな奴と万が一にでも添い遂げるなんて御免だわ! ぷつん、と脳のどこかで堪忍袋の緒が切れた音がする。堪忍袋なんて存在しない、非科学的だっていうなら、これはきっと怒りで血管が切れた音に違いない。ついでに手に力が入り過ぎて、右手で持ってたグラスが砕けた。ドクンドクンという特有の痛みが走るから恐らく少し血が出てるだろう。左利きとはいえ、明日からの仕事ちょっと困るなあ。あとごめんね社員さん、掃除は頼んだ。グラスの中身がほぼ空で、せっかくのドレスが濡れなかったのは不幸中の幸いか。
こういうことを考えられる程度には頭が怒りに支配されず、むしろ妙に冷静なのが怖いけれど、目の前の澄ました顔した――仮面だから当然なんだけどそれもまた腹立たしい――王子様のような男に向かって地を這うような声を出す。
「あ・ん・た・ねぇ……ッ! こっちがおとなしくしてたら良い気になりやがって! 婚活は遊びじゃあ無いのよ、もういいから勝手に他所あたって」
もしもこれが両親の策略で、こういう相手を宛がって私を怒らせて本気にさせる手法なら脱帽物でしかないけど、まあきっと、ただただ当てが外れただけだろう。彼による大きな精神攻撃での心的損害の影響は大きく、せっかく私が被っていた、自慢の巨大な化け猫が退治されてしまったのでせめて落ち着いて一呼吸してくるために女性用控え室に向かおうとする、が、その瞬間手首が引っ張られる。思ったよりも力が強く「痛い!」思わず声を上げると、彼は少し慌てた声色で「わ、わりぃ」と素のような声を出した。こんな状況で敬語も使えないのか。申し訳ございません、でしょうが。はい、減点さらに一点。いや、もうマイナスを限界突破してんだけどさ。
「どこに行くんだ」
「化粧直し。あんたには関係ないでしょ」
言い放って手を振りほどく。駆け込んだ女性用控え室に用意されているパウダールームの鏡で見た顔はここ数年で一番酷かった。そりゃそうか。あんな扱い受けたのって、新人時代振りだもの。未だ仕事が今みたいに出来なくて、しかもそれまでは何事もそつなくこなせていた私は人に頼ることも知らず、今までのギャップに大きな挫折を味わったのよね。
鏡の中の血の気の失せた顔に、怪我をしていないほうの左手でそっと触れた。とても冷たいのに、私の手も冷えていたのか思ったより冷たさを感じなかった。この酷い顔をなんとか手直しすべく、持っていたクラッチバッグの中から小さめのコスメポーチを取り出した。
新人時代はつらい思いをしたけど、今となってはそれも懐かしい思い出だ。先輩たちに頼ることを覚え、仕事も少しずつ覚えて自分のスタイルを打ち出した私はその営業の好成績もあって、社内での扱いは今ではかなり良い。プロヒーロー向けのサポート用品会社って競合もかなり多いから、それもあって今では社内で一目置かれている。今の会社は親の会社の傘下ではない。だから、自分の力で勝ち取った今の会社の地位に誇りを持てる。
別に自分の実家に不満があるわけではないのだけれど、ねぇ? 長く続いたそれなりにお金のある家の一人娘というのは期待値も高く、煩わしいことは多いけれど、それによってたくさん守られてきたのは事実。いじめられたり暴力を受けたりしながら育ってきた人間からすれば初心者向け(イージーモード)でのスタートだ。だからとは言わないけれどこれだけのものを持っている私なら、こんなハイスペ婚活だって当然のように私が選ぶ立場だと思ってた。この私が気を使って、微笑んで、会話をしてあげて、なのに、あそこまで関心の無さそうな態度を取られては、我慢ならなかったんだわ……。
