いつもの場所で、つまり行きつけの酒場の一番奥カウンター席で、遠くをぼんやり見つめながら葉巻を吸っているのは、我らが准将だ。
しっかりと意志を持っているあの人にしては、どこかへ心を飛ばしているその様子が非常に珍しい。
そっと近寄ると、私に気付いてぼんやりとこちらの世界に精神が戻ってきたように、瞳に光を戻した。
「どうかしましたか、准将」
「だから、その口調は止めろ。」
「はあ……。それで? 何か気に掛かることでもあるのかしら」
私がつぶやくと、スモーカーはふんっと顔を背けた。言いたくない、だなんてこの人の態度の示し方はまるで少年の拗ね方なんだから。
ただ、それがまた魅力なのは言うまでもない。
頼りがいがあるのに、決してそれだけを押し付けるのではなく、包容とともに母性本能をも満足させてくれるのだ。
散々海軍の上層部をも辟易させていた無礼極まりない態度も、彼の『正義』を損なわなければ自分には向けられない。
とはいっても、麦わらの一件から「好き勝手やるのには、それなりの地位が必要だ」という考えを持つようになったらしく、昔に比べれば随分と丸くなったようなんだけど。あの白猟のスモーカーが笑わせる。ただ、昔よりも更に魅力的なのが悔しい。
ため息とともに吐き出された葉巻の煙。白いそれが、この場に充満してその匂いに何とも言えない気持ちになる。
(……昔は、葉巻の匂いは好きじゃなかったんだけどな)
否。そもそも、スモーカー自体が苦手だったんだっけ。
士官学校時代、私はたいていヒナと一緒にいた訳で、周囲にはスモーカーのような「上からの命令に逆らうやつ」がいなかった。
そんな中、上の命令よりも自分の信念を優先するような人間は、当時の私にとって非常に衝撃的な存在だったのだ。
「たしぎの話はお前の引き抜きだろう? どこかは知らんが、大方……ガープ中将のとこから戻ってこいという話じゃないのか」
「あら。珍しく勘が良いのね」
「酷く渋られたからな、お前を引き抜くときに」
あれま。そんなにたいした能力なんてないのに、「私のために争わないで!」みたいな状態になっているなんて……。
これはこれで心地が良いかもしれない。ただ、どちらかが見放してくれさえすれば、私にとって話は簡単なのだ。
なんたって、両方ともが大切で、選ぶのが用意じゃないからだ。
「お前は使い勝手がいいんだよ、上官にとっても。なんせ、無茶はしない、指示を無視しない、その位にしてはやけに能力は高い。お前くらいだったら、本当は将校の仲間入りしてもおかしくないんだぞ」
「いやよ。責任が重くなるじゃない」
私がそう言うと、ため息をつきながらスモーカーは酒を飲んだ。
だって本当の事でしょう? 海賊にも恨みはないし、今の給金にだってさほど不満はない。いやいや、何もせずに給料あがるならそれに超した事はないけど。
「昇進しようとは思わないのか?」
「だから、責任とかキライなんだって」
「そうだな……。それなら、止める気は?」
「は?」
唐突じゃないか、それは。
何を言ってるんだろうか。まったく訳が分からなくて、思わずポカンとスモーカーを見つめてしまった。
奴は私の熱い視線を避けるように目をそらし、再びジョッキを口へ運ぶ。
「あー……つまり、結婚して止める気はないのかってことだ」
「やだ、スモーカー。寿退社だなんて、私とほんのいくつかしか変わらないのに、古い考えを持っているのね」
「誤摩化す気か」
別にそんなつもりはないわよ。と言っても、きっと説得力に欠けるんだろうな、なんて考えながらどう答えるかを思案する。
マドラーでグラスに入った酒をぐるぐるとかき混ぜる。中の氷がカラカラと音を立てたが、がやがやとしたこの酒場に消えていった。
「別にそんなつもりはないわよ」
結局、最初に言ったのと同じ言葉を言って、様子を窺う。
案の定、彼は訝し気にこちらを見やる。今度は私がため息を付いて、「疑うの?」と告げる。
そして、スモーカーがそれに返事をしないうちに、くすりと笑った。
「何度も言うように、お相手がいないの。知ってるでしょ? スモーカーなら」
たぶん、スモーカーはきっと自分のところに嫁に来る気は無いのかと、暗に問うているのだろう。以前にあった通り、なんでかは知らないのだけど、スモーカーは私に好意を抱いているらしいし、私と彼は今、曖昧な関係だ。
上司と部下というだけではもちろん無く、身体だけでもなく、かといって別に恋人になった覚えは無い。同期の飲み仲間、というのが正しかったはずなのに、あの日あの夜、私達の関係は一線を踏み越えてしまった。
それでも、私は曖昧のままで居たくて、彼の言う通り誤摩化した。間違っても「貰ってくれるの?」なんて言ってはいけない。
冗談でもそんなことを言おうものなら、強引なスモーカーのことだ。海賊よろしく攫われて囲われて、結局家の中に縛り付けられてしまうだろう。独占欲が強いのだって、私は知っている。
「せっかく、スモーカーに気持ちが傾いてきていたというのにね。コビーくんたら、『僕には貴女が必要なんです』だって……。いい加減、解放してくれれば良いのに」
そう口で言っていて、思っているはずなのに、心の底では喜んでいるから救えない。
しかし、何度も言うようだけれどスモーカーに惹かれているのだって事実である。
「で。結局、お前はどうするつもりだ?」
スモーカーの端的な問いに言葉を詰まらせる。この人、私が単刀直入に聞かれる事が苦手だって知ってるくせに。ほんと、意地悪。
「コビーくんが好きだっていうのも、まだ過去の話じゃないのよ。でもね、」
私がなにか理由を付けようととしたら、スモーカーは黙って私の身体を自分の胸へ引き寄せた。ぐいっと強引に。だけど、無理矢理ではなく。
「迷っているなら、黙って俺の下へ付いておけ」
いつも最終的には私に決定権を委ねるスモーカーが、こうやって私に意見を聞かずに決めつける事は珍しい。
少しだけ驚いていると、らしくなく言い訳をするように口を開く。
「俺だけじゃない。たしぎだって、他の奴らだってお前のことは一目置いているんだ」
嘘だ。昨日までなら、きっとそう即答しただろう。
だけど、たしぎさんのあの真剣で実直な好意を示された後では、それは出来なかった。
そのように、思ってくれているのだろうか。スモーカーの女だからここにいる、みたいな浮ついた理由だと思われては居ないのだろうか。
私の不安を見透かすように頭上で笑んだ気配がする。むかっと思うが、それもかき消すように私を抱きしめる手に、そっと力が込められる。
(私がここにいてもいいのだろうか……)
たしぎさんに、今度お礼を言おう。
私は鈍感だから、あそこまで率直に言われなきゃ、未だに不安を抱いていただろう。そして、せっかくの好意に気付かないまま、ガープ中将の下へとんぼ返りしていたかもしれない。
それでは、当てつけに利用する事になったスモーカーにも、「戻ってこい」とは言っていただいたものの、信頼して送り出してくれたはずの中将をはじめとするガープ隊のみんなにも申し訳が立たない。もちろん、コビーくんやヘルメッポにも。
(うん……もう少し、こっちで頑張ってみよう)
「それなら、そうさせてもらおうかしら?」
先ほどのスモーカーの強引な命令に肯定で返して、私は彼の腕の中でふっと微笑む。
なんだか、明日からはもっと上手くやれそうな気がした。