必死の抵抗はもとより、お父様は強制的に私をエース家へ連れて行った。
最初からそのつもりだったのだろう。
娘をエース家に捧げる。あんなに大切にしている《娘》が嫌がったとしても。
それは、お父様なりのエース家に対する贖罪だったのかもしれない。
年の離れたエース家の娘を愛人というポジションに置いただけでなく、その娘を惨く死なせてしまったのだから。
直接手を下していないにしても、自分の屋敷に住まわせていた時点で、その罪はお父様にもあるのだ。

そして、その日、シークは居なかった。
どうしてか、胸騒ぎがしたけれど、「放っておいて」と告げた時点で結局私はシークを頼ることなど出来ないのだ。
唯一の救いは、気心の知れたフランが付いてきていることだろうか。
だけれど、フラン自身もお父様の言いなりと言えばその通りだ。
いざとなった時、私に味方してくれるとは限らない。
頼りになるのは自分自身だけ。
諌めるように、パンッと化粧の施された頬を叩いて気合いを入れると、お父様のあとをついていった。
私より半歩ほど後ろから、フランや私が良く知らない召使いも付いてきた。



略奪には程遠い強奪




向かいにはナサニエル=エースと、エース侯爵そして侯爵夫人。
隣にはお父様ことジャック公爵。
私の真ん前に座る、ナサニエル氏をじっと見ていると目が合った。
その瞬間、にっこりと微笑まれて顔が赤くなるのを感じる。美形を前にしたときの条件反射だ。
整った顔立ちに、垂れた少し長めの優しそうなオレンジ掛かった赤の前髪。後ろの髪は下の方で緩く括ってある。
私は《わたし》や他のお嬢様方よりも男になれているかもしれないけれど、それでも学校のクラスの男子くらいとしか関わりがなかった物だから、やっぱりこういったハンサムな男性を前にするとクラリと来てしまうらしい。
それでも、自分の人生を相手に委ねたいかといわれると、答えははっきりと否な訳で。
曖昧な笑みを返して、ナサニエル氏から視線を外した。

嬢。この縁談、前向きに検討しては貰えないのでしょうか」

コノヤロウ、声も半端無いじゃないか。
ぞくり、と背筋に何かが走るようなそんなハスキーボイス。
油断している時に耳元で何事かを囁かれたのなら、それだけで腰が砕けそうだ。
時折掠れる感じがこれ以上に無い程、そそられる物がある。

「あの、わたし、恋愛結婚がしたいんです。あんまり良く知らない人と結婚と言われても、ピンと来ませんし。それに、ナサニエル様はご立派過ぎて、気後れしてしまって……」
「それなら、これから知ってもらうというのは?」

断っているのには気付いているだろう。そこまで鈍い訳ではないはずだ。
どうして、そんなに私に固執するのか。
探るように、ナサニエル氏の瞳を見据えた。
暗赤色の瞳がじっと私を覗く。同じ赤い瞳でも、シークの透き通ったルビーの様な瞳よりも濃いその色は、まるでガーネットの様で見るものすべてを吸い込みそうだ。
油断ならない。再認識をして、私はもう一度断りの旨を告げる。
お父様の視線が付き刺さる。なんとしても頷いて欲しいのだろう。
けれど、頷くわけにはいかない。
それはシークに忠告されたからではない。
本能で解るのだ。


 コ イ ツ は 危 険 だ 、 と 。



「ま、まあ……様の言うことも尤もですわ。全く面識がありませんものね」

夫人がそう口を出してくれて、バレないようにほっと息をついた。
でも、それにはやはり裏があるのだろうと油断せずに次の言葉を待つ。

「ですから、今日は若い人達だけでお話しなさってはどうでしょう?」

来ちゃった。
心の中で呟いて、曖昧に微笑む。
曖昧な笑みを作るスキルはここ数時間でだいぶ上達した様な気がするが、この場では殆ど意味がない。
自分の心の安定のためにもう一度その笑みを顔に浮かべて、何も言わない。否、言えない。

「そうですね、母上。では、ガーデンのテラスでお話しします」
「あら、いけないわ。ガーデンは今、補修中でしょう? あなたの部屋でいいじゃない」

夫人はそう言って、近くに居るメイドを捕まえてアフタヌーン・ティーの準備を言い付けた。
私は夫人に向けていた視線を外して、ナサニエル氏に向ける。
息子であるナサニエル氏でさえ逆らえない様で、彼は小さく横に首を振った。
そうこうしている間に流れに流され、現在はナサニエル氏の私室で彼と向かい合って椅子に座っている。

「母上がすみませんね…あの人、いつもあんな感じなんですよ」

先ほどの、両親が居た時に比べたら、若干くだけた物言いだ。
柔和な笑みが何とも近付きやすさを表現しているが、なんだか危険なオーラを醸し出しているのは変わらない。

「……何故、ナサニエル様はわたしを縁談の相手に選んだんですか?」
「それは、あなたが素敵な方だと伺ったからです。それに、前に一度目が合ったこともあったでしょう? あの時、私の表面ではなく、私自身を見てくれているように感じたんですよ」

