あと一歩、運命がずれていたらタキシードを着て新郎席に座っていたのは自分だったのだろうか。
 そう思ってしまったのは、全てが終わった後だった。


 雄英時代の同級生の結婚式に参列したのはもう何度目か。俺らもいい加減、卒業してしばらくになるし、アラサーと呼ばれる年齢になってしまったことを思い知らされるような事実だった。とはいえ、同級生同士の結婚式は今回が初めてだ。それもそうか。俺らのクラスは圧倒的に男が多かった。
 ヒーローとなった新郎新婦が拠点にしているのは神奈川県のあたりで、緑谷たちのように直接関わりがなかったとはいえ、オールマイト引退のあの事件の起こった地域にいるっていうのが、いつまでたってもなれずに落ち着かない。
 俺達は横浜みなとみらいのアニヴェルセルで式と披露宴を終えた後、横浜沿岸クルーズで二次会をした。幹事をしたのは俺とヤオモモだった。にぎやかし担当で俺が選ばれるのは当然としても、授業やら演習やらを除いてプライベートでヤオモモとペアになるのはなんだか不思議だった。こういう場で俺のとなりにいるのはいつも耳郎だったから――

 耳郎響香と俺、上鳴電気が付き合っていたのは高校を卒業してからしばらくの間だった。気の合うダチとしての延長線上で彼氏彼女になったは良いものの、友人・仲間として関係から抜け出せず、ヒーロー業に追われ、どんどんとすれ違って言った。すれ違うも何もない。元から存在しない愛情だった。最初から結果の見えていた関係だった。その上、学生ではなく本職のヒーローとしての自分たちを全うするため、目の前のことに必死になり、相手を気遣うことも忘れ、破局した。
 だからきっと、俺らが付き合っていたことを知る人間は少ない。少なくとも俺は峰田にしか話していないし、奴もよそに広めたりはしていないだろう。
 それから数年、ヤオモモや轟なんかが結婚やら婚約やらして少ししてからか、耳郎と口田が付き合ってると聞いた。最初は信ぴょう性のない噂だと思った。でも今でも時々やる同期達との飲み会で、確信してしまった。そのネタでみんなに揶揄われていた耳郎は確かに俺には見せなかった表情を口田に見せていた。恋をする女の子の顔だった。言葉にできない衝撃を受けてしまったのは、仕方のない話と言えるだろう。耳郎響香と口田甲司はお似合いだった。だから、俺は奴らのことを間違いなく応援していたのに、二次会まですべて終えた今のこの気持ちはなんと表現すればよいのだろうか。
 仲間内だけでまた飲み直そうぜと言っている元同級生たちを尻目に、こういうときこそ率先して参加しそうな峰田が俺に目配せしながら「オイラ、今日は彼女んとこ行くから」と言って一抜けした。「峰田が不参加?」珍しそうに言う切島に向かって、「わり、俺も抜けるわ」と告げる。
「上鳴も? どうしたんだよ、調子でも悪いのか?」
「幹事張り切り過ぎて、ちょっとつかれちった」
 両手を合わせてウィンクしながら謝れば瀬呂に「別に良いけどよ、お前ら二人が抜けるって悪だくみしてそうだな」なんて失礼なことを言われる。「どんな目で俺らを見てんだよ、お前ら」「上鳴ちゃんと峰田ちゃんは自分の胸に手を当てて考えてみたほうが良いわ」「なんだよぉ~もう」空気を読んだのか梅雨ちゃんの冷静な、その上少し茶化すようなツッコミでその場の空気が緩んだ。
「じゃ、そういうことで」
「また集まろうな~!」
「上鳴さん、今日はいろいろとありがとうございました」
 次の店を探して歩くお呼ばれ服を着た集団を尻目に、峰田は海沿いを反対方向へ歩き出した。疲れたなんてその場の軽い嘘だったつもりなのに、皆と別れた瞬間、どっと疲れが出てきた。潮風が頬を嬲り、べたべたとしているような気もする。ぐったりとしている俺を気遣う様子もなく歩いている峰田は、この後のことを何にも考えていなかった俺と違って、何か考えがあるようだった。
「こっちだ、上鳴」
「どこに行く気だ?」
「さっき言ったじゃんか、彼女のとこ」
 何言ってんだよ、というようにこちらを向いた峰田に俺は思わず驚いた。
「え、お前彼女ほんとにいたの?」
「いるっていっつも言ってるだろ。飲み会で写真だって見せたし」
「フリー素材かと」
