シリウスと氷砂糖


《一人じゃ沈んだまま息が出来ない》

 初夏。祇園祭を前に控えた六月に、私はおなじみの四条の街にいた。本当は嵐山まで行くつもりだったのだが、私の方で四条の駅前に用事があったのでこちらで待ち合わせをすることになったのだ。待ち合わせの相手――相澤さんは、いつものように嵯峨野の方で笙のお稽古があったそうで、もうすぐこちらに着くという連絡を先ほど貰った。
 ツジリのパフェを食べたかった気もするけど、あそこは人待ちにはあまり向いてない。二股の人魚で有名なコーヒーチェーンの、四条通に面しているテラス席に腰掛けて、キャラメルフラペチーノを飲んでぼんやりと行き交う人々を見ていた。平日だというのに、人が多い。熱さにやられそうになりながらも、携帯電話を確認する。折りたたみを開いた瞬間にメールが届いて、もしかしたら相澤さんかもしれないと少し浮きだった気持ちだったが、すぐにそれはたたき落とされる。最近彼氏の出来た友人の、惚気メールだ。すこし鬱陶しいと思いはするものの、きらいな子ではないから強く言いにくい。とは言っても、返信無いように困るので、そのままパタンと画面を閉じる。私が返信しないのはいつものことなので、何も思いやしないだろう。

(嫌じゃなくても、ちょっと疲れるんだよね)

 しかも、このタイミングだ。自分の、恋と呼んで良いのかよくわからない、持て余し気味の感情と向き合わなければならないこの状況で、彼女からの幸せメールはあまり喜ばしいとは思えない。はあ、とため息をついたところで、着信が入る。今度こそ、相澤さんだった。

「もしもし、です」
「あ、さん……僕です、相澤です」
「はい。四条着きましたか?」
「ええ、今ようやく……。さん、いま何処?」
「祇園さんの近くのコーヒー屋さんですよ」
「じゃあ、すぐ向かうね……!」
「あ、そんな急がなくっても……」

 って、切れてるし。別に構わないのに、慌てているなあと思いながら、嬉しい気持ちがないわけでは勿論ないわけで。敬語混じりだったのも随分と取れてきて、随分と親しくしてもらえているなということは、素直にうれしいのだ。込み上げてくる笑いをぐっと堪えて、澄まし顔でフラペチーノを飲みきる。だいぶ溶けてはきていたものの、まだまだ細かい氷がじゃりじゃりと残っている状態のそれを勢い良く飲み込んだせいで頭がキーンとする。耳に手を当てて目を瞑っていたら、「さん」声をかけられて、なんてタイミングなの。と自分に苛立ったのを押し隠して苦笑いをしながら、声の主の方を見た。「相澤さん、お疲れさまです」「待たせちゃってごめんね……」「いえ、全然」そわそわと待っている時間もちょっと楽しいのだと、そんなことは絶対言ってあげないけれど。この好意を悟られたくはないのだ。すくなくとも、今は未だ。涙を零してしまったあの時のことを、思い出すだけで、カッと熱くなって指先が震えてしまう。いまもほら、スカートのポケットの中に手を突っ込んで、指の震えをそっと確かめる。

「そういえば、こうやって相澤さんを待つのも懐かしいですね」
「えっ」
「ほら、最初に待ち合わせしてお会いしたとき。その時も私、こうやって相澤さんを待ってました」
「う……ごめん」
「ああ、違うんです。別に責めているわけじゃなくて……あの頃より、ちょっとは距離が縮まったかなって、なんか嬉しくなって」

 私は思わず顔を綻ばせてしまったのだろう、相澤さんは少しきょとんとしたあと、顔を少しだけ赤らめて私から目をそらした。「それは、僕も嬉しいかな」そう言ってもらえると、私はもっとうれしい。身体中をあたたかなものが駆け巡っている感じに、身を任せてしまいたい思いもあったけれど、微笑むだけでそれを往なした。
 せっかく河原町の方まで来たのだからと、いつものように祇園さんにご挨拶をすませ、今日は三条の方まで足を運ぶことにした。先ほどパフェを食べたいと思ったツジリも、ケーキと紅茶の美味しいリプトンもいいけれど、この華やかさからは少し遠ざかりたい気持ちがあった。元々は嵐山に行くつもりでもあったし、ちょうど良いかもしれない。嵐山や嵯峨野の方は、たしかに観光地化してはいるものの、少し離れればとても落ち着いているのが、好ましく思える。
 京阪三条駅の近く。広場で小さな催しがあるらしく、中国茶のお点前のようなものをしていたので、そこへ立ち寄る。地元の人と観光の外国人が拙い英語で会話しているのをぼんやりと横目で眺めながら私と相澤さんはベンチに腰をかけた。透明のグラスに入れられていたドライフラワーのような黄色い花は一見つぼみのようだったが、お湯を注ぐとふらりと花開く。花とともに敷き詰められていた氷砂糖が溶け出して、キラキラと太陽の光を乱反射していた。お茶請けとして出されたのも氷砂糖で、口の中でゆっくりと溶かしながらお茶の様子を眺めていた。同じようにしていた相澤さんが「さん」唐突に私の名前を呼ぶ。「はい」返事をして私のよりも随分高いところにある顔を見据えると、少し迷っているような表情をしていた。お話があるから会いたい、と私が誘ったからだとすぐに分かった。急ぐ必要もないとは思っていたが、相澤さんが気にするのなら切り出した方が良いのだろう。本当は大したことがなくて、だから言いにくかったのだけど。