にこっと微笑んだ。そのときに、真っ白くて並びが素晴らしく綺麗な歯列が顔を出す。
もうこの人、某有名美形タレント事務所に入れば良いよ。と思った。

「でも、わたしは、あなたとの婚約を望んでいないの。お父様や……他のお嬢様方と違ってね」

私の言葉に、彼は顔を俯かせた。
そして、額や前髪のあたりに手を当てて、顔を上げる。









「……ったく、面倒くさいお嬢様だな」

ばさり、と少し長めの前髪を掻き揚げてナサニエル=エースは、その本性を現した。
そのつり目には剣呑な光が宿っている。

「せっかく、俺が言い寄ってあげてるっつーのに、なんで靡かねぇんだ? あ、泣くなよ? ま、その調子じゃ俺に夢見てたってことは無さそうだけどな」
「当たり前じゃない、あんたみたいな胡散臭い男。夢なんて見れる訳が無いわ」
「ハッ、バレてたのかよ。……ま、いーや。話が早い」

言うが早いが、私を引っ掴んで、ベッドに放り投げる。
デジャビュの様なその行為。だけれど、状況には大差がある。
だって、今は、怖い。
男女差はこんなところで一番現れる。
私の上に馬乗りになって、両足を彼自身の足でベッドに固定する。手は頭上で二本ともまとめられ、右手で押さえられた。
開いている左手は私の頬を一見優しそうに撫でて、最後に爪を立てた。痛い。血が出た様な気がする。
最後の賭けとばかりに、私は大声を張り上げようと肺一杯に空気を吸い込んだ。

「フラン!! いるんでしょっ!!? 助けなさいっっ!!」
「無駄だ、俺の命令で控えの者は全て下げさせた」

余裕そうにニヤリと笑ったナサニエル=エースを一度睨んでから、私は完敗だという意味を込めて脱力した。
好きにすれば良い。

「抵抗しないのか?」
「こういう時って、抵抗した方が煽るんでしょ。それなら、好きにしなさいよ。身体は反応するかもしれないけど、それは私の意志では無いわ」
「なんだよ、萎えるな……やめねぇけど」

つまらなそうに顔をしかめてから、手始めに彼は強引に口付けた。
唇と唇が合わさっても目は瞑らない。せめてもの抵抗の意味だ。
空気を求めるように少しだけ開いたそこに、彼の舌がねじ込まれた。
入ってきた舌は、暴れ回るように口内を激しくなぞる。
何も考えられなくなりそうで、必死に理性を繋ぎ止める。
あわよくば、逃げられるようにと、隙をうかがう。
その時、バンッと扉が激しく開いた。
ナサニエル氏は後腐れもなく私から離れる。銀の糸が引いて、慌てて私は唇を拭った。
扉を開けた人物は、ゆっくりと近付いてくる。
何処かの民族衣装の様な、青くてぴっちりした布が全身を覆い、文様の描いてある襤褸を纏っていた。
随所至る所に包帯が巻いており、髪の毛の大半も巻かれた包帯に仕舞われていた。
唯一解放されている金の前髪は、“いつも”通り左目を乱雑に隠している。

「シーク……?」

声に出して確認する。信じられないけれど、顔立ちは確かに彼だった。
いつもの黒い燕尾服姿以外を見るのは初めてで、妙な感覚だ。
しかも何故かハープなんてものを持っていて、それが似合っているところが更にその奇妙さを引き立たせた。

(そういえば、彼は元々王家の吟遊詩人だったっけ……)

冷静にそう考えていると、シークは微笑んだ。

「ああ。無事だね、お嬢様」

鮮やかな動作でナサニエル氏に仕込み針を投げつけたシークは、スピードを上げることも下げることもせずに私に近付く。
確認するように全身を見回して、傷つけられた右頬にそっと顔を近寄せて、ためらうこと無く舐めた。
もう感覚が麻痺しているかもしれない。そのことに何も思わないまま、されるがままになった。
何処か遠いところで、足音が聞こえる。駆け足だった。

「お嬢様!!」

部屋に飛び込んできたのは、フランだった。
鋭い眼光をシークに向け、叫ぶ。

「とうとう正体を現したわね! お嬢様を離しなさい、薄汚い王家の狗が!」

フランには似合わないクラシカルなメイド服のエプロンの内側から短剣を取り出して、彼女は構えた。
それに対して、シークは疑う様な視線を向ける。

「貴族だってキミだって似た様なものじゃないか。大体、そんなことを言われて僕が離すと思うかい? キミたちみたいな諸悪の手先から彼女を守ると、僕とゼルダは決めたんだ」

そう言って、シークはハープを奏でる。
こんなときになんて暢気な、と思ったけれど、ただ音楽を奏でていただけではないらしい。
何処かで聞いた事が有る、そのメロディーはたしか、たしか、『光のプレリュード』。
聞いたことが無く知るはずの無いその旋律を、何故か私は、たしかに知っていた。
どうして。そう思う間もなく、私とシークはその場から掻き消えた。
消える直前、フランの顔が悔しさに歪んでいたのが目に入った。
BACK