「人の彼女、勝手にフリー素材にすんなよな」
 軽口の応酬。だんだん、いつもの調子を取り戻してきた気がしてほっとする。でもこれ、峰田が気ぃ遣ってくれてんだろうな。ちょっと申し訳ない気持ちになったり。二次会のクルーズの乗り場からは少し歩いたけれど、良い感じに冷めてきた気がする。お祝い事の席はめでたいことだけれど、その『祝わなければならない』という圧を常に感じるから、本当のところ、少し苦手だったりする。キャラじゃねぇから言わないけど。俺はにぎやかし担当として皆が望んでいるように、皆が知っている俺がそうであるように、いつもその本音を隠してその場の空気を盛り上げることに徹する。
「ここだよ、上鳴。オイラの妄言じゃねぇから」
「お、まじだ」
 いかにも横浜の裏路地って感じの少しだけ闇を感じるそのレストランバーというべきお店は覗いた限り人は少なそうだった。慣れたように(実際慣れているのだろう)峰田が扉を引くと、からんころんとベルが鳴った。
「よぉ」
「本当に来たの、峰田くん」
「いとしい彼女に嘘つくわけないだろ」
「その気持ち悪い物言い止めて。……だって、結婚式帰りって言うから――っと、お連れ様も一緒だったのに店先ですみません。どうぞ、カウンター席空いてるので」
 さほど広くもない店内だった。薄暗い照明、流れるBGM。こじんまりとした、雰囲気のある店だ。耳郎が好きそうだ、と反射的に思ってしまい、ため息を吐いた。夜も遅いためかテーブル席には一組だけ。もう食事もすまし、紅茶か珈琲を飲んでいる女性の二人連れは終電も間際なのか、今にも帰りそうな雰囲気だ。
 峰田の彼女に促されたカウンターを見ると、そちらは女性が一人いるだけだった。憂鬱そうにグラスを手にしている女性だ。陰鬱な美女と表現すれば伝わるだろうか。深い青色のワンピースの上から白いカーディガンを羽織る黒髪ボブの女性は酷く色白で、ともすれば不健康そうに見えた。もしかしたら店の中が暗いというのも関係があるかもしれない。こういった夜のお店はとてもじゃないが明るいとは言えない。その女性は奥から二つ目の席に座っており、こちらに気が付いたようで軽く頭を下げると入り口側に置いていた小ぶりの鞄を反対側に置き直した。俺は峰田に促され、彼女とひとつ離れた席へ腰掛ける。その更に入り口側に峰田が来る。こういう店って結構椅子が高めだから、身長の低いこいつは大丈夫なのかと見ていたが、危なげなく座っている。
「とりあえず、ジントニック二つ」
「私も何か良い?」
「そういう遠慮ばかり無くなるんだよなぁ。どう思う、上鳴」
「どう思うって言ったってな……」
「いいよ、こいつの失恋記念日だから好きなの入れて」
 俺の返事は特に求めていなかったようで、失礼なことを言って峰田は彼女に自分のおごりで好きなのを飲むように促した。やった、と嬉しそうに言う彼女は俺たちにジントニックをつくり始める。(ここはちゃんとライム使うんだな……)と感想を抱く。良く知られた名前のジントニックだけど、店によって全然味が違う。安い店は大概レモンを使ってるらしい。要するに、ライムとレモンじゃ仕入単価が全然違うんだと。ヒーローをやってて、しかもこんなキャラだからか、同僚や先輩や、その他仕事関係の人たちにいろんな店を連れまわされた分、変なところばかり注目してしまって良くない。難癖をつける気はないのだから。ふと隣に目を向けると、彼女が飲んでいたグラスもちょうど空になったらしい。何飲んでたんだろ、とそう思っていると目が合ってしまった。
「お姉さんも、お次何かどうですか?」
「いいの?」
「その代わり、名前教えてもらえるなら」
「じゃあ、ジャックローズで」
 ふふ、と彼女は微笑みながら注文する。「承知いたしましたー!」先ほどまで峰田と何か話していた声がカウンターの奥から元気に返事をするのが聞こえたが、こちとらそれどころじゃない。「絵未」「えっ、」「わたしの名前。絵未っていうの。きみは?」「上鳴。上鳴電気」「電気くん。かわいい名前ね」掛けている眼鏡の奥で目元を和らげてふんわりと笑うと、絵未さんは先ほどまでの陰鬱そうな雰囲気が一気に払しょくされて、なんて言ったら良いんだろう、俺好みのすげー可愛い感じになったのだ。