それにしたって、どうでもよい人間に振り回されるなんて、ばかばかしい。大手上場企業の営業一課の切り込み隊長としては、この程度のモチベーションコントロールは心得ています。気持ちを切り替えて、さっさと化粧を直す。気持ちの問題だけではなく事実、化粧は崩れていた。前半部は一人五分程度の自己紹介パートだったとはいえ、ここまで来る移動時間も含めると仕方がないと言えば仕方がない。ヨレたファンデーションを均一に直し、チークを付け直すとそれだけで表情がパッと華やいで見えた。これで良い。最後にヤオちゃんが「婚約が決まりましたの」と、ずっと今か今かと待ち望んでいた報告してくれた際に、プレゼントしてくれたエスティローダーの01番を唇にそっと塗りなおす。馴染ませながら鏡を見て思う。あんなに蔑ろにされたけれど笑顔をつくれば、我ながら、まだまだちゃんとかわいいじゃない。その事実を再確認できると、少々心に余裕が出て自然に微笑むことが出来た。
心の余裕をなくしてうっかりグラスを割ってしまった際に、怪我をした右手は先ほど社員さんが応急手当してくれたけれど、今日はもうグラスを持つ気にはならなくて、控え室に来た時とは違って自分のクラッチバッグだけを持って広間に出る。途端に刺すような視線を感じてそちらを見れば、何か私のことを気にして何か言いたげな様子の轟さんがいて――でも、女性陣に取り囲まれたまま身動きが出来ないようだったので、ざまあと少しだけ口悪く心の中だけで思いながら(口に出しちゃうと、ヤオちゃんに怒られちゃうからね)、別の男性のところへ向かった。どうせあの男からの視線の意味は、言いたい放題言った私への苦言でしょ。気にしない、気にしない。
「あの、私も会話に入れてもらっても良いですか?」
上目遣いで話しかける。別の女性とのお話に割り込んだ形になるのに、お声掛けした彼はにっこりと微笑んだ私にちょっとドキッとしたように動作を一瞬だけ固まらせてから頷いてくれた。ちなみに彼と話していた女性は邪魔をした私を睨んでから別の男性へ向かって行った。負け戦をしないなんて賢いじゃない、と私は思うがやっぱりこれも顔に出さない。
私が話しかけたのは、前半部に一対一で自己紹介した際、ちょっと良いな、と思った人。あの時も今も、誠実に親切に接してくれたし、何より私に興味を持っていろいろと尋ねてくれたり気を使ってくれたりした。それなのに、話をしていても何故だか私の心は前半ほど浮き立たなかった。
(今日はだめかな。なんだか気持ちが乗らなくなっちゃった)
あとは消化試合のように、何人か私に声を掛けてくれた人達と話したけれど、疲ればかりが溜まっていく。理由なんて分かり切っている。あの人と話をしてからだ。轟さん。自己紹介の際、自分の名前すらフルネームで言わず、本当に失礼な人だった。思い出すだけでむかむかしてくる。やだやだ。

さて。そんなふうに、取り繕った笑顔の裏で自分の中の苛立ちをプチプチとつぶしていると、間もなくパーティの時間は終わりを告げた。イベントによって締め方は異なるけれど、今回に関しては気になる人を配布された紙にそれぞれが記入し、社員さんがその中から集計して、マッチングした人を発表後、各自で連絡先交換をするって形となっていた。ここが主催だと大概がこのパターン。そのままその場で解散になるからマッチングした相手とどうするかは、当人たち次第ってこと。でも、大体どこかお茶したり飲みに行ったりするのが定番っぽい流れ。誰かを書くのはこのパーティに参加した者の義務だから記入はするけど、万が一マッチングしたら誰かと食事か……ちょっと今日はいいかな。疲れちゃった。今日の張り切らない具合から誰かからご指名はないと思うけど、念には念を入れて、絶対なさそうな人に投票しようかな――と魔が差したのが間違いだった。

「あはは……」
乾いた笑いで察してほしい。なぜ君は私を指名した。と逆上したくなるが、何度聞き返しても結果は変わらない。壇上に立たされ注目を浴びる一組のカップルの名前が読み上げられて――マッチング発表に関してこういう形式はやめたほうが良いと思うと、この会社には何度も進言している――私は共に脚光を浴びている右に立つ男性を見た。この中では没個性と言っても良い中世ヨーロッパの王子様風の格好(コスチューム)に細身の模造剣。なのに立ち振る舞いから鑑みて今回の参加者の中では最もオーラを放つ、ハイスペックに間違いない、コミュニケーション能力に重大な欠陥のありそうなマザコン野郎が私の隣に立っていた。