エイプリルフール番外編:
彼はわたしの理想のダーリンだから
こんにちは。わたし、とあるヒーローと結婚して玉の輿に乗った女です。
どのヒーローと結婚したのかはあんまり公にはしたくないので、ヒーロー名は伏せておくね。今回ここには、本当はあの大物ヒーローの息子かつ、本人も氷と炎で一躍人気者になったヒーローへの日常密着記事だかなんだかが載る予定だったらしいんだけど、編集の都合とかなんとかかんとかで、突如わたしに依頼の白羽の矢が立っちゃったわけです。だから、今日は特別にあなただけにヒーローの妻としての一日をお見せしちゃいます。
これってば、秘蔵エピソードだから、ほんと、ここだけのナイショにしてね?
*
わたしたちの家庭は、共働きだ。
ヒーローとして特に男性人気の高い旦那様だけれど、彼はわたしに働くことを許してくれてる。質素な一人暮らしなら出来なくもないくらいのお給料が目的というよりはひとり、社会から断絶してしまうことを心配してのことだろう。
結婚が決まったとき、「俺は普通の男よりお前を構ってやれねぇ」と特に後ろめたさもなさそうに言い放った彼の真意はきっと、だからお前はお前で好きにしろってことなんだろうと解釈した。今時、寿退社も流行らないし。と、職場の人には説明したからか、わたしのお相手男性はごくごく一般的なひとを想像されている。わたしは敢えてそれを訂正しない。ばれたって構いやしないと彼にも彼の事務所の人たちにも言われたけれど、わたし達は式も挙げていないし、黙っていたら誰にも気付かれない。別に盛大に祝われなくたっていいの。わたしと彼のだいじなひとたちに知っていてもらえればそれでいい。
わたしが朝、けたたましいアラームと共に寝室で目覚めるとリビングからは良い匂いが漂ってきていた。朝食を作るのは彼の役目だ。夕食はわたしが作る。本当はわたしよりも彼の方が料理だって上手なのだけれど、時間の融通が利くのがわたしの方なのでそうしている。朝のトレーニングのあと朝シャンも終えたのか、まだ髪は濡れているが、彼の薄い金髪は短くツンツンと立ち上がっていて、さっすがトレードマーク。ゆるい短パンにタンクトップ、随分ラフな彼の姿を見られるのは、ヒーローの妻だけの特権だろう。何度見たって筋肉の程よく引き締まった体にはどきっとしてしまう。ヒーロースーツを着てさえも、そういう露出には無頓着でこっちがハラハラしてしまうのは、きっと知らないだろう。あのね、君の無駄のない筋肉質な体、見てるだけでちょっとムラっとするんだから、そろそろ自覚してほしい。
彼は肩にフェイスタオルを引っ掛けて、ファミリーサイズのテーブルの椅子の一つに座って新聞を読んでいたが、わたしが起きてきたことに気が付いたようだ。
「起きたのか」
元々細く鋭い目つきをさらに柄悪く細めて、彼は手に持っていた新聞を畳んで椅子に置いた。今日は洋風の気分だったらしく、トーストした食パンと熱々に焼いたベーコンとスクランブルエッグが机の上には並べられていたし、ミルクの入ったコーヒーもちょうど良い温度に冷めていた。わたしが起きてくるタイミングにぴったり合わせて食事を用意する器用さ。感謝の前に呆れてしまうほどだ。
正直親しくなる前には奥さんになる人には自分の世話の全てを要求したり、さもなくば「これでも食ってろ」と賞味期限切れのパンでも投げたりでもするのかと思っていた自分が恥ずかしい。よくよく考えてみると、こんなプライドの高い人が、そんなことをするはずがなかった。
