Mary Had a Little Lamb 1
And everywhere that Mary went, the lamb was sure to go.
It followed her to school one day which was against the rule.
It made the children laugh and play, to see a lamb at school.
And so the teacher turned it out, but still it lingered near,
And waited patiently about, till Mary did appear.
"Why does the lamb love Mary so?" the eager children cry.
"Why, Mary loves the lamb, you know."
the teacher did reply.
カーテンの隙間から入り込んでくる朝日に、目を醒ました。
冬ほど突き刺さる訳でもなく、かといって夏ほどギラギラしている訳でもない。もうすぐに到来する春の面影を感じて、二度寝をしそうな気分になる。うとうと、睡眠に誘われていく意識を必死に抵抗させて、机の上に預けていた上体を起こした。
ぼさぼさに好き勝手散らばる、ウェーブの掛かった黒い髪を掻き揚げるように纏め、まだ眠っていたい瞳をゆるゆると擦る。
細く開いた視界でそれほど広くないワンルームの部屋を見回す。隣のベッドに膨らみがあって何事かと身構えた。すっかり目が醒め、昨晩のことを思い出す。
(そうだ、昨日の……)
警戒を少しだけ解きながら、零れるように輝く金色の髪の毛を見る。ゼルダ様みたいな女性では有り得ないほど短い男性の髪型だが、色はやはり、何度見ても同じだ。
日の光がきらりと反射して煌めく。何度見ても慣れないだろう、息を飲みながらそんな予感を抱いた。
ベッドは亡くなったおじいさんの分と私の分、二つあるのだから一方を使って眠ればよかったのに、そんな気分にはなれずにいたのだっけ。結局、机に寄りかかっていたせいで、身体のあちこちが痛い。
ぽきぽきと音を立てつつ、伸びをしながら時刻を見る。なかなか良い頃合いだ、クスリ屋も開いているだろう。何を買うべきか。魔力もすり減っているだろう、きっと青いクスリが一番いいんだろうけど、オババ特製の青いクスリは私が購入するには少々値が張る。申し訳ないけれど、赤いクスリと緑のクスリで我慢してもらおう。効果はあまり変わらないのではないだろうかと、素人考え。
彼が目を覚まさないうちに、そう思って物音を立てないように素早く着替える。起こさないように気をつけながらそっと扉を開き、家を出た。草の薫りが爽やかに私を包む。太陽で暖まった空気が私を抱く反面、涼風が首筋を撫でるのだから心地よい。
鍵をかけるかどうか、正直な所、すこし迷った。だが、彼が何に狙われてどういう状況にあったのか分からない以上、追手がいるものだと考えても良いだろう。気休めにもならないかもしれないが、ひとまず鍵はかけることにした。
我が家からクスリ屋は少し距離がある。
クスリ屋は村の中央近くにある井戸を更に行った先、あのデスマウンテンへと続く門の側だ。商店は大概あの辺りに集合していた。今やデスマウンテンなんて危ない所へ上っていく人間はほとんどいないのに、まるで登山の装備を整える冒険者を待ち望んでいるような立地だ。もしかしたら、昔は本当にデスマウンテンへの登山客でにぎわっていたのかもしれない。しかし現在、あの辺りは村人達のためのちょっとした商店広場のようになっていた。
例外ではなく私も利用する訳で。歩き慣れたその道を、けれどいつもとは違う気分で進む。
「お、ラナちゃん。珍しいな、呼びつけてないのにくるなんて。クスリ屋になんか用かい?」
「今日はちゃんと……っていうか、正規のお客だよ。赤のクスリと緑のクスリ両方くれないかな」
「構わんが、いうほど長持ちしやんよ?」
訝しげに忠告する、店の兄ちゃんだった。
クスリ屋の兄ちゃんは、私がお世話になっていたおじいさんの息子さんでもある。私よりおおよそ七つ程年上だった気がする。おじいさんが私のことを孫のようにかわいがってくれたのは、この人がクスリ屋業に手を出して、結局浮いた話の一つもなかったことが原因に思う。とは言っても、あのおじいさんも薬師として名を馳せていたらしい(王宮勤めもしていたという噂すらある)のだから、息子も同じような道を志したとして疑問は無い。
