Jack and Jill 3

Jack and Jill went up the hill
To fetch a pail of water.
Jack fell down and broke his crown,
And Jill came tumbling after

 時が一瞬止まったのを感じた。
 空気中の要素が全て固まって、それで私に吸われるのを拒否したようだった。

「あなたは……」

 動けなくなっていたのはお互い同じだったけれど、向こうの方が回復が早かった。彼女のうつくしい声で、ようやく身体の自由を取り戻した私は一歩だけ後ずさる。内装に気を取られて数歩進んでいたおかげで、後ずさっても私は未だかろうじて神殿のなかにいる。
 入ってきたときに閉めていた所為で、私は扉にぶつかった。そのまま腰が抜けてしまいそうになったのを、気力で堪える。じっと彼女を見つめ続ける。

(こんな高貴な方を直視して、目が焼け焦げてしまわないだろうか)

 そんなことさえ、ばかみたいに真面目に思ってしまう。それほどまでに彼女がこんな身近にいるということが、私から冷静さを奪うのだ。想像のなかでこそ、彼女が私を認知してくれたらとそんな欲を発現させていたものの、実際に起こってしまえば考えていたみたいに歓喜に身を震わせるなんて、とてもじゃないけれどそんなことは出来なかった。
 ただひたすらに、何かを恐れていた。訳の分からない恐怖が身体を包んで、その所為で震えてしまう。

ラナ、さんですね……」

 ゼルダ様は知っていることを口に出しているだけだというように、そう呟いた。
 私の名前を、何故このひとが知っているのだろう。

(だって、助けてもらったとき、私には名前は無かったのに)

 それ以前に、私のことなんて覚えている訳が無いのだ。
 高貴な方が戯れに助けただけの存在。私みたいな孤児を、あんな苦しい七年間を逃げ延びて、想い合っていたのに勇者と添い遂げられなかったひとが、どうして――
 その疑問は間もなく解消する。

「シークがお世話になりましたね、ラナさん」

(それでか……)

 腑に落ちて、私は曖昧に微笑んだ。
 自分を覚えられていたことに恐怖をしても、まったく覚えられていなかったというのも、それはそれで複雑な気持ちを招くのだ。

「いいえ、王家を慕うものにとっては当然のことです。特に、ゼルダ様の助けになるのなら」
「でもあなたは、私達ではできなかったことを成し得ましたわ」

 そんなことしてないと、心の中で反論したことに気付かれたのかもしれない。ゼルダ様は私の方を見てくすり、と笑った。私はそれで更に納得のいかない気持ちになるんだけど、まさかゼルダ様に逆らう訳にもいかない。きっとゼルダ様が言うならそうなんだろうな、と思ってもみるけれど、自分はそんなに大したことをしていないという意識の方が強い。
 どこまでならば、言っても失礼に当たらないだろうか。反論したり訂正することよりも、私が恐れ多い評価を頂いていることの方が負担に思って、私の都合でゼルダ様にそっと言葉を加える。

「ゼルダ様。ゼルダ様。それでも私は、彼のためになにひとつしていないのです。彼は、私の目の前にもう姿を現すことはないのです」

 言いつのる私に困ったような顔を浮かべるゼルダ様。そんな姿も、おうつくしい。
 けれど、それは、私が想像していた表情と違うような気がした。今目の前にいるゼルダ様がゼルダ様だということは全身で分かる。感じる。だけれど、記憶の中のゼルダ様とはどことなく違和があるのは何故だろう。考えてみれば、当たり前のことだ。だって、私が助けられたのは、もう何年前の話だと言うのだ。
 けれど、ここで考えてしまうのが重症だと我ながら思った。

(例えば彼なら――)

 民族衣装に身を包み、いつでもゼルダ様を第一に考えていたあの青年を思い出す。ある時、何故かどうやってかゼルダ様のお姿になった。
 私がずっと大切にしていた、ゼルダ様のロケットを開けてくれた。ロケットの中身を知っていたとしか思えない、あの態度ーー

「シーク……」

 ここで、私はボタンの掛け間違いをしているような違和感に向き合わざるを得なくなった。ずっとずっと向き合ってこなかった、その事実。信じていたことが真実じゃないかもしれない恐怖に、呼吸をするのが難しくなる。酸素を取り入れない所為で、肺の辺りが圧迫され、息苦しい。

「……ゼルダ様、これを知っていますか」

 私はいつものように首から下げていた、けれど服の下に隠していたそのロケットを取り出す。首元から外して彼女に手渡した。
 彼女は戸惑ったかのように受け取ると、開き方に迷いが無かった。パチン、という小気味の良い音とともに、そのロケットは開かれる。入っているのは私が見たときと同じ。幼少のゼルダ様のお写真。そして、彼女はそれを見て目を丸くした。

(ゼルダ様にもらったのに、ゼルダ様の写真が入ってる。その不可思議さをどうして今まで気に留めなかったのだろう……)

「これは――シークのペンダントの片割れですわね……」

(やっぱり、やっぱりそうなのか!)