「あ、上鳴ぃ! 早速、絵未さん口説いてる!」
「知り合い?」
「ここの常連だからな! 俺だって絵未さんに会いにここに来ているようなもんだぞ」
 自慢気に言う峰田だが、お前よく自分のカノジョの前でそんなこと言えるな。当のカノジョは慣れた風で呆れたように峰田を見ていた。峰田の性格を考えるとよくある光景なのだろうし、慣れもするか。
絵未さん、もしかして今日うちの会場いた?」
「会場どころか、式までドンピシャ。峰田くん、目立つからすぐわかっちゃった」
 なんのことやら良く分からない二人の会話にクエスチョンマークを浮かべながらジントニックを飲んでいると、ちょうどシェイクの終わったらしい峰田の彼女がシェイカーからカクテルグラスに注ぎこんで出来上がったジャックローズを絵未さんに差し出しながら、そっと俺にフォロー入れてくれる。「絵未さん、ハープの演奏するのよ」「そう、結婚式とかで」なるほど。絵未さんが俺に、いただきます。とグラスを差し出し乾杯の形をとると、お酒をそっと口に含む。液体に濡れた唇はそのままに、数秒目を瞑った彼女はとても扇情的で、表情で雰囲気ががらりと変わる人だな。と思った。
「それで、きみの失恋記念日なんだっけ? 新婦に片思いでもしていたの?」
「いや、元カノです」
「あら、まあ……」
 少し驚いた様子の絵未さんに、峰田はまた茶々を入れる。
「こいつ、アホだから別れるまであいつのこと好きだって気付かなかったんだよ」
「おま、余計なこと言うなよ」
「事実じゃねぇか。なのに外面ばっかいいから、合コンでは雑魚モテすんの」
「峰田、それ僻みとはいえオンナノコに超失礼だからな」
「ほら、こういうとこだよ! だから、お前の手札には運命が回ってこないんだっつーの」
「ババ抜きの話なら、ジョーカーが来ないんだったら良いだろ」
「あのなあ、手持ちの中にありきたりなカードしかなかったら、そいつら全部別の男とくっつくんだぞ? オイラモテないから良く知ってる」
 俺らのいつも通りのやりとりに、絵未さんと峰田の彼女は顔を見合わせてくすくす笑う。な、なんだよ。と思ったら「峰田くんに聞いてた通りだから、上鳴くん」と峰田の方にいただきますとグラスを傾け、自分の分のドリンクを飲みながら峰田の彼女が言った。何言ったんだよ、と横目でにらめば「別に変なこと言ってねぇよ」と澄ましたことで言い訳する。
「ああ、でも。それならわたしも手札の中に、運命の手持ちがないのかもしれない」
 寂しそうに言う絵未さんも、もしかしたら失恋とか恋人と別れたとか、そんなのことの後なのかもしれない。不躾な話題に巻き込んでしまったか、と思ってしまうと何も言えなくなってしまう。絵未さんはそんな俺の様子を見て、「ああ、気にしなくていいの。親が早く結婚しろってうるさくって」逆に気遣ってくれたようでひらひらと手を振りながら軽い調子でそう言った。
「でも、チャージズマっていったら、オンナノコとっかえひっかえしてるイメージだけど……案外、そうでもなかったのね」
「あれ、俺のこと知ってたんスか?」
「そこにいるグレープジュースが酔った勢いでこぼしてったのよ」
「まあ、別にいいんですけど……おい、峰田」
「酔ってたんだから仕方ないだろぉ~。それに酔ってても交友関係を言う人は選んでるから」
 会話が進めば進むほど、ボロが出てくることに気付いたのか、峰田は自分の彼女にまた何か注文してそちらで話し込むことにしたようだ。微笑ましそうにこちらを見ていた絵未さんに焦りながら「だったら、俺のファンだったりします?」「ここで女なら、ショートファンっていうべきなんでしょうね」「うわー、ショック」いつものようにチャージズマのイメージを壊さないようにわざとおちゃらけて聞くが、返事は想像通り、また轟だ。俺はフライデーにすっぱ抜かれる割に(実はこれも事務所の方針である。俺のキャラ的にそういう印象付けを狙っている)、女性ファンが付くのはダントツで轟だ。仕方ないもんな。女が好きそうなイケメンだし結婚したの発表されてないしな、あいつ。だけど、耳郎が選んだのはそういう、言っちゃ失礼かもしれないが、ぱっと見女性受けする風貌ではない口田だ。彼奴が良いやつだっていうのは三年間共に学んで、俺も知ってる。だけど、あの耳郎だぜ? まさか、としか思えない。飲みの席で見せつけられても、今日の今日まで実感が湧かなかった。
