誰かとほんの少し特別な関係になるのは、さして難しいことではない。たったひとつのきっかけと、それを活かそうとする能動的な行動力がありさえすればいい。
学生時代から誰に対しても『運命は掴みにいくもの、与えられるものじゃないわ』と公言して憚らないナマエであったが、元同級生に「貴女はまだ恋を知らないのね」なんて憐みを持って言われると、それは腹が立つものだった。実際、今まで築き上げてきた友人関係はナマエの行動力の賜物であり、掴みにいった運命だと信じている。
だいたい、在学中も神経を逆撫でするようなことばかり言う女だった。スリザリン寮とは合同授業もあまりなかった――人数の偏り故に一番人数の少ないスリザリン寮と一番人数の多いグリフィンドール寮の合同授業が最も多い組み合わせだった――ので、あの女の一番の【お気に入り】はグリフィンドール寮のグレンジャーだったのだけれど。純血一族の有望株を逃したパーキンソンは卒業後、一族の家で女家庭教師(ガヴァネス)をしているらしくおそらく昔のように、立場も気にせず言い合いができるのであれば誰でも良かったのだろう。結婚までの腰掛けとはいえ、女家庭教師の身の振り方の難しさといえば、とっても有名だもの。ホグワーツまでの英才教育のため、家庭教師を必要としている名家は多いだろうし、仕事には困らないだろうけれど。
それを踏まえれば、出会い頭にアイスクリームパーラーへ引き摺り込まれて、碌でもない愚痴ばかりを聞かされたのは許して差し上げるべきかしら。私は、あなたと違って暇じゃないのよ。と何度言おうと思ったか。気の強さは何重にも被った猫が隠してくれる。ナマエは限界まで仮面付きの笑顔で辛抱強くパーキンソン女史の相手をして差し上げ、結果ナマエの我慢の限界が来る前に彼女が満足したのだった。
(それにしても、誰も彼も、学生時代のようにはいかないものね)
ポッターの華々しい成功は聞いているし、グレンジャーのそれもそろそろ世間を騒がせることだろう――彼女はもう一度ホグワーツに戻って七年目を学び直しており、間もなく卒業する――それに比べて、私たちの平凡な日常。パーキンソンが鬱屈した思いを抱えるのも、納得いかないわけではない。純血の一族の中でも高位に属する土地持ちの家柄でもなければ、不労所得なんて有り得ないのだから、身を粉にして働くしか私たちには許されていない。
学生時代のように軽々しく友人に会えるわけでもなく、慣れない仕事に追い詰められ、ナマエはきっと疲れていた。大嫌いだったパーキンソンとお茶をしたと、友人たちが聞けばどんなに驚くだろう。しかも、あの女が大して考えもなく発した言葉が刺のように喉の奥に引っかかっているなんて!
「恋なんて、ばかばかしいわ」
「まさにその通りですね」
まさか返事があると思わなかった。振り返れば、少し痩せ過ぎではないかというほど細身で、長身の男が立っていた。魔法使いらしいローブを翻しながら当たり前のようにカウンターにグラスを置き、彼女の隣の椅子に腰掛けたので、ナマエはぎょっとした。「お久しぶりですね」と丁寧に言われて、ナマエは戸惑った。彼女には目の前の男に心当たりなどなかったからだ。
「覚えてないかなとは思っていたけど、やっぱりか」
薄く笑いながら、炭酸のはじける透明の液体の中ライムの沈んでいるグラスの中身に口をつけ、「セオドール・ノットと言えば思い出す?」笑みはそのままに「思い出さなくても良いけれど。きみとは学生時代、ほとんど話したことがないからね」なんてこちらを見ずに酒を嗜む男の首筋を見ていると、状況も踏まえずぞくりとした。顎のラインから首筋に掛けて、とんでもなく扇情的だ――って、どこかで同じことを思った気がする。思い出したくもない暗黒の最終学年、瞳に乗せる感情を消し去ってマグル生まれの下級生に鞭を向けていた同学年の男子生徒の姿が、遠い記憶の底に埋もれている。「セオドール・ノット、思い出した……」あの時、ナマエは誰にも一生言えない秘密が出来たのだ。恐怖に支配された空間で、鞭をしならせる男に欲情したなどと、誰が言えるものか。恥じた記憶を封印していたのに、ナマエのことなんて気にも留めていないと思っていた張本人が声をかけてくるとは思いもしなかった。
膝の上でワンピースの裾をぎゅっと握りしめる。そうでもしないと、恐れが震えになって表面化しそうだった。ナマエは明確にこの男が怖かった。害されるかもしれない、そんなことは考えていない。だけれど、きっとあの時彼は見抜いたに違いない。一瞬交差した視線の中から、明確に自分の欲望を。
これは恋なんて、可愛らしいものではないとナマエは知っていた。恋を知らない彼女だったけれど、このおぞましい感情の根底にあるのが恋なんてものなら、あのパーキンソンは無邪気に笑っていられないだろう。無意識に息を止めていたことに気が付いて、ナマエは深く呼吸をする。こわばっていた身体に新鮮な空気が行き届き少し緩んだその瞬間を狙っていたかのように、冷たい手が彼女の手の甲に重ねられる。裾をもう一度握りしめ、体全体に力が入る。決して彼の方を振り向いてはいけない。カウンターの上から視線が逸らせない。「やっぱり」何かを確信した声、彼女の手に重ねているのとは反対側の手を伸ばし、ナマエの頬に触れる。「こちらを向いて、ナマエ」ノットのことなんて何も知らないけれど、馴れ馴れしく名前を呼ぶのも彼らしくない。(きっと、知られてしまっている)観念してセオドール・ノットを見ると、その瞳は強い色を乗せていて驚いた。この薄い色の眼の奥には、感情なんてないと思っていたのに。しかも、彼がナマエに向ける感情ときたら、きっと彼女が彼に向けるものとそっくりだ。
「運命を、掴みに行っても構いませんか」
「……ばか。そういうことは、聞くものじゃないのよ」
秘密が一つ増えてしまった。感情を消し去って誰かを傷付ける姿に惹かれてしまったなんて、この筋張った男に滅茶苦茶にされてみたいなんて、友人たちの誰に言えるのだろう。運命は与えられるものじゃない、どちらかが掴みにいかないと無いも同じなのに。きっかけがあれども、能動的に動きさえしなければ関係は発展しないのに。だから、私はあの時のことを記憶から消し去ったのに。何を思おうともそれは言い訳に過ぎなくて、ぐるぐると頭を過ぎる言葉の群れの代わりにため息を落として消し去った。伏せていた目をそっと挙げて、隣に座る彼を見る。まだナマエの片手を掴んだままなのを忘れてしまいそうなほど、澄ました顔をしている男から、嗚呼、きっと逃れられないに違いない。やっぱり、何度見ても男の首筋はひどく禁欲的に見えるのに、何故だか背筋がぞくぞくとするのだった。
2018.03掲載。続きます。