「あのですね、相澤さん。私、内定を頂けたんですよ」
「えっ!」
「そうなんです。相澤さんには、その……お見苦しいところをお見せしたので、報告しなきゃって」

 嘘。私が、相澤さんに会いたかっただけだ。こういう風に言えば、相澤さんのことだ。全く疑いもしないということは分かっていて、だからこうやって口実にしたのだ。相澤さんに慰めてもらったそのことまで理由にしてしまう私を知ったら、彼はどう思うのだろうか。困ったように笑って、それで全部許してくれそうだけれど。

「でも、決まって良かった……場所はこの辺なの?」
「実は、地元に帰ることになって」
「えっ!」

 今日はそればっかりですね。ふふ、と笑いを零しながら言って、私はそうなんです、と言いながら無意味に頷いた。「こうやって相澤さんとも気軽に会えなくなるって考えたらちょっと寂しいですね」いつもの態度を崩さずに、さらりと言えただろうか。なんでこんなことを、何も考えずに言えたのかが今となっては本当に分からない。でも気持ちの揺れている自分になんて気付かれたくないから必死に虚勢を張ってしまう。こんな自分、どうしようもないなと思いながらも直そうと思えないのが始末に負えない。だから、私には彼氏が出来ないんだろうな、って分かってはいるのだ。別に今はいらないけど。隣に座っている彼を、平常な振りをしながらそっと眺めるだけで良いのだ。
 私の言葉の意味を考え込んでいる相澤さんに、フォローを出すか、趣味が悪いと分かりつつもちょっと悩んでいる彼を見て楽しむか、そんなことを考えている間に、私の携帯電話が音を鳴らす。件の友人からのメールだった。やっぱり懲りずに送ってくる。はいはい、と投げやりな気持ちのままメールを見ても、やっぱり彼氏とのデートでの報告だった。

「よくこんなの言えるよなあ」
「もしかして、何かあった?」
「いえ。友人が、彼氏とのことを逐一報告して来るので……私は、あんまり他人に自分の色恋話したくない方だから、ちょっと不思議に思って」

 私のこの言葉に、何かを思ったらしく、相澤さんは短く息を飲み込んでそのまま固まってしまった。言うか言うまいか、そんな態度をもじもじとして、私のことを見る。身長や座高の関係で上から見下ろされているはずなのに、そろりと様子をうかがうような上目遣いだったので思わず感心してしまった。口にすべきか悩んでいたらしい相澤さんは結局言うことにしたらしい。口を開いて、ゆっくりと言葉を選ぶ。

「あの、さんは……その、彼氏とかは……?」

 その質問で、私と相澤さんの間でこういった色恋の話を交わしたことがなかったのだということに、今更気が付いた。私の方は、この間のお正月の巫女ご奉仕の短期アルバイトの時に彼の恋愛事情を知り得たが(どうやら大学でのお知り合いを奈良まで誘っていたらしいのだが、お正月デートは想像の通り失敗に終わったらしい)(あの頃はまだ、こんな気持ちを彼に抱くとは想像もしていなかったので、何のわだかまりもなく協力していた)、相澤さんの方は私の事情なんて全く知らないのは当然のことだ。

「私ですか。彼氏はいませんよ、今は」

 出し惜しむこともないので、あっさりと答える。さらり、と答え過ぎたのだろうか。逆に相澤さんは戸惑ったようで、次の質問を投げかけるか、このまま流した方が良いのか悩んでしまったみたいだ。余り触れられて欲しくないことはあるけれど、ちょっと冷たく聞こえてしまっては、それは本意ではない。

「相澤さんは? その後、フミさんとどうなんです?」
「それ聞いちゃう……?」
「あ、すみません」

 泣きそうな顔をした相澤さん。まあ、聞くまでもなかったけど、上手く行かなかったんだろうなあ。あの時の彼女、とってもご立腹だったし。「結局、僕の大学四年間……」ぐずり始めた相澤さんを尻目に、グラスの中のお茶を飲み干した。溶け出した氷砂糖の甘さに顔をしかめながらも思ってしまう。相澤さんって、本当に年上っぽくないよな。けれどやはり、彼は社会人なのだ。私服だって同級生達よりも落ち着いた、良い素材のものを着ているし、あの時慰めてくれた彼は――そこまで思い出して、カッと血が巡る。震える指先。気付かれないように私は、そっと息を吸い込んだ。

「……話を戻しますけど。また、地元から何かの機会でこっちに遊びにきた際には、相手をしてやってくださいね」
「もちろん。……あ、僕が休みを取れたらだけど」
「ええ。不定休なのは、重々承知ですから」

 私の言葉に、ホッとしたようにふにゃりと情けない笑みを浮かべた相澤さん。これでこそ、私がおもう彼だな。と、そう再認識した。グラスに目をやると、お湯を失った黄色のお花がグラスの内側に張り付いている。口の中に入った花びらを飲み込みつつ、日の光にかざしてそれを覗いた。最初にたくさん入っていたはずの氷砂糖はもう見る影もないし、添えて出されたそれももう私の口の中で砕かれて胃へ連れていかれてしまっている。キラキラと光って綺麗だったそれを咀嚼してしまったように、私もきらきらとした純粋な感情は飲み込んでしまうのだろう。耐え切れなくなった私は、きっとまた近いうちに彼に会いに来るのだろう。会いに来ざるを得ないのだろう。その時に、私が抱く感情なんて、今は未だ知らないし、知りたくもない。




あとがき

恭太郎は社会人1年目。ヒロインが4回生。ヒロインが内定を頂いた直後の話。
お題は、celeste さんよりお借りしました。

20140318 執筆