伊波孝仁*孝仁幼馴染みヒロイン


「失恋してしまえ」

 どこか浮かれ調子の幼なじみを見て、は半目で言い放った。地を這うような声に孝仁はびくりと体を震わせる。のこの声には、孝仁はいつも弱い。幼い頃から染み付いた性質といえばそうだが、だから私に良いように使われるのに、とは呆れた。そんな様子に気づいているのかいないのか、孝仁はさらにの気分を撫でするようなことを平気で言う。

、お前失恋でもしたのか?」
「うるさい、ハゲ」
「あのー、サン?」
「ほんとうるさい、マルコメ」
「きみこそ、ほんと機嫌悪いな」
「孝仁は機嫌良いよね」

 に指摘され孝仁は、やはり嬉しさを隠し切れていないのかと緩む頬を両手で抑えた。「きもちわるい」と間髪入れずに飛んでくる罵声すらただのBGMになりそうな機嫌の良さは彼だって自覚している。
 実はな、と自慢話を始めそうになった孝仁に「別に興味ない」とが切って捨てると彼は少しだけ肩を落とす。流石にかわいそうかなと思いはしたが、だって興味がないのだから仕方がない。みんながどうして個人の恋愛模様を気にするのかにはわからなかったし、それを除いたとしても、どうして自分のもののように親しみを抱いていた幼馴染のうまく行きそうな恋の様子を聞いて応援してあげなきゃいけないのだ。高校の時、孝仁に理解者が現れた時でさえ、いやなきもちだったのに。自分の狭量さは自覚してるが、だって、それまで、孝仁には私だけだったのに。なんとも言えない自分の内心を悟られたくないし、ましてや自分で言うことなんてさらにあり得ないのに、こういった細かい機敏に気付いてもらえないのが歯がゆくて、はついつい八つ当たりをしてしまう。

「孝仁はさ、鈍いよね」
「まるでが俺のことを好きみたいな言い方だな」
「ばかじゃないの」

 声が震えないように気をつけたら、思いのほか冷たく響いては少し後悔をする。ばかじゃないの。この言葉に、の気持ちがすべて集約されていた。孝仁のことを好きだなんて、あるわけがない。そう。あるわけがないのだ。今までずっとずっと隣にいたから錯覚してしまってるだけだ。好きになって、つらい思いをするのは私の方なのだから。こう思ってるのも自分だけだと知っていて、絶対に悟られたくなくてはため息を零す。急くように言い訳を始めたら止まらない。

「孝仁だって、私に彼氏が出来たって妙な気分になるでしょ。先越されたみたいに思わない?」
「まあ、なあ……」
「それと一緒だよ。良くも悪くも幼馴染で、何の因果か腐れ縁でここまで来ちゃったんだもの。自分と違う道歩まれたら、ねぇ……」

 言い訳の嵐に対して、そうだな、と素直に納得し始めた孝仁は何処までも真面目人間だと思うわけです。
 いちいち苛立たしいことはあれども、孝仁のこういうところは存外好ましく思っていただったが、あることに気がついて、やがて気落ちしたように肩を落とす。どうせ嫡男の孝仁様とは立ってる舞台からして違うのだと聡いは幼い頃から知っていた。隣を、同じ道を歩いているように錯覚していただけで、ほんとうは同じ道なんかじゃなかった。過去を振り払うようには衝動的に言葉を口にする。

「きっと私は何処かの家にお見合い結婚するんだろうから」

 が思わずこぼした一言に、ちゃぶ台の向こう側に座っていた孝仁は大げさに反応する。具体的には、孝仁はガタリと立ち上がり、わなわなと身体を震わせる。七緒ちゃんのことであれば、許さないぞと叫んで喧嘩になっていただろうことが目に浮かぶが、の場合にはそこまで露骨な反応はなかった。ただしシスターコンプレックス気味のこの男(本人に言えば否定されそうだが)の、妹さんへの反応と比較する方が間違ってると言えばそうである。言葉がなくとも、十二分に想定を超えた反応だった。

「見合いする気なのか」
「まあね。そろそろ断り続けるのもね。お寺関係だったらね、顔が広いからね。うちも」

 動揺した様子を隠せない孝仁は、わなわなと体を震わせて何かを言おうとするが言葉にならない。まあ、それもそうだろうね。と納得する。お見合いが嫌だと言い続けていた孝仁には認められないんだろう。さらに付け加えるならのこの投げやり具合に驚いているに違いがない。

「言うけどね、私って結構好物件なんだからね。孝仁はわからないかもしれないけど、結構、皆さん私を望んでくれんだから」

 こうは言ったものの、やはりは選ばれる方なのだ。あくまで選ぶ立場なのは男の人の方。それを身に染みて実感していただからこそ、恋に浮かれる孝仁が恨めしい。見合いが嫌だと叫べる立場、そして性格。羨ましくて仕方がなかった。ずっと一緒だと思っていたのは自分だけだと言うことさえも、責任転嫁して責めてしまいたくなる。