それどころか、世間で言われている家事に協力的な男性基準の何倍も自分で行う。これはご実家でのお義母さまの教育の賜物だろう。自分のことは自分でやれ、そんな当たり前のことが身体に染みついていて、むしろわたしの方がずっとずぼらだったことがバレてしまった。お付き合いするまではせっかく隠していたのにな、と思ったけれど、「てめぇのそういうところは全部わかってたってぇの」と言われてしまい、繕っていたゆるふわガールは台無しだったのかと、少しがっかりした。けど、「隠しきれてねぇのに媚びてきてんの、ほんと馬鹿みたいで視界に入ったんだわ」少し赤くなりながらわたしを慰めるつもりか言った彼はとてもかわいくて、「それって、わかっててわたしのこと可愛いって思ってくれてたってこと? ねぇねぇ、それってどんな気持ちだったの? くやしい? くやしかった?」と詰め寄ってしまったわたしは悪くないだろう。
彼は苛々している風ではあったけれど、決してわたしに当たらないようにバチバチと手のひらを破裂させながら「少しは黙ってろ、耳障りだ」なんて言って顔を近付ける。手も使わずに的確にわたしを黙らせたのだからやっぱり器用だ。彼の口から聞きたいことはたくさんあったけれど、それも全部後回しにして、少し乱暴だけれど丁寧に舌が蠢(うごめ)いてわたしの口の中を犯していく甘美な口付けに、今は酔うことにした。わたしも彼も、少しどころかだいぶ快楽に弱いところがある。
彼の用意してくれた朝食を特別なお仕事が入っていない限り、喧嘩をしていたとしてもそうじゃなくても必ず二人で食べるというのは結婚前、同棲当初からの暗黙の了解で、ほとんど欠かしたことがない。それが終わればわたしたちは自分の仕事へ向かう準備を各々行って、同時刻に家を出る。有名ヒーローたる彼の仕事の本番は敵の出やすい夜だから、出勤時間は少し緩めのいわゆるフレックスってやつに近い。だから、遅くまで帰ってこられなくて心配になるときもあるのだけれど、彼がそういう仕事について、彼の手で守れる人を少しでも多く守りたい――敵をぶちのめしてやりたいと思っているのだから、わたしがとやかく言うことじゃないと思う。相手のことを心配するのはお互い様のようで(意外? 意外に思った? でも、みんなそう言うけれど、彼は案外心配性です)で、流石に夜は仕事が立て込んでいて難しいにせよ、朝は特別なことがない限り必ず会社の近くまで送りどけてくれる。幸い、彼の事務所はわたしの会社の近くにある――というか、わたしが就職活動をするときに、そういう立地にある会社を志望したってだけなんだけれど。
仕事が終わって帰ってくると、晩御飯の下準備をして、わたしは干してあった洗濯物を取り入れてそのままアイロンを掛ける。洗濯機を回して干すことは旦那様が朝の仕事としてやってくれるのだけれど、乾いた洗濯物を取り入れてアイロン掛けをするのは夜のわたしの仕事なのです。お金の力でドラム式洗濯機(皴になりにくくて乾燥まで一気にやってくれるらしい)を購入してしまおうかとも思ったけれど、食洗器やルンバと並んで子どもが出来たら買うリストに突っ込んでいる。今の時点で家事がものすごく負担であれば購入しちゃっても良いんだけれど、彼のおかげで家事の負担は少ないので楽をするのは後回しだ。
『今から帰る』
別に頼んでないのに彼は帰宅時間をSNSのアプリで必ず報告してくれる。温かいご飯を食べたいからかもしれないけれど、些細な連絡がうれしくて、帰宅してシャワーを浴びたらちょうどご飯の準備が出来上がる様に計算しながら汁ものを温め直す。彼がご飯を食べる頃にちょうど温かいものが準備できるようになるまでに、わたしが掛かった時間は、彼の朝食準備時間の習得に要した時間の倍以上といえよう。
