季節は冬だった。ホグワーツ城内は視覚的には何にも施されておらず寒々しいものの、魔法でも使っているかのように暖かい。けれど、一歩外に出たら防寒具なしでは手がかじかんでしまう寒さ。二十八を過ぎてから一気に身体が衰え始めた身にとっては芯から凍らすような寒さは耐え難いものがある。
 これからそんな外に出なければならないことに憂鬱な気分でいると、目の前で花火が爆発する。「待ちなさい!」おおかたフィルチさんをからかうためのさして害のないものだろうが、目の前で行われたことに対して、ホグワーツの事務員としては見逃してはいけないだろう。張り上げた声にこちらを向き、げ、と苦い顔をした美青年にわざとらしくため息を吐く。
「グリフィンドールから十点減点します。さらに、罰則です。素敵なクリスマスプレゼントでしょう、ブラック」
 ええー! なんて声が聞こえた気もするが、気にしない。いつもはキリリと男前度を上げるつり目が、しょんぼりと下がってて(こいつ、分かってやってるな)と思っても絆されない。それじゃあ、素敵なクリスマスが台無しでしょう?
「今から私は禁じられた森近くに野草を取りに行かなければならないの。それを手伝ってね、ブラック」
「それだけ?」
「それだけですか、よ。敬語はきちんと使いなさい」
「わかりました」
「魔法はなしね」
「ええ、そりゃあないぜ!」
 ホグワーツの生徒たちは、まだ年若い事務員である私に対して気軽に接してくる。よく言えば壁がないのかも知れないけれど、度を過ぎればただ馴れ馴れしい。その筆頭ともなるのが、このブラック家を勘当されたシリウス・ブラックというグリフィンドール生だった。
 私が訳あってダンブルドアに拾われてこのホグワーツに身を寄せるようになってから、魔法族の人々とは、とりわけこの悪戯仕掛け人達とは距離を置こうとしていたにも関わらず、そんな空気も読まずに声を関わってくる。彼の末路を知っていたからこそ、親しくなんてなりたくなかったのに。
 外に出ると一面に銀世界が広がっている。休暇に入り、誰も好き好んで外に出ないからだろう、足跡一つない。真っ白な雪に日差しが差し込んできらきらと反射する様は、この世のものかどうかも疑わしい。
「うわ。外、ほんとにさみぃ」
「魔法はなしよ、ブラック」
「本気で言ってんの、ナマエ
「敬語を使いなさい、ブラック。色男だからと言って許しはしないわよ」
「本気で言ってるんですか、ナマエ
ミョウジさん」
「本気で言ってるんですか、ミョウジさん」
「よろしい。本気よ。私、冗談は言わないの」
 くだらない会話をしながら足を進める。つんけんとしながらもそっと盗み見た横顔は、黒くて艶めいた髪が無造作に掛かっているにも関わらず悔しいくらいに整っている。女が見惚れるなんて当然だろ、なんて思うのも仕方がないとは思うのだ。私だって例によらず、油断したら心の底にあるなにか譲り渡してはいけないものを差し出してしまいそうで、彼のそばにいる際にはいつだって気が抜けない。
 先生方から頼まれたものを摘むためにしゃがみこむ。積もり積もった雪を掘り返すように払っていると、いつのまにかブラックが近寄ってきていた。自分がしゃがみこんでいるせいか、いつもより脚が長く、すらりとして見える。影が長く伸びていた。
ミョウジさんの手ェ赤っ!」
「魔法はなしだからね」
「冗談だろ?」
 思わずというように発されたブラックの声が珍しいことにひっくり返っている。心底驚いたかのように目を見張って、そのままじっと私を射抜いた。
「……冗談だろ?」
 私の目線に合わせるようにしゃがみ込む。私の手を迷いなく取ると「冷たっ」ぎゅっと握りしめる。
「自分まで魔法無しかよ」
