完全に失せた訳ではないにしろある程度拡散した緊張の中、私はあくまで自分のペースを崩さずにメイドにティータイムの用意をさせた。
ティーセットを持ってきたメイドは心配そうな表情をちらりとだけ私に見せ、すぐに常時の貼付けた様な笑顔に戻った。
慣れないうちは不快に思っていたが、アレはおそらく仮面なのだろう。
数ある貴族の娘達が、鎧代わりにドレスを纏ってパーティへ勇み行くのと同じように。
(コイツはパーティとかへ行ったことはあるのだろうか)
ふと思い、想像するが浮かばない。視線を走らせると、シークはちょうど時折出された紅茶を口に運んでいた所だった。
前に私の部屋に招いたときには全く口につけようとする気配すら見せなかったのを考えると、かなりの進歩だと思う。
なんだか少し、嬉しくなった。
どうやら紅茶には砂糖は全く入れずにミルクだけを数滴零されており、その味はどうなのだろうかと私は思った。
妙なこだわりだな、とも思った。ストレートで砂糖無しなら香りを消したくないなどの理由があるだろうに。
けれど、全然居ない人種でもないだけに、わざわざ思ったことを口に出すのも憚られて自分のカップの中に視線を零した。
砂糖もミルクも入れられていない茶色透明な液体の表面、全く凪ぎ立っていない湖の表面を覗き込んだ時みたいに、すこしキリリとつり目気味の自分の目が映った。
「……え」
思わず声を出してしまう。疑問が多分に籠ったその声に、シークは何事かと私を見た。
私はその視線に気がついたけれどもそれどころではなく、戸惑って目をぱちくりとさせる。
瞬きの後、もう一度カップの中を覗く。
今度はちゃんと《わたし》のくりくりと大きくて可愛らしい瞳が映る。
安心と不審がないまぜになった気持ちのまま、妙にやり切れない思いが心の中を渦巻く。
じっとカップを睨んでいたら、シークから声がかかった。
「どうかしたのか?」
「いえ、何でも無いわ」
即答し過ぎただろうか。
変に思われないように、私は追加で微笑みをプレゼントする。
一般の男子なら真っ赤になってしまいそうな甘い微笑みを、せっかくこの美人さんでやってあげたというのにシークは微塵もトキめいた様子を見せなかった。
(コイツ、本当に男か……?)
半分以上八つ当たりであると自覚してるため、心の中でだけそっと呟いた。
とどのつまり
シークはあれから、「嫌なことを話させてしまってすみません」と謝ってから、もうお休みくださいと告げた。
そういえば、私は調子が悪いと言うことになっているんだった。前日に、シークの前で泣き腫らしたのだから。
それに、嫌なことを話したのはどっちもどっちだろうに、気丈に振る舞っているその姿は尊敬に値すると素直に思った。
結局、この探り合いは両者痛み分けという結果に終わったのである。
それからというものの、やはり完全に監視の目から逃れることは出来ず、毎朝とは言わないまでも部屋の前にシークが待機していることは変わらない。
けれど、それは今までの様に事務的に徹することは無くなり、雰囲気は少しだけれど柔らかくなった。
私も、どうせバレているのだからシークの前では無理に取り繕わなくても良いと言う安心感を抱いており、他の使用人の前でよりかは過ごし易かった。
そのぬるま湯の様な温度に溺れ、ボロを出してしまいそうになってからは、さすがに警戒を元のレベルまで引き戻したけれど。
「今日の予定は?」
「朝食後に御領主とお話しいただきます。午後からの御予定は、その時に御領主から直にお伝えなさるでしょう」
嫌な予感がした。
全く、根拠も証拠も理由も何も無いけれど、悪寒が走ったのだ。
つぃっと目を動かして、シークを見る。無駄に笑顔を作ってみた。
「シークは知ってるのかしら?」
「ええ、まあ……」
言いにくそうに視線を逸らし、モゴモゴと肯定する。
嫌な予感が、確信に変わるのはそれで充分だった。
「話せないってこと?」