私と同じく、衣装も全て外して本当の姿をさらしている。なんだ、参加者に守秘義務があるからか、別に最後まで隠し通すつもりではなかったのか。それにしたって、噂通りの端正な顔立ちが露わになると、それだけで女性陣は色めき立つ。特徴的な中央で割れた紅白ヘアに、涼しげな目元――その左側は有名だけれど、火傷の痕が残っていて痛々しい。この人のことは結婚相手として圏外だと思っていた私すら(マッチングしてちょっとラッキーだったかも)と血迷ったことを思ってしまいそうになるほど、クラっとくるイケメンが、その頭の中で何を考えているのか、仮面を外しても表情からは読み取れない。ほかの女性たちと変わらず平凡な反応しか出来ずに呆けていた私を置いてけぼりにして、まとめ役の社員さんは声を張り上げる。
「では、今回はこれで終了です! 今回残念だった方々も気になる相手と連絡先交換して帰ってくださいね~」
良い笑顔で手を振りながらの社員さんの声で、参加者はざわざわと動き出す。この会社の企画ではマッチング者の連絡先交換はほぼ確実だけれど、別の人とマッチングしていたり、残念なことにマッチングできなかったりした相手へ声を掛けるのは許されているのだ。「七篠さん、あの、よかったら、」スマートフォンを片手に私に声を掛けてきた男性を見る。声と話し方から察するに(あ、前半で良いなって思った――)相手が誰か分かった私はさしたる抵抗もなく「もちろん連絡先交換、良いですよ~」と言いながらスマートフォンを取り出そうとクラッチバッグを開こうとしたが、その手首はぐっと引っ張られる。怪我をしていない左手の方。先ほどまで私の右側に立っていた轟さんだった。「行くぞ」「え、でも、」「俺がいやなんだ」頭の中クエスチョンマークでいっぱいだし、別に私の行動制限する理由ないですよね、ていうか私あなたに気に入られる要素ありましたっけ? なんて疑問だらけの私だったが有無を言わさず引っ張られるままに歩き出す。先ほど私が痛がったことで反省して加減を覚えたのか痛くなかったし、つい一瞬前まで右側に立っていたのに怪我をしていない方の手を取った気遣いに不覚にも絆されてしまった。私ってば自分で言うのもなんだけど、ちょろい女である。
パーティの時間設定が昼過ぎから夕方までだったのは、これから親しくなりたい男女がそれぞれ個別に親睦会(アフター)に洒落込むためだ。マッチングした相手と二人きりのこともあれば、しなかった複数人の男女で飲み会をすることもある。会場から大通りへ出れば、時計を見ずともおおよその時間が分かる。間もなく沈む太陽。それに行き交う人々の層も、彼らの纏うファッションも昼とは少し変わっていた。心なしか派手になっている。轟さんは何も聞かず、適当なカフェに入る。お酒も提供しているカフェだし、食事も軽食も用意されているから会話と空気次第ではどういう方向にも持っていける。店の選び方は知っているってことか。チェーン店っていうことだけが、ちょっとマイナスだけれど、このスマートさは大幅な加点だろう。むしろ親しくない男女が話す分には、チェーン店の方が安心か? それでもコミュ力とマザコン疑惑の壁は大きくて、プラスまでにはならないけれど。席を取ったら、私が話を切り出した。そうでないと会話が進まないと思ったからだ。
「最後にお相手を選ぶとき、私に投票して何のつもりなの?」
「こちらのほうが意外だ……まさか、マッチングするとは思わなかった」
「あんた、私と一緒でわざと外すために」
大変失礼な話だといつもなら憤るところだけど、今回に関しては私もその手を使ったから人のことを言えず、呆れてため息を吐くに留めておいた。轟さんはそんな私をじっと見つめる。ヘーゼル色のウィッグも仮面も、彼の正体を隠す全てのものが取っ払われた今の姿を見て、彼が誰だか分からないとはさすがの私も言えなかった。あの轟さんだ。下手なことを言うと、ヤオちゃんにも職場にも迷惑が掛かるかもしれない――私はごく普通の一般市民であるし幼馴染のよしみもあって、毎年欠かさずヤオちゃんのところの体育祭を見ていたから知ってる。彼はヤオちゃんの代の出世頭で、今の世間を大いに騒がす三大人気ヒーローのうち、特に女性からの厚い支持層を持つヒーローだ。私もご本人様にはお会いしたことなかったけれど、営業で彼の所属する事務所は行ったことがある。というか、良く行く。優良取引先だ。私を先ほどのままじっと見つめたままの轟さんは観念したのか言いにくそうに、ぼそりと溢(こぼ)す。
