確実に目の前の青年の雰囲気に呑まれつつある私は、なんとか形勢を逆転させようと脳内で言葉を検索した。
この場で最も効果的な言葉は何なのか。
それを短時間で見つけ出すには、経験値が不足していた。

「それで、だとしたらお嬢様は私に何を聞きたいのですか」

迎撃する準備が整っていないうちに、シークは言葉を連ねる。
先ほどまで素であっただろう一人称は、元の業務用に戻っていて不利なこの状況を嫌でも私に示す。
どうしようか、考えるけれども、ちっとも思い浮かばない。
シークの鋭い目に貫かれ時間が経つにつれてどんどん脳内が真っ白になり、口だけが何かを言いたげにパクパクと動いた。
漏れる空気がなんとも滑稽だった。
とにかく、この状況を打破したい。
そう思っても良い案が思い浮かばないのだから、とりあえずと深呼吸をした。
二、三回大きく息を吸って吐いてを繰り返す。

「なら、あなたは私に何を聞きたいのかしら?」

開き直って切り返す。
質問を質問で返すのは、ルールに接触する行為だと解っていながらそれを押し進める。
シークも顔を薄らと顰めはしたが、答えないとは言わなかった。

「ジャック家に掛かっている疑いの事、それからあなた自身の事」
「疑いとはなんなの? ……私はそれを知りたい」

複雑な表情をして、シークは言うか言わまいか迷っているようだ。
それもそうだろう、と私は思う。
何せ、私は疑いの掛かっている家の身内。その上、どうやら私自身にも何か聞きたい事があるというのだから、まず信用されてはいないのだろう。
ちょうど、私が彼の事を信用していないのと同じように。
それに、もしも私が無関係の人間だったとしても、この口から情報が漏れないとも限らない。
その場合、情報漏洩として咎められるのは間違いなくこの青年だ。
やっぱり答えてはくれないのだろう、と納得しかけたが、しかし青年は覚悟を決めたらしく、ぽつりと呟いた。

「ちょうど一年前の、例の事件のことです」
「例の事件とは何なの?」

疑問に思った事を呟くと、彼は訝しげに目を細めた。



階級騒動に負けて



墓穴を掘った、と一瞬で悟った。
追求しようと口を開きかけたシークを制して、私は言う。

「どうやら、話は長くなりそうね。お茶でも運ばせましょう」

シークは私を監視するように、鋭い目で私の挙動を見つめながらも頷いた。
小さなテーブルの上にメイド――ほとんど私専属で、少し薄黒い肌が特徴的である――に持って来させたティーセットを置くシークを、私は黙ってみていた。
私はふかふかの高そうな椅子に座っており、テーブルを挟んで向かい側の同じような椅子にシークも腰掛けた。
熱い紅茶に砂糖を入れる。温度のためか、すうっと溶けてしまった。
ぐるぐるとティースプーンで回せば、僅かながら残っていたザラザラとした感触もすぐに無くなり、完全に溶け切った事を知る。
シークはカップに手を付ける様子さえ見せずに、じっと腕を組んだまま睨む様な目線で私の手先を追っていた。

「質問は全てあとにして。まず、私の疑問に答えなさい」

命令口調で言うと、気に入らないという表情をとったシークだったが、ここがジャック家で私がそこのお嬢様だという事を思い出したのか反論はしなかった。
それを良い事に私は先ほどの、例の事件について問いただした。
口にしたくない様子だった。
それに関してはなんとなく察しのついていた事なので、先を急かしはしない。
砂糖の溶け切った液体を見つめて、ぼんやりと関係ないことを思案する。
飽和状態まで、砂糖をぶち込んでやろうか。
ざらざらとしたものが綺麗に無くなってしまったのが気に入らない。
けれどもそれを飲み干すのが自分だと考えると、極限まで甘ったるい紅茶なんてうんざりだ。
結局、私はそれ以上砂糖を追加する事無く、カップに口を付けた。
カシャン、という音を立ててカップをソーサーに戻す。
一通りの動作が終わったら、あたかもそれを待っていたかのようにシークは口を開いた。

「キミくらい頭が回るのであればすぐにピンと来てもおかしくないと……ジャック公、つまりあなたのお父様の愛人が息子共々惨殺された、あの事件の事だ」
「え……」

愛人、いてもおかしくない。
それは、これくらいの名家だったら全く以ておかしい事ではない。
だけれど、おかしいのは私がそれを覚えていない事だ。
彼の口調から察するに私とも関わり合いのある人物で、隠された事ではなかったのだろう。
でも、私は覚えていない。

否、知らない。


「……知らない」

思わず、ぽつりと呟いていた。
我ながら頼りない、泣きそうな声色だった。

「そんな事件も、そんなお父様の愛人なんて人も、知らない」

震える声。
自分ではどうしようも無くて、声と同じように震える自分の身体を両腕でしっかりと抱き締める事しか出来なかった。
不意に視界に入ったシークの手が不自然に動いたけれど、空中で止まって、元の位置へと戻った。

「知らない…知らない……知らないものは知らない!」

シークに何もかもぶちまけてしまいたかった。
なんとなく、この人なら受け止めてくれるように錯覚したけれど、秘密を打ち明けてしまったら精神異常者だとしか思われないだろう。
崩壊しかけの理性を必死でつなぎ止めて、口が勝手に動かないようにと夢中で押さえつけた。
嗚咽が時々零れる以外は、しっかりと手でふたをした。
熱いものが込み上げて瞼を刺激していることにも、混乱してきた。
涙を見せたら、そんな事したら本格的に負けだ。
そう思って泣かないようにと堪えた。

そっと、背中を撫でられる。
ゆっくりとトントンと、子供をあやす様なそれで私は次第に落ち着きを取り戻してきた。


ああ、優しい手だ


こんな風に、人に触れられたのはいつぶりだろうか。
《私》の記憶にも、《わたし》の記憶にも実感としては残っていない。
経験として、幼い頃、幸せだった頃のメモリが残っているだけだ。

「……私を、見つけて」

無意識下で呟いたその言葉は、一見その場に居るシークに呟いたように見えたかもしれない。
でも、それは違うのだろうな、と私は何処か遠くのものをみるように思った。
《私》が私に言ってるのではないか。
混乱している所為だろうか、自分で考えている意味がよく解らない。
けれども、背中をさすってくれている彼の熱だけは、現実だと、真実だと、そう思えた。

「今日は、お休みになってください。お嬢様」

眠りに落ちる寸前、何処にあったものなのかわからないけれど、ハープの音色が確かに耳に届いた。
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