「孝仁が知らないだけで、孝仁の家にも私の釣書が届いてたりしてね」
「は」
「だって同い年で、お寺でしょ。叡信くんのところにも届いたみたいだし……」
「え」
「なんで知ってるのかって?実はね、今週末は叡信くんのところに行くのよ、私」
「だ、だめだ!」

 突然叫んだ孝仁がおかしかった。からからと笑うが、立ち上がったままの孝仁を見上げたら、それには何の意図もなかったにも関わらずたじろいでしまったみたいだった。言葉を詰まらせた孝仁は、しかしすぐに立ち直って、何かを言おうとする。息を止めたみたいに顔を真っ赤にして、そしてまた叫ぶ。

「失恋してしまえ!」

 失恋もなにも無いというのに。孝仁の叫びに笑いが止められないでいるに対して、孝仁は意識して極めて真剣な顔を作った。

「冗談じゃないぞ」
「なんだか、孝仁が私のことを好きみたいな言い方ね」
「……」
「ね?先を越されたら不愉快でしょう? 私の場合は恋でもないわけだけど……邪魔するようなら責任とってもらうけど?」
「……」

 そこまでの覚悟なんてないに違いない。彼にとって私はただの幼なじみで、ただ前を行っていたいだけなのだから。がそう高を括っていたのを知ってか知らずか、孝仁は真剣な表情を崩さずに、顔は赤いままだったが存外はっきりとした声色で告げる。二人しかおらず、が笑いを止めると静かそこには、孝仁の声がやけに響いた。

「構わない」
「え?」
「構わないって言ったんだ」
「やだ。孝仁、ちょっとからかっただけじゃない。そんな売り言葉に買い言葉で人生決めなくても」
「売り言葉に買い言葉じゃないからな。それがいいって思ったんだよ。が何処の誰とも知れない奴に貰われるくらいなら、俺がもらう」
「……あれほど恋愛結婚したいって言ってたのに」
「……恋愛結婚だよ、俺には。俺は、のこと好きだったから」
「は?」

 が余裕な表情でいられたのはそこまでだった。思わずこぼした間抜けな声に「『は?』って君なあ……」と小言を漏らしている孝仁の表情にからかいの表情があればよかったのに。あるのは呆れたようにしながらも、何処か照れの残る真剣な表情で。弱みを見せたくないだけど、足先から徐々に赤みがせり上がってくるのを感じていた。普段は冷え性気味の指先など、末端部分までポカポカと血が巡っているのを自覚しながら、顔を背けることでかろうじて抵抗をする。見えなくても短い笑い声が孝仁の表情を教えてくれて、それだけでどうしていいのかわからなくなる。

「俺の望んでいたのは両想いだったけど……が嫌がらないならそれでいいよ。叡信なんて選ぶくらいだから誰だって、よかったんだろ」

 言葉の軽さで押し隠してはいるが、そこには怯えが含まれていることには気がついた。震える声に愛しさを感じてしまうのは、我ながら歪んでいるなと自覚しつつも込み上げてくる喜びを隠し得ない。拒絶される恐怖というものは自分ばかりが抱いていたものだと思っていたは驚きのまま、振り返った。孝仁と同じくらい真っ赤に染めた顔を見られることにも厭わずに彼の目を見据える。

「孝仁は、ほんと鈍い」

 拗ねたような言い方になってしまうのはのせめてもの抵抗だった。彼女の表情や言い方に感じるものがあったのか、孝仁は目を見開く。「もしかして、、君……」「みなまで言わないでよ、恥ずかしいから!あのね、私の気持ちなんて考えたことないくせに」置いていかれるのが嫌なだけだなんて、大嘘だ。先を越されることより何より、孝仁が女の人のことで一喜一憂することが不愉快だった。

「執着してるのは私だけかと思ってたけど、孝仁も結構そういうタイプだよね。七緒ちゃんに対してもそうだし。私に対するのもシスコンの延長?」
「君なあ……」
「だって、嘘みたい」

 くしゃりと表情を歪ませた。孝仁は焦る。彼は地を這うような声にも弱ければ、の泣き顔にもとんと弱かった。適切な言葉が見つからず何も言えずにいる孝仁に、はかろうじて笑みを作った。安心させるように、なんて心の動きは数分前にはあり得なかったことだと、それだけでおかしく思う。ただ、少し悔しいのはたったひとつ。

「お母さん達、喜びそうだよね」
「……襖の向こうにいたりしてな」

 ありえる、と彼女思った瞬間、襖の向こうで音が聞こえてと孝仁は顔を見合わせた。先ほどの醜態を見られていたかもしれないと思うと、これ以上真っ赤になれないという程まで二人して茹で蛸のようになる。は週末のお見合いをどうしようかとぼんやり考えながら孝仁の隣へ近付き、顔色を隠すため彼の胸に顔を埋めた。どうしようもなく、しあわせだった。


ロマンスと引き換えに

あとがき

孝仁君はラブコメ要因。
お題は、as far as I know さんよりお借りしました。

20140202 執筆