「時々うちの事務所に来る、七篠さんだって気付いちまって」
「えー、うそ! 私、君に会ったことないよ」
「いつも入れ違いだった。で、初めて目の前で笑われると、柄にもなく緊張した」
まっすぐな視線を向けられ、嫌味でもなくそう言われると満更でもなかった。何度でも言わせてもらいたいのだが、既に仮面を外した轟さんは世の女性陣から熱烈なラブコールを受けるのも納得してしまうほど顔立ちが整っている。あんなごつい(と言ったら失礼かもしれない……)父親の遺伝子を引いているのかと疑う程、凛々しい顔立ち。学生時代に体育祭で見ていた子どもらしい丸みのある顔つきは引き締まっていて、どこか鋭さを増している。あの王子様ルック、絶対仮面が無いほうが萌え――じゃない映えた。(おっと、つい本音が出てしまうところだった)間違いない、私のスカウター(イケメンセンサー)で弾き出される戦闘力がそれを物語っている。そんなイケメンが真剣な表情で「わりぃ」というものだから、私は今まで怒りに駆られていたことの全てを簡単にゆるした。
「次の休み、その、会わないか?」
私から良い印象を抱かれていないのが分かっていたのだろう、言い淀みながらそれでも告げられた言葉に「いいよいいよ、どこ行くー?」私が今まで拵(こしら)えていた敬語(バリケード)、私を守っていた子猫ちゃん達も形無しに軽く了承の意を告げると、ほっとしたように轟さんは頬を緩めた。そのやわい微笑み方、こういう言い方すると語彙力なくて申し訳ないんだけど、ほんとやばい。ハイスペには実際あんまり興味ないけどイケメンにはめっぽう弱い私が機嫌を直してふにゃふにゃしていると、轟さんが言う。デートプランも自ら考えてくれるなんて、とっても殊勝なことじゃない。ねぇ? と思ったのもつかの間――
「まずは、母の見舞いに」
「ふざけんな、帰る!」
轟さんの驚きの言葉に、礼儀も行儀も関係なく、私は立ち上がった。機嫌を直すこともあっという間なら、損ねるのもあっという間なのが私である。鞄の中から千円札を数枚取り出して、机に叩きつける。あのね、これも何度だって言うけれど、どれだけイケメンでもマザコンはお断りです。
「あのね、今後のあなたのために忠告するなら、初デートのチョイスはもうちょっと気を使ったほうが良いと思いますよ」
数歩歩いて、それでもすこし良心の呵責が働いて、轟さんにそう告げる。確かに今日みたいに生涯の伴侶を見つけるような場で出会った相手を両親に紹介するのは悪くないのかもしれない。だけれど、なんでお互いのことを知らないのに、いきなり母親を紹介になるのかしらん。そんなの付き合わされるお母さまと私、どっちに対しても失礼じゃない。何でもできる実力もあって、家ではさぞかし甘やかされてきたであろうお坊ちゃんなら、そんなのも許してもらえたんでしょうね。なんて、ぷんすか怒って帰った私を茫然と見送っている轟さんの様子なんて、ついぞ振り返らなかった私には知る由もない。
まだ始めて数カ月だけれど、婚活が難しいのが良く分かった。出会いの母数も多いのだけれど結局、相手の属性スペックその他で判断するから、足きりも多い。興味の持てなかった人たちの中にも、もしかしたら素敵な方がいたかもしれないのに、とはたまに考える。相手の個性にも家柄にも年収にもさほどこだわりがあるわけではない上に、むしろ個性も家柄も関係なく、ただ一人のひととして存在したい、と願う私にとって、親の勧めるイベントで適当な相手を望むのは厳しいという現実を叩きつけられた気分だ。良い子にしていればきっと白馬の王子様が迎えに来てくれるだなんて、幼い頃から信じたことなんて一度もない。