「はい」
先ほどよりもはっきりとした肯定だった。
ピキリと笑顔がにヒビが入った。それを察したのか、シークの表情も固まった。
笑顔ではなかったけれど、比較的明るい顔だったのがそのままに固定されたから非常に愉快な表情になっている。
「……黙れば良いのに」
「…………理不尽だ」
まあ、黙ってるから私は怒っている訳だけれど。
おそらくお父様に口止めされているんだろう。それでは話せないのは仕方が無い。
シークが(監視目的で、仮だとしても)仕えているのは私ではなくて、お父様なのだから。
「どうぞ、お入りください」
ドアを開けて押さえていてくれるシークにちょこんと会釈をして、中に滑り込む。
大広間は、天窓から光が朝日が差し込んで明るく、実に爽やかな朝である。
長机の一番向こう側細いところ、いわゆるお誕生日席と呼ばれるそこに腰掛けているのは当然のことながらお父様だった。
お父様の横に控えているのはフランで、私は驚いた。
フランは、普段私の身の回りのことを中心に行動しているのでこうしてお父様の近くに居るのは初めて見たからだ。
尤も、メイドという時点でお父様の下についているということは変えられない事実なのだが。
フランは私が入ってきたのを見て取ると頭を下げてお辞儀をした。
そのあと、頭を元の位置に戻して私の後ろの方を一瞬だけ鋭く見た。
私の後ろに居るのはシークだけだ。
この二人って仲が悪かったかと疑問に思ってシークを確認する。
シークも心当たりは無いようで、同じく一瞬だけ眉を寄せたがすぐに業務用の表情を取り繕った。
流石はプロである。
食事は厳かに進んだ。
これ以上無いくらいに張りつめた空間で、食事の味が解らない程ではなかったが、三ツ星料理人が最高級の物を使っているにも関わらず美味しくなかった。
いつもならこんな空気、私が《わたし》の真似をして崩すのだけれど、今回ばかりはそんな空気ではなかった。
何せ、私にも関係があるのだ――というよりかは、この後に待っているのは確実に私に関することだ。
それでも完食しきったら、フランよりも立場が下の使用人が出てきて食器を下げた。
「それで、お話ってなあに? お父様」
気持ち悪いくらいの甘え声が出て、それに気を悪くすることが無いお父様を私は凄いと思った。彼にとっていつもの娘の声と言われれば、それまでなのだが。
それよりも、凄いのは傍に控えている二人だろうか。
シークにしてもフランにしても、完全にではないにしろ私の二面性を理解していて、それでいてこの場で自然に振る舞えるのはやはり場慣れが一番の要因だろうか。
「ああ、執務室に、」
「ここで出来ない話なの?」
話の途中で言葉を遮った。
そんな私が珍しかったのか、お父様は驚いた様子を見せた。
けれども、深く追求はせずに渋い顔を作った。
「……出来なくは、無い」
お父様が執務室で私にする話題は、だいたい決まっている。
パーティの誘いか、もしくは縁談の話だ。
「……んー、今度はどなたと縁談を組んだの?」
きょとりと首を傾げ、私は無邪気そうに聞く。
それに対して、お父様は先ほどの倍以上は驚いたようで動きが止まった。
すぐに活動は再開したが、それでもやっぱり挙動不審だ。
無駄にグラスに手を伸ばし、口をつけずに置く。それを数回繰り返して、ようやく口を開いた。
「ナサニエル殿だ」
「嘘っ! ナサニエル様!?」
私は驚いて、持っていたカップを取り落とした。中に三分の一ほど残っていた液体は零れたが、カップが地面にぶつかり潰れる前にシークによってキャッチされた。
シークは無表情だったが、雰囲気は何故だか暗くて深刻だった。
すっと、紅茶の零れた私の洋服を見つめる。
「お嬢様、お召し物を変えましょう」
有無を言わさずにシークは私の手を引いた。
口を挟むことなんて出来ずに、促されるままに大広間から出る。
私はとうとう縁談を断り損ねてしまった。