 泣きそうになりながらゼルダ様をじっと見つめると、彼女も真剣な面持ちで私をじっと見つめていた。信用に足る人間かどうかを確かめられているように感じた。きっと、彼女もシークと同じ。何かを知っているのだ。むしろ、彼女が知らなかったら、誰が知っているというの。見つめ返しながら、息をとめて、考える。あのとき、シークは……。


『もしも何かの真実が知りたくなったら――』



「ゼルダ様。ゼルダ様。シークはこう言いました。もしも何かの真実が知りたくなったら、ロケットを見せて、ゼルダ様に尋ねるといいと。なにか、ご存知なんですか? あのとき私を助けてくださったのは、ゼルダ様じゃなくてシークなんですか。そのロケットは……」
「このロケットは、シーカー族の紋章を模してデザインされたのです」

 私の言葉を引き取るように、ゼルダ様は懐から何かを取り出した。ネックレスだか、ペンダントだかのようだった。首から下げるのにちょうど良いチェーンがついている。素材は、私が持っていたのとほとんど同じもの。保存状態のためか、私が持っていたロケットの方が若干古びて見えたがそれも誤差の範囲だろう。

「本当は、これは、こうやって二連にして身につけるものなのですよ」

 ゼルダ様の手のひらの上で重ねられた、そのデザイン。彼女が取り出したネックレスは瞳の形をしており、それの下に私がずっと大切にしていたあの涙型のペンダントを置いている。何処かで見たことがある。記憶を掘り返して、気が付いた。

「シークの、民族衣装のあの紋章……」
「彼がわたくしの影として連れてこられたとき、その証として贈られた、彼の唯一の財産だときいているわ」

 ゼルダ様は、かなしそうに目を伏せて――



「生きたいのなら、シーカー族になりきりなさい、と。わたくしの影としての一生を全うしろと、あなたとおおよそ入れ違いに城に押しとどめられた」
「私が?」
ラナさん。あなたはわたくしの、腹違いの妹なのですよ」



















――思いもよらない言葉に動揺した私に、ゼルダ様はやさしく笑った。

ラナさん。あなたが追われた理由が、実はわたくしにあるのだと言ったら、わたくしを軽蔑しますか?」

 寂しそうな表情だった。私は、彼女のそんな表情が見たくなくて。でもこれ以上、私はこれまでずっと私が信じてきたことを覆されたくもなかった。それを感じ取ったのか、ゼルダ様は何も言わずにただ首を横に振って、それから目を伏せて囁くような声を出す。

「あなたは……あなたは王家の血を濃く受け継いでいる。つまり少しばかり、聖地に近いんです。正妻のこどもである私よりも、あなたの方が」

 一息ついて、意を決したように顔を上げて私を見る。それで、私の理解が全く及んでいないことに気が付いたらしく小さく笑った。

「誰よりも王家の血が濃いあなたは、魔力が強い。あなた自身も感じているのではありませんか?」
「おじいさんーー私の世話をしてくれていた方は、少しばかり魔力があると言っていました」
「少しなんてとんでもない、あなたは王家の魔力を受け継ぎ過ぎたのです。その紅い瞳、その波打つまでに黒い髪。そして、丸い耳」

 魔力の話から、巧妙に私の外見の話へとすり替えられたように感じた。コンプレックスだからだ。ゼルダ様のように、完璧なハイリア人の典型である女性が目の前にいると、どれだけ自分が劣った存在なのか。考えたくなくても考えてしまう。
 このゼルダ様の清い唇がこれ以上私なんかの劣等な身体的特徴を指摘する前に、私は自分で言う。

「――呪われているというのは、承知です」
「それは、言ったように魔力が強過ぎたが故の、障害ーー欠陥です。あなたに何の罪もありません」
「それでも!」
「あなたに、何の罪もありませんわ」

 自嘲して言った言葉は、むしろ冷静に諌められる。少しだけ不愉快そうに眉をきゅっと寄せて、私が声を荒げても、罪はないと繰り返した。「あなたは魔力が濃いーー蜜の様に濃厚な魔力を精製しているからの変異なのです。シークとは正反対の魔力回路の欠陥ですね」

 シークは魔力の問題を抱えていたのは、なんとなく知っていた。一番最初、倒れていたのを介抱した時だってそうだ、なかなか治らなかった。間違いない。魔力の問題を抱えていた。
 そうして行動を思い返してみると、シークが私に対して起こした行動の理由に行き当たる。何故、どうして忘れていたのだろう。大妖精様にも言われていたじゃないか。