その関係で、兄ちゃんは私のことを年の離れた妹のようにかわいがってくれる。おじいさんが亡くなった時、私以上に彼だって悲しかったはずなのに、それをあまり見せることなく、私の心配すらしてくれた。優しい人だ、というのは分かりつつも、どうしてだか心を開き切れない。浅ましいと、自分を責めたのも、もう昔の話だ。
彼に対して思うことはあれど、それをすっぽり覆い隠して頷いた。うねる髪の毛、無意識のうちに毛先を指で弄ぶ。
「それこそ構わないよ。ね、それより割り引いてくれたりはしないの?」
「あー……かわいいラナちゃんにいわれたら断れないじゃねぇの。サービスで瓶と塗り薬付けたるから、これで勘弁してくれよ!」
ありがと、とにっこり笑って代金を支払い、クスリを受け取る。
クスリ屋のクスリは比較的、高級品なので私みたいな庶民が一般に購入出来る物じゃない。体力の余り無い私は体調の悪いときに、おじいさんに無理矢理飲まされたこともあったけれど。(……こんなにじっくり眺めることは無かったなあ)買ったばかりのクスリをそっと朝日に透かしてみると、緑色のクスリがキラキラ輝いた。
「……くれぐれもその辺で拾った犬っころに噛みつかれんなよ」
「えっ」
「だって、ラナちゃんが『自主的に』クスリを必要とするなんて珍しいじゃん。どうせ、犬っころでも拾ったってとこだろう?」
あたってるだろ? と、ウィンクをする兄ちゃんに私は曖昧に微笑んだ。(だから彼は苦手なんだ……)おじいさんもそう言う人間だったけれど、いつの間にか知られたくないことを知ってて、人を食ったような笑みでわらう。どこまで知られてるのか。まだ、昨晩のことだ。そう多くを知ってるはずが無い。
これ以上、様子を観察される前に店を出てよう。そう思って挨拶を早々に背を向けると、クスリ屋の兄ちゃんが呼び止めるように声を掛けた。
「そういや、昨晩なんかあったのか。久々に村に帰ってきたってのに大工の連中、相変わらず噂話に熱心でさ」
いやに真剣な声だった。本当、人を動揺させるのがうまいひと。
昨晩というワードにドキリとしながらも、知らないと言って誤摩化した。ちょっと興味がありげに「逆に私が聞きたい」というと、彼の方も、詳しくは知らないと言って答えてくれなかった。
店を出ると、家を出てきた時よりも太陽がかなり高くまで上っていた。大きな入道雲が点在しており、その群青色の上に形を作っている。思わず目を細めるほどにまぶしかったが、すぐにひときわ大きな雲に遮られて少しばかり肌寒さすら感じてしまう。
先ほどのクスリ屋で耳に挟んだ話が引っかかったので、すこし回り道。大工の弟子達がたむろっているだろうところをあえて通った。
盗み聞きとは言わないまでも、すこし様子を探りたかったので注意を払う。向こうから、男性の声なのにも関わらず、女性らしい口調で、心無しかわくわくと弾んだ声が聞こえてくる。
「ね。金髪のイイオトコがいたってホントウ??」
「えー、でも遠目だったんでしょう?」
「ホントウよぉ。だって私ちゃんとこの目で見たもの」
「寝ぼけてたんじゃないのぉ。深夜でしょ、ラナちゃんも一緒にいたって言ってたじゃない」
「あの子の深夜嫌いは有名デショ」
(見られてた……!)
ちょうど自分の話になっていて、どきりとした。気付かれないうちにと思って、足を速める。もし捕まって話を聞かれたら厄介だ。本当のことを言うつもりは無いけれども、変な事実を、例えばうっかり彼が私の家にいることをもし勘付かれたら面倒なことになる。
ただでさえ、自分はいま、普段は買わないような高価なクスリを手にしているのに。
足早に通り過ぎるつもりだったが、私に気が付いたらしい一人が呼び止めに掛かる。何度も何度も呼ぶ声を背中に感じながらも、小走りで駆け抜けた。気が付かない振り、上手く出来たか自信は無い。
しばらくすると、少しがっかりしたような声が聞こえてくる。少し申し訳なくなったが、自分のためにも彼のためにも仕方がない、と言い訳。心の中で謝って、それでも聞き耳を立てたままにしていると、何か見つけただのと聞こえた気がする。それが彼の持ち物だったら、と不安になりはしたけれど今更引き返すことも出来ず、まっすぐに家へと帰った。
ガチャリ。扉を開くその音に反応して、部屋の一番奥にある寝台に横たわっていた青年がびくりと身体を震わせた。
こちら側に背を向けていた細身の背中のシルエットと金色の髪の毛が散らばっている後頭部しか見ることが出来なかったが、「気付いてるの?」と声をかけると、観念したようにそろっとこちらを見た。