 あたためるように両手で包んで、そっと口元に持って行き、息を吐く。ちょっとやそっと顔が整ってたくらいじゃあ、許されない行動もシリウス・ブラックがやれば腰砕けもの。その場に崩れなかったのが奇跡だ。魔法を使ったかのように体温が上昇。これは罰則を増やさなければいけない事案じゃなかろうか。そう思うけれど、至近距離で見つめられてしまえば私の言動なんて簡単に制御される。言葉にならない声を発しながらパクパクと口を動かすしかできないまま、その端正な顔立ちから目が離せない。視線と視線が絡み合ったまま。耐えきれなくなってそっと下に逸らすと、鼻筋だって整っている。どこもかしこも彫刻家を褒めちぎりたくなるような造形美なのだから、冷静になるには彼から離れるしかないのだ。だけど緩く握られた手の先は、暖かさから逃れることを許容しない。
ナマエさんってさ、俺の顔、好きでしょ?」
 ぎりぎり許される範囲の馴れ馴れしさに呼び名を改めて、逃げることを許さないとばかりに手に力を込める。去る者は追わないスタンスなのに、ここぞというときには逃さない手法に彼の面影を見た。
(やっぱりこの子は彼なのだ)
 私と歴史を共有していなくても、彼は彼だった。
「好きなのは、顔じゃないわよ」
「嘘。隠してるつもりかもしれないけど、隠せていませんよ」
「私、こういう嘘はつかないわ」
 嘘に塗り固められた私の人生だけど、彼への気持ちだけは嘘にしたくない。
「あなた、私の婚約者だった人と同じなのよ」
「別れたの?」
「死んだの」
「そっか」
 遺体の欠けら一つ残さなかった、あの人の死に様を思い出すとこみ上げてくるものがある。嘘。だって、私はあの人が死んだなんて思ってないもの。目の前に彼がいることによって、より鮮明にあの人の笑顔を思い出す。胸の底からせり上がってくる熱いものを必死で抑えた。
(よりにもよって、この子の前で泣きたくなんてない)
 目が潤い、こみ上げてくる嗚咽を我慢するせいで、喉の奥からは血の味がするが押し潰されるような胸の痛みからよりはよっぽどマシだ。
「俺にしといたら、ナマエさん」
「無理よ」
「なんで、自分で言うけどいい男だろ、俺」
「死ぬのを見たくない」
「死なないよ」
 死ぬのよ。きっと。君はそういう男だよ。夢を見させておいて、親友のために私を省みない。なのに、なのに私は。迷いが出てきて流されてしまう前に、握られている手を振り払う。手がかじかむのも気にせずに、雪の中に埋もれる野草を摘もうと改めて地面に手を伸ばす。その腕を引かれた。勢いのあまり、ブラックはその場に座り込む。雪にまみれ、絶対尋常じゃないくらい冷たいはずだと、彼の腕の中でどこか冷静にそう考えた。逃さないと言われるように背中に回される両腕。まだ成人を迎えたばかりとはいえ、もうすでに男性の骨格、懐かしささえ覚えるほど。
ナマエさん、だってこんなにも、俺が好きじゃんか」
 心臓の音を感じ取られたのだろうか、私の感情なんですべてお見通しとでもいうのだろうか。なんで、どうしてこんな状況になったのか、私には全く分からない。もう敬語を使えだの注意をする余裕はない。降ってくる言葉を打ち返していくだけで精いっぱいだ。
「彼より歳をとったなら考えられるけど」
「そんなの一生追いつけないじゃん」
「死人は歳をとらないから」
「何歳?」
「三十六」
「あー、あと二十年か」
「その頃には私はいくつかしらね」
 笑いながら言ったけど、心の底で嫌なものが疼く。だって、私の十年がなくなったも同じなんだもの。私がよっぽどな表情をしていたのだろう。彼は少し困ったように微笑を浮かべてもう一度私の手を掴んだ。生命を感じられないほど冷えて痛んだ手に、暖かさがじんわりと巡る。
「待っててよ、ナマエさん。俺だったら、あなたにそんな顔させないぜ」
 私にこんな顔をさせるのはあなただけだと思いながら「初めて会った時に、あんたは俺のものだって思ったんだよ」あの頃のシリウスの心が、どこか目の前の男の子に通じているのかもしれないなと頭の片隅でぼんやり思った。
 

「私と出会わない、彼のお話。」


2017.12掲載。
入れられなかったセリフ:
「信じられないと思うけど、私、あなたの婚約者だったのよ」