『手っ取り早いのは、自分に似た魔力を摂取すること――』

 魔力が似ているってどういうことなんだろう。魔力を摂取するというのは――?
 私の血液を体内に摂取したとき、彼の存在は酷く不安定に見えた。理性が抜け落ちて、肉体も女性に変わりーーああ、やはりあのときの姿はゼルダ様だったに違いが無い。今のような輝かしさは皆無だったけれど、姿形は完全に彼女だった。それは、どういうことなのだろう。ゼルダ様は知っているに違いない。けれど、私がそれを知る必要はきっとない。


「そのことを彼は知っていたのでしょうか。シークは今……?」

 思っていたよりも、シークはいろいろと知っていて、それでいろいろと悩んでいたんじゃないかということを考えた。もう会えないのだと悟っていた様子のシークは、もしかして、もう生きてはいないんじゃないか、なんてばかな考えに支配される。
 でも、まさか、そんな。シークがしんでいるかもしれないということを、考えただけで身体がすーっと冷たくなっていく。どうしてだろう、どうしてこんなに怖いんだろう。この間まで、他人だった、存在を知りさえしなかったそのひとが。

「いきては、いるはずです」

 ゼルダ様は苦しそうに無理矢理笑みを作った。そして発する、なんとも曖昧で、不可解なことば。
 シークの生存なんて、ゼルダ様を除いてはきっと誰も知るはずが無いのに、どうしてこの人すらこんなにも中途半端な言い方しか出来ないのだろうか。まるで、彼の事情なんて、誰も把握出来てないみたいだ。
 彼が生きているという事実に安堵と歓喜の感情が踊り狂いはしたが、それよりもむしろ彼の周囲の人間関係のずさんさにすこしだけ苛つきが芽生えた。そう、それはこの、私が愛してやまないゼルダ様に対しても、だ。

「今は、誰よりも安全なところに匿われているはずです。だって、彼は聖地にとらわれているんですもの――もうずっと、あの七年前から」

 泣きそうになりながら、震える声で絞り出されたそのことばに、私のなかにくすぶっていた怒りにも似た何かが急速にしぼんでいくのを感じた。私の中にあった、「あなたを除いて、誰が彼を認めて上げるんだ、しあわせにしてあげるんだ」なんていう傲慢な要求はなりを潜めたからだ。
 だって、彼はこんなにも想われている。私がつかみかからなくても、充分、ゼルダ様はシークをたいせつに思っているんだってことを、感じた。代わりに、囁くように尋ねる。

「どうやったら彼の元に行けるんですか」
「え?」
「行きたいんです。シークが、そこにいるんでしょう?」

 私の言葉に、ゼルダ様は驚いたようだった。そして、じわじわと笑みが滲んでくる。希望がわいて来るような、そんなすこしわくわくした色も隠しきれていない。「それならーー」ゼルダ様が続けようとした言葉が何だったのだろうか私には分からない。途中で彼女は言葉を区切って全く違う文脈を続ける。

「シークはずっと聖地に、眠っているのです。どうか、彼を助けて。彼を起こして」
「でも、私には……」
「あなたでないと出来ないのです。彼が消えたくないと望んだのは、あなたのためなのだから。私のために消えることは厭わなくても、あなたのためには存在していたいと思ったのですよ」
「……嘘」

 哀しげに微笑んで、それから彼女は私を祭壇の裏側、剣の間への扉の前に導いた。彼女は聖地の前に立つ。封じているその壁に手をつけるようにと、彼女は指示をした。私は黙ったまま、それに従う。ひんやりとした冷たさが手のひらを通じて染み渡る。心が洗われるような気がした。

 ゼルダ様は祭壇の前に立つ。
 不安だった。いつものようにロケットを握りしめようとして、ゼルダ様に渡したままであることを思い出す。身ひとつで、私は何が出来るのだろうか。今は、短剣すらも持ち合わせていない。無防備な身体だけだ。扉をあけることなんて、出来るだろうか。私はそっと目を瞑った。

 背後から、オカリナの澄んだ音が聞こえる。
 ゼルダ様が奏でているのだろう、静かな神殿内に反響して、それは何処かへと通じる祈りにも似た調べだった。

 オカリナのメロディを通して、送り出すようなゼルダ様の思いが伝わってきた。
 触れていたはずの壁から冷たさを感じなくなっている。もう、そこには実態がないようだ。壁は確かに見えるのに、そこを通り抜けられるような気がした。私は、目を瞑ったまま壁に向かって一歩踏み出す。

 真っ白の光が、そっと私を包んだ。
 まばゆいばかりの光が刃のように、閉じられているはずの瞼を刺して、そして脳へと届く。



――私を呼ぶ力が、近くなった気がした。

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