顔の半分を掛け布団で隠したまま、警戒心の強そうな瞳をじぃいっと私に向けている。
なるべく相手を安心させるべく、ぎこちなく笑みを作って私は買ってきたばかりのクスリを見せた。
「どちらをご所望ですか?」
わざとかしこまった口調で赤と緑の液体を両方とも見せたら、とりあえず右手に持っていた赤色の方を指差された。
このまま瓶で飲めるのか、尋ねてみると頷くものだから渡してあげる。
彼はお礼を言いながら私から受け取る。同時に、横たわらせていた上体を起こした。ベッドに腰掛けるような状態のまま、キュポンッとコルクで出来たふたをはずした。キラキラと輝くクスリ屋お手製の液体の味はそれほどよろしくなかったようで、顔をしかめながらも飲み干す。
かなり量があった気がしたんだけれど、それでも一気に飲んだ辺り、もしかしたら喉が渇いていたのかもしれない。申し訳ない気持ちになって、浄水の備蓄ボトルからお水をグラスに入れて渡してあげた。
何故か驚いたように目を丸くしながら、受け取ってしげしげとグラスを見つめる。
「別に何も入ってないよ」
昨日もあげたでしょう。苦笑してそう言ったら、その心配はしていないとわざわざこちらを向いて真顔で言い張った。
まっすぐな視線、紅い瞳にいろんなものを見透かされそうでどきりとした。
どこかで見たような色である気がして、それを思い出したらいけない気がして、無理矢理思考回路を停止させる。きっと、自分の色とごっちゃになってるんだ。
水を飲むときの喉の動きに目がいきそうになって、彼から目を離す。
「ところで、具合はよくなった?」
「ああ、ありがとう。だが……」
何かを言いかけて、止めた。私には言う必要がないことなのか、言いにくいのか、どちらなのだろう。
真意を見極めようかと思ったけれど、彼の瞳を見つめるのが怖い。
なんだか、今まで大切にしていたものがすべてひっくり返されそうで。それを受け止める度胸は、未だなかった。なんにせよ、ゼルダ様と、もう亡くなってしまったおじいさんにしか関心を抱けなかった私が、ここまで惹き付けられそうなんだから。
無意識に、胸に掛けている雫型のロケットを握りしめる。
沈黙が、部屋に落ちる。
耐えられないものではなかったが、どことなく不自然さが残り、私はどうして良いか分からなくなる。
彼の素性を聞いても良いのか。この家に置く以上、気にならないものではなかったが、聞いてしまって私が何かに巻き込まれたり、危険に陥ったりする可能性もある。
すっかり思考から追いやっていたが、そもそもこの男が危険人物だという疑惑もなくなってはいない。
ちらり、向こうに目をやると、こちらの気まずい気持ちが伝わったのか苦笑しているようだった。
考えていることがバレたことに、カッと顔に血が上る。恥ずかしい。
「ボクは、そうだな……道先案内みたいなことをやってる吟遊詩人だ」
私が足下に視線を落としている間に零された曖昧な口調に、今度は私が苦笑を漏らす番だった。
「嘘はつかなくてもいいよ」
「嘘ではないさ」
でも本当のことじゃないんでしょう、と少し拗ねた気持ちになる。素性に興味がない訳でもないのだ。教えられないと言ってくれれば諦めが付くかもしれないものの、このように中途半端に濁されては、逆に好奇心が刺激される。
「キミは、」
「え?」
「キミの名前は?」
まさか逆に聞かれると思っていなかったから、驚いて目を瞬いた。別に隠すような物じゃないけれど、なんとなく一瞬躊躇ってしまう。どこかゼルダ様に似た彼を前に、今使っている名前を告げるのは、なんだか違う気がしたのかもしれない。
「私はラナって呼ばれてる。ん、でも……そうだな、好きな風に呼んで」
「本当の名前じゃないのか?」
「名前と言えば名前。親に貰った名前は、もう、忘れちゃったから」
いつもはここまで言わないのに。
この小さなコミュニティだと言わなくてもみんな知っていることだけれど、わざわざ私から言ったりしない。自分の女々しさに吐き気がする。
なんでもないことなのだ、本当に。
七年前の王家への反逆で、孤児は山ほど増えたし、その前、私が拾われた頃とか、そのずっと前も、王家絡みでいろいろと問題も起こっていたのだから。
私は、拾ってもらえただけ幸運だった。それもあんな高貴な人に拾われて、あのひとに預けられて。
そりゃもちろん、不便なことはいっぱいある。けれど、私はあの境遇にしては酷く運が良かったと思う。
それに、先行きが不透明なのは何も私だけじゃない。
先代の王へ仕えていた騎士の子どもが他所へかくまわれているとか、勇者が王家を裏切っただとか、そういう嘘か真かわからないような話が、城に仕えていた人達から山ほど流出している。
