シークは尋常ではない勢いで私の手を引いた。
どうしたら良いのやら解らずに、私は促されるままに歩いた。
自分の住んでいる屋敷とは言えど、お嬢様が行動する範囲は基本的に限られている。
あまり見覚えの無い場所へ連れ込まれてだんだん不安になってきた。
だいたい、汚れてしまった洋服を変えるために私はあの場から連れ出されたのではないか。
そんなこと、建前だとは解っているけれども。
徐々に、引く強さが強まってきて、腕が悲鳴を上げる。
「痛い! ちょっと、あなた何様のつもり!? 離して!!」
私が張り上げた声に、シークは少しだけ掴む力を緩める。
けれども、そのまま引き続け、とある部屋の前で立ち止まった。
ドアをあげてそのまま、ずんずん中へ入る。
使用人にしては広いだろう一人部屋だが簡素な内観で、奥にベッドがある。
そこに放るようにして私を解放した後、シークはその前に仁王立ちをした。
立っているシークと、横たわっている私。
元々の男女差を差し引いてさえ高さの差があり、私は自然とシークを見上げる形になる。
「何のつもり?」
先ほどよりも静かに冷静に問いかけると、シークは厳しい顔つきを崩さずに、強い声色で言った。
「ナサニエル=エースは止めておいた方が良い」
誰も縁談を受けるとは言っていないのに、シークはそんなことを言った。
私は大きくため息をついた。
戦争と平和
エース家。
ジャック家と同じく、ハイラル王家の傍系血族でありジャック家に継ぐ侯爵の地位を持っている家である。
爵位のみを見れば、ジャック家の方がエース家よりも勝っているが、エース家はそれよりも実力を伴う。
傍系血族でありながらハイラル王家に積極的に協力し、騎士を沢山輩出しており、その上商業部門でも成功を収める、当代で最も注目株の家系なのだ。
そして、ナサニエル=エースというのは、そこの一人息子。
次期当主としてやはり世間に注目されており、その見た目に鮮やかな赤色の髪やいかにも整った顔立ち、紳士的な言動により貴族の家に生まれた娘の憧れ的存在である。
騎士になれる程の身体能力を持ちながらも頭脳派だと噂の彼は、文句無くイイ男である。
私自身、ナサニエル氏と面識は無いが(つまり《わたし》も面識は無いみたいだが)ちらりと遠目から眺めたことはある。
こちらに気がついてニッコリと微笑んだナサニエル氏だったが、私自身は興味無い。
……というか、かなり危険な匂いがした。
たしかに、深窓の令嬢がコロリといってしまいそうな色香はあった。
だが、それだけでは終わらない気がしたのだ。
彼は、何か後ろ暗い闇を抱えている。
だから、シークに言われなくても。
「元々、縁談を受けるつもりなんて無いわ」
言い放つと、シークはあっけにとられた表情をした。
信じられない、といったところか。
それはそうだろう。
私自身も、噂だけであればいい条件だと思うもの。
「完璧のイイ男なんて、疲れるだけじゃない。裏で何をやってるのかわからないし」
シークはほっとしたようにため息をついて、その場に座り込んだ。
言いたいことはそれだけだったのかとなんだか興ざめしたので、改めて部屋を見回す。何か面白い物があれば良いのに。生活感すら感じられない。
しかしもう一度言うが、やはり簡素な部屋だ。
ベッドにチェスト、それから前向きに倒された写真立て。
なんだか、酷くこざっぱりとしており、プライベートルームというよりも寝るためだけの部屋と言っても過言では無い。
「ところで、なんでナサニエル=エースは止めておいた方が良いって? 何か掴んだのかしら?」
「…………」
体制を整え、ベッドに座り直しながらの私の質問にシークは沈黙で返す。
「ヴィクトリア=エイトは知っているか?」
「ええ、エイト伯爵の3人目の娘よね」
頷くと、シークは話を進める。
その表情は依然として厳しいままだ。
エイト家と言うのは、ジャック家はエース家と同じくこのハイラル傍系の王族。
ただし、ジャック家よりも比較的新しい分家で、伝統も商業も実力もなにもかもが中途半端だと言う印象がある。
ただし、中途半端なりに器用貧乏なところがあってマルチな存在だ。
個人的に、そこの現当主であるエイト伯爵には好感を持っている。
特に人当たりが良さそうで、けれども他の爵位を持つ家から迷惑をかけられていそうなところが。
ヴィクトリア嬢とは、特別親しいわけでは無かったが、同じ年頃の高位貴族ということで、何度か対面したことは会った。
他人以上知人未満というところだろうか。
彼女のことについて軽く思い起こしていると、シークは重々しく言う。
「ナサニエル=エースの元婚約者だ。先日、ハイラル湖畔の湖底で発見された。通常で起こりうる症状ではなかった」
「死んでたってこと?」
声を潜めて聞き返すと、シークは首を横に振った。
違うのかと思って眉を寄せると、シークも同じように音量を下げてひっそりと言った。
「すぐに息を引き取ったが、発見された当初はかろうじて生きてはいた。しかし、何故生きているのかが解らない程の重症だ。両手両足は抵抗が出来ないように折られ、喉は助けを呼べないように潰されていた。そして、身体の至る所がさほど大きくない何かに喰いちぎられた様な痕跡」
脅す様な言葉は、全て真実なのだろう。
シークはそれに関連があることを探っているのかと、私はふと思い立った。
きっと、例の事件のことも、一年前のことをわざわざ掘り返すのも、そのため。
「ただ、奇妙なのはそれほどの重傷で生きていた――生かされていたこと、また例の事件の被害者の死体と似通っていること、そして両方ともナサニエル=エースと深い関係があること」
深い関係、そこで私は少し訝しく思った。
一年前の事件で殺されたお父様の愛人は、その立場に立たされながらナサニエル氏とも関係があったのだろうか。
お父様の愛人と呼ばれるその人の情報がすっぽりと頭から抜け落ちているこの状況では、何の判断も出来ない。
「ナサニエル=エースと、例の被害者カトリーヌは実の姉弟だ」
「え……」
思わず、声を失った。
お父様はエース家なんて身分の高い女性を愛人の位に置いておいたのか。
その神経を疑う。
どうして、なんで。疑問符ばかりが頭の中を渦巻いて私は混乱した。
「ナサニエル=エースがどのような基準で相手を選んでいるにせよ、次の標的はキミだ」
断言して、シークは私の肩に手を置いた。
顔をそっと近づける。その距離、およそ拳3つ分。
「もう一度言う。ナサニエル=エースには気を付けた方が良い」
言い聞かせる様な言葉は、何故かとても重く感じた。
「わかった……ありがとう」
お礼を言うと、驚いたように目を見開くシーク。
すぐにそれは持ち直されて、だけどふぃっと視線を逸らした。
「礼には及ばない。それよりも、これから気を付けて。姫様も、あなたの助けになりたいと」
なんとなく、なんとなくだけど、気分が悪い。
ゼルダ姫は、私の何を知っているのだろう。
面識も何も無いのに、どうして助けになりたいというのだろうか。
傍系と直系という、冷戦状態の相手を。
もしかして、私を哀れんだのだろうか。記憶がなくなったと言う《お嬢様》を。
「それは結構よ。あなたの仕事は、あくまでここの当主の監視でしょ。仕事外のことなら、放っておいて」
冷たく言い放って、私はその部屋から出た。
見知らぬ廊下。初めて来た場所だけれど、大丈夫。来た道を辿れば良いのだから。
少し、時間は掛かったけれど、自分の私室に辿り着いた。
汚れた洋服から着替えて、そのままベッドに潜り込んだ。