現場が現場だからか、彼は必ず帰ってきたらまずはお風呂へ直行する。砂埃や汚れ、日によっては血にまみれた身体をきれいにしてからわたしの方に寄って来る。テーブルの上に食事を用意し終わったわたしがお帰りなさい、と名前を呼びながら抱き着いて硬い胸板にすり寄ると、彼はあきれたようにわたしの頭を撫でた。いつもずるいんだな。わたしも彼のツンツンの髪を撫でてやりたいのに。それから、「腹減った」と定位置――廊下に一番近い手前の椅子――に座る彼に、「お帰りなさい」ともう一度言う。聞きたい言葉が聞けていないからだ。舌打ちをしながら旦那様は「……ただいま」少し恥ずかしそうに言いにくそうに告げて、両手を合わせた。「いただきます」これも散々お義母さまに怒られてきたのだろう。
「いただきます」
わたしも両手を合わせてそう言って箸をとった。食事中は二人ともあまりしゃべらない。そもそもわたしといるとき彼は口数の多いほうではないけれど、食事中は輪に掛けてそうだ。テレビの音だけがざあざあと無機質にこぼれていく。淡々と流れているニュースの内容に「くそ、デクの奴……」とか「半分野郎が……ッ!」なんて苛立たしげに言うことはたまにあるけれど、その内容をわたしに教えてくれることはまずない。それでわたしも別に不満に思ったことはないから、何も言わない。
(わたしより関心寄せられてるのずるいって、嫉妬したことはあるけどね)
そのことは、きっと彼にバレていない数少ない秘密のひとつだ。ヒーローだけあってか洞察力も優れているので、大抵の隠し事はすぐに見抜かれてしまうのが最近の悩みだったりする。まあ、そんな大した隠し事もないんだけどね。
人よりも食事のスピードが遅いわたしに合わせて、食べ終わっても彼は席を立たない。わたしがおなか一杯になったところで食器を全てキッチンに運んでくれて、お皿を洗ってくれる。わたしはその隣に立って、水滴を残さないように丁寧に拭いていく。こういうとこ、結構気になるらしくて、わたしが適当に拭いていたら、黙って拭き直されたことがあるのよね。正直、あれはちょっとショックだった。
そのあと二人で歯磨きをして、ハーブティでも飲みながらリラックスをするのがわたし達の定番コース。どちらからともなく、色の籠った視線を向けたら寝室へ向かう合図で――
やだ、これ以上のこと聞きたいって? さすがにそれは怒られちゃうからむりだよ。それは、わたしじゃなくて彼に聞いて。爆破されずに聞き出せたなら、お見事ね。
*
それでも、物足りないっていうあなたには、もう少しだけ秘密を教えてあげましょうか。
あの日わたしの方が欲情を抑えきれずに彼を寝室に誘ったのに、彼こそ我慢しきれない様子で、まるで盛りのついた男子高校生のように組み敷くと、わたしの首筋に噛み付いた。噛み癖のある彼はそのあと珍しく不安げな視線をわたしに向けたの。
「後悔してないか?」
「何を?」
「俺と一緒になったことだっつぅの」
こういう場でこういう聞き方するなら、質問はひとつしかないだろうが、と八つ当たりのように声を荒げてまたわたしの首筋に噛み付いた。たぶん、これ、結構な痕が残るなあ、と他所事を考えたのがまずかったのだろう。「てめぇ」怒り心頭といったような声だったけれど、全然怖くない。もう慣れちゃった。
「後悔なんてするわけないじゃん、わたしのヒーローさん」
ずっといつでも大好きよ、と躊躇いなくわたしは言う。暗くて良くわからなかったが少し顔を赤らめたようだった。きょとんとした表情がほんとうに、ほんとうに。なんてかわいいんだろう、この人は。「あげるか」「え?」今度こそ何を言っているかが分からなくて、きょとんとしながら聞き直すと、「式だよ。あの時はそういう感じじゃなかっただろ」わたしは全く気にしていなかったけれど、このわたしにだけお優しい旦那様はずっと気にしてくれていたらしいの。それが、そのことがすごくうれしくて、わたしは泣きながら、夢中で頷いた。
んー、そのあとのことは、ホントのホントに秘密にしちゃう。
ひとつ言えるのは、わたしの旦那様はダーリン合格ってことよ。惚気だってやっかまれるから、みんなには言わないでね?