信じてしまえば楽なのだと思う。今の自分達の我慢がいつか報われると思っていたいのは当然の心理。絶望しきっていないだけ、マシなのかもしれない。
だって、きっと、みんな不安なのだ。
そういう曖昧な情報を共有してさえ、誰かが助けてくれるのを待っている。
ゼルダ様、勇者様。本当の本当につらいはずのその人たちを、心の中で崇めて、神聖化して、それでいて、自分達は何もやらずに。
お可哀想なゼルダ様。
そう思って街のひとたちを心の中でばかにすればするほど、自分の心に倍になって返ってくる。
拾って頂いた、助けていただいた恩も返せずに、こんなところでのうのうと生きている私なんて。
いつもの悪循環に陥りそうになって、ようやく思考がズレていたことに気が付いた。頭を横に振って余計な考えを追い出す。
目の前の怪我人に意識を戻し、彼を見つめた。彼はそのあかい瞳を細めて私を見ていた。観察されていたのかもしれない。背筋に言い知れぬ物が走って、冷たくなる。やがて彼は私から視線を外すと、小さな部屋をぐるりと見回し、ぽつりと零すように私に尋ねた。
「ここに一人で暮らしてるのか」
「元々住んでいたおじいさんが、二年前に亡くなってからは、ひとり」
一人で独り。ひとりぼっちになれてしまった。
私を育ててくれていたおじいさんは、なにか病を患っていたという。私には、詳しいことはわからないけれど、クスリ屋の兄ちゃんはあれでも長くもった方だって言ってわらった。五十歳を目前にして亡くなるなんて、思ってもみなかったのに。
……もう麻痺してしまったのか、寂しいなんて感じないけれど。
「そうか。やはりしんでしまったのか、あの人は」
おじいさんを、知っていたのだろうか。あのひとは、ある筋ではとても有名だったみたいだから。
私の疑問を他所に、ぽつりとそれだけ呟くと彼は自分の世界に入ってしまう。
なにか深く思索にふけっている様を邪魔するのも気が引けて、私は黙っていた。
沈黙が支配する空間。
なんとなく気まずくて、どうしようかと思案する。こちらから声をかけるべきか。黙っているべきなのか。それとも、彼の前から立つべきなのか。どれもいまいち勇気が出せず黙ったままでいる。
不意に、彼がこちらを向いて口を開けた。
「ボクはシークと呼ばれている。ひとつ聞きたいんだが、何故助けた?」
あ、私と同じ自己紹介の仕方。なんて思う間もなく、鋭い目を向けられる。
害をなす訳ではなくとも真偽をはかるような、そんな視線。本当は、彼が起きてすぐ向けられるべきだったんだから、と少しの寂しさをなかったことにする。
どこか彼女に似ているその瞳の形ーーなのに呪われたその色に刺されて、沸き上がるいろんな感情をぐっと堪えて、口を開く。
「……ゼルダ様に似てたから」
簡潔にそれだけを言う。こんなの疑われるかもしれない。けれど、だって、理由なんてそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
私にとっては、恩人である、彼女が全て。
彼女の役に立つのなら何だって構わない、生きてるか死んでるかもわからないあの人の手助けをしたい。彼女とは関係ないかもしれないけれど、完璧に私の自己満足だけど、この気持ちが伝わればいいのにって、それで助けただけだから。
「こんな時代に?」
「こんな時代だからこそ。私は、もう、後悔したくない」
ぎゅっと、胸から下げている雫型のロケットを握りしめた。
私のその動作を追うようにシークは視線を胸元まで落として、そして何かに気が付いたように息を呑む。空気が震える程に。動揺したように彼の長い睫毛が揺れ、何度か瞼が開け閉めされた。
「そうか、やっぱりキミが……。無事だったのか」
「え」
「いや、こっちの話だよ。疑ってすまなかった」
先ほどとは打って変わって、弱々しく微笑んだ。
どういう心境の変化だろうか。わからない。だけど彼は手を伸ばし、私のロケットを撫で付けた。
「それよりこう言うべきだったな。世話をかけたな、ありがとう」
真摯にまっすぐこちらを向いて言うものだから、どくりと何かが高鳴る。
昨日も感じたこれに、なんとなく危険な予感を思ったけれど、さして気に留めなかった。そうこうしている間に、この手の感情は浸食していって、いつのまにか深みに嵌って抜け出すことが叶わなくなるのだと、このときは考えもしていなかった。
ただ、こんな自分でもひとの役に立てるのだということで、胸の中がじんわりとあたたかくなっていたのである。