「でも、あいつ。今日が今までで見た中で一番きれいだったんだよなあ」
「花嫁さんがきれいなのは当然よ。磨きをかけてるし、何より好きな人に愛されてるって自信があるからね」
「俺が与えてやれなかったもんを、あいつに貰ってるって思えば安心するな」
 ここでの会話で大分気持ちのほぐれた俺は、今日初めて耳郎と口田を何の混じりけもなく祝ってやれるような気持ちになれた。それは彼らの結婚が決まってからずっと心の底に粘りつくようにあった、素直に祝ってやれない罪悪感を取り除くものでもあって、ここ一年ぶりくらいに気分が晴れ晴れとする。きっとあのまま付き合ってたとしても、上鳴電気が耳郎響香をしあわせにしてやることはできなかったんだろうと、俺自身が納得する。もし耳郎が不幸になるくらいなら、俺がさらってやりたかったけれど、口田は良いやつだ。そんなことする必要なんて、全くない。きっと彼女のヒーローは俺じゃなかった。彼女が甘えられるのは、俺じゃなかった。
「あれ、おかしいな……」
 安心したはすなのに、喉の奥から込み上げてくるものがあって、鉄の味がする熱いそれをせき止める。視界がぼやけてきたのを必死で我慢していたのに、瞬きをした瞬間こぼれ落ちてしまう。おかしいな。峰田が心配そうにしながらも気付かないふりをしてくれているのを感じて、余計に泣けてきた。すっと差し出された指は、今まで意識してなかったけど少し硬くなっていて、可憐な容姿に似合わないと思ったが、そういえばハープ奏者なんだっけ。
「これ、使いなさいな」
「ありがとう、ございます」
 式場では場のにぎやかしに徹して、一粒もこぼれなかったのに、ぽろぽろとあふれ出す涙を絵未さんのハンカチで拭った。薄手のハンカチは薄手にも関わらず、俺の涙をよく吸い取ってくれる。絵未さん自身と同じ香りがより強く感じられて、また泣いた。

 幾らか落ち着いて正気を取り戻すと、あんなふうに大泣きしたのが恥ずかしくなってきた。峰田はそれを茶化すでもなく「区切りついたかよ」とだけ、ぽつりと問う。こいつには心配かけちまったな、と思いながら「悪かったな、いろいろと」と短く返すことしかできなかった。「まあな」峰田の方もまた短く返事をして、彼女の方へ向き直る。俺は絵未さんの方へ顔を向けた。
「あの、すみませんでした。これ、クリーニング出して返します」
「いいよ、そのままで」
 取り上げるように俺の手元からすっとハンカチを抜いて、彼女は鞄にしまった。油断していたとはいえ、あっけなく持っていかれたことに驚く。(それに今の、ババ抜きしてるみたいだったな)そんな風に思いついてしまえば「……俺、絵未さんを山札から手札に入れたいんすけど、いいっすかね?」考え無しに口が言葉を発する。考えるより先に口が出るのは俺の悪いところでもある。峰田風に言うなら、頭が悪い。まあ、それは知ってる。案の定、絵未さんも意表を突かれたようにぱちくりと驚いた様子で俺を見つめた。かわいい。
「失恋したばかりなのに?」
「失恋したばかりだからっすよ。絵未さん、すごくかわいいし、ねぇ、俺のこと、手持ちのカードに入れてみません?」
「お上手ね……こりゃ、合コンでモテるわけだわ」
 絵未さんは負けたとばかりに両手を上げたあと、スマホを取り出してSNSのアプリを立ち上げる。
「とりあえず、友達からなら」
「やった。バーコード読み取りでいいっすか?」
 軽いと思われたらいやだな、と一瞬思った。普段の合コンでは考えもしないことだ。だけど怯んで関係が進展しないのは惜しいなと感じてしまったのだ。決して白魚のようなとは言えないけれど、ハンカチをそっと差し出して俺の涙を救い上げてくれた仕事人の指に惹かれてしまったのもまた事実だ。まだ赤みの残っているだろう目元を意識的に緩ませて甘えるように言う俺に、案外満更でもないのだろうと勝手に思うことにした。


2018.10執筆。お題お借りしました。⇒月にユダ様。
『トップスピードで来て